臨床ではできない貴重な練習
整動協会の合宿(2日間)を行ってきました。2020、2021年と2年連続でお休みしたので3年ぶりの合宿でした。テーマは言語化でした。
日頃、私たちが主催する整動鍼セミナーでは「身体と動きとツボの関係」に着目し、ツボの効用と正確な位置を伝えています。ただ、これは技術の構成要素の一つでしかありません。いくら正確に覚えても臨床では総合力が問われます。
総合力を養う機会も必要だとわかっていながら、普段のセミナーでは扱えないというジレンマを抱えていました。ということで合宿で共有しています。とはいっても開催は3年ぶりです(色々で2年間できませんでした…)。
この合宿は提案役を私が担い、参加者は互いに練習台となって言語化できるまで練習を繰り返しました。触診や鍼をした時の感覚などを言葉にして、感覚とすり合わせていく練習です。地味な練習ですが、実際の臨床ではできないので貴重です。私も混ざって練習に加わりました。よい練習になりました。参加者が上手くなっていくのを感じられました。
合宿の雰囲気だけ動画にまとめました。
合宿が3年ぶりに復活しました!今回のテーマは「技術を言語化せよ」ということで、上手と下手の境界線にあるものを言語化してトレーニングしました。おかげさまで楽しく仲良しになる2日間になりました!鍼って楽しい😀 #整動鍼 pic.twitter.com/4hoHXQLsHy
— 整動協会@鍼灸師のための臨床研究会 (@seido_office) September 12, 2022
言語化が伝統をつくる
言語化は3つの視点から大事だと思っています。
①技能の定着
②技能の共有
③技能の発展
それぞれ説明します。
まずは①から。「技能の定着」というのは個人的なものです。施術を何度も何度も繰り返していると、だんだん上手くなっていきます。ただ、気をつけなければいけないのが「慣れ」を「上手さ」と勘違いしてしまうことです。「慣れ」というのは作業が自動化しているだけです。もちろん慣れも必要ですが、所詮慣れはなれです。上手さというのは個別対応力で、自動化できないところにあると私は考えています。
②の「技能の共有」。たとえば「どうしたら先生のように上手くなれますか?」と質問したら「経験を積みなさい」と返ってきたり、「人間性を磨きなさい」と返ってきたことがあります。経験や人間性が施術に影響を与えることを否定できません。重要ではないとも思っていません。ただ、それは鍼灸師が磨くべき対象である鍼灸の技能ではありません。どんな職業でも必要なことです。上手と下手では何が違うのかを具体的に説明できなければ、技能を共有することができません。
③の「技能の発展」は、②の続きになる話です。技能を共有できれば技能を発展させることができます。発展というのは個人の枠を超えて継承を重ねなければなりません。そもそも共有ができていなければ発展はしません。鍼灸の伝統も慎重に考えるべきです。古典を読んで自分なりに解釈を加えて施術する鍼灸は、そもそも技術の共有ができていないので伝統とは言えません。伝統は言語化の上に成り立っていると考えます。
もちろん言語化できない感覚があります。それを否定しているのではありません。言語化の努力をしてもなお残るものは仕方ありませんし、そこに本質が眠っていると考えることもできます。私がここでしたいのは、言語化をあきらめた者は技術の本質にたどり着けないのではないだろうか、という問題提起です。
鍼灸の奥義とは何か
鍼灸の奥義があるとすれば、という前提で書きます。皆があこがれる名人。患者さんも、体をあずけるなら名人がよいと考えていると思います。鍼灸業界の中で誰が名人なのかわかりませんが「上手い!」と思う鍼灸師に出会うことはあります。
上手さを一言で表せば「丁寧」であることです。でも、これでは言語化したことにならないので、あがいてみます。
丁寧の底辺にあるのは、患者さんの
①姿勢を乱さないこと
②息を乱さないこと
③迷わせないこと
であると思っています。ただ、そのためには、術者が姿勢を乱してはいけないですし、息を乱してもいけないです。そして、患者さんを迷わせるような言動をしないように気をつけなければなりません。
一つ一つが深いテーマなので文章では伝えきれませんので、動きを具体的に示しながら説明できるセミナーを舞台にして言語化にチャレンジしています。
奥義というものがあるならば“丁寧”の先にあると思います。ここでいう“丁寧”には、接遇のような意味はありません。丁寧に身体をコントロールしていくという意味です。患者さんの身体ではなく、術者の身体です。
患者さんの体はコントロールできませんので、施術の上手下手は術者が自身をどこまでコントロールできるかにかかっています。話がすこし脱線しますが、患者さんがよくなるのは、施術者が治したからではありません。施術者からよい影響を受けて、患者さん自身が良くしているのです。このような立場から言えるのは「治せる技術」は存在しないということです。治したように見えてもすべて錯覚です。
どんなに腕を磨いても神にはなれません。私たちは、無力という海で溺れないようにすることしかできません。
上記の①「姿勢を乱さないこと」、②「息を乱さないこと」、③「迷わせないこと」、それぞれについて記したいところですが、今回は言語化の重要性を伝えることのみに専念し、別の機会に譲ろうと思います。
また次の記事で会いましょう。
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