能をご存じの方いますか?
クリ助の妻は学生時代に能をしていました。
能の主役、そのほとんどは幽霊です。
このことは、妻に出会うまで知りませんでした。というより、能のことは全く知らなかったのです。まぁ、知らなかったので「能に連れて行って」と頼んだことが、いろんな意味で始まりでした。
プライベートな話はさておき、
能にはシテとワキがあります。
シテは主役、ワキは脇役です(能の脇役は極めて重要)。
このシテとワキの関係が実に興味深いのです。
鍼灸師にとっても。
『能に学ぶ「和」の呼吸法』の解説を借りて説明します。
古人は、
認識できないものを「コト」、
認識可能なものを「モノ」、
永遠性を「チ」
と言っていました。
シテは幽霊なので認識できないから「コト」。
ワキは僧侶など生きている人間、つまり認識可能なので「モノ」。
能の舞台では、認識可能なものと不可能なものが物語を運んでいるのです。それが可能なのは、そこに「チ」と言われる永遠性が存在しているからです。
この永遠性は言い換えれば、「心(しん)」。
世阿弥の言う「言語を絶して心行所滅」の「妙」とのこと。
ここまでが借りてきた解説。さっぱりわかりません。でも、ここから分かる唯一のことは、能の舞台は「目」で観ても、本質に触れることはできず、「心(しん)」を通して観なければわからないもの、ということです。
鍼灸師向けの話になってきました!
患者さんの悩みの本質は認識できないところにあることの方が多いからです。たとえば、「胃腸の調子が悪い」とおっしゃっても、その苦しみの中心は下痢などの現象ではなく、将来の健康に対する不安をぬぐえないことだったりするのです。「心(しん)」を通して本質を理解することが大事です。
能において、シテ(幽霊)はワキ(僧侶)に救われてあの世に帰ってゆきます。
これはまさに患者さんと鍼灸師の関係です。
患者さんは幽霊ではないですが、患者さんの抱える辛さや不安は認識できない霊的存在です。来院へと導いているのはその存在ですからシテと考えることができます。つまり、鍼灸院における主役です。患者さんの口から発せられるコトバはコトの端(は)であり、思いの一端です。
症状の訴えは辛さや不安の一端でしかありません。
だから、向こうにある「コト」(認識できないもの)を理解する姿勢が大事だとわかります。それをなしに、よい施術はできないという結論に至ります。秀でた技が「妙技」と言われるのは、「心(しん)」を通して本質を理解し、その上で行われるからでしょう。永遠性である「心(しん)」は一生かけて追い求めるテーマかもしれません。
ちなみに、
あの世(認識できない世界)とこの世(認識できる世界)という、位相の違う世界が交わるのがお盆だそうです。今がまさにその時です。


コメント
へえ~、そうなんだあ!勉強になりました。
なんか感動!!!
>なつみかんさん
お役に立てて光栄♪