■わかったフリ
痛みの正体は何だろうか・・・
クリ助にはわかりません。
わからないのに痛みに悩む患者さんを診ているのだから、不思議なものです。でも、無責任とは言わないでください。みんなわからないのです。
坐骨神経痛。注射で坐骨神経を麻痺できれば痛みは消えます。痛みは感覚神経に依存していますが、支配はしていません。
朝は激痛なのに昼間はそうでもない。
仕事に集中しているときは感じない。
お風呂に入っている時は治まる。
痛みを増減せさる要素は、いろいろあるのです。神経一つで説明などできません。加えてやっかいなのは、人の痛みはわからない、ということです。どんなに痛がっている患者さんを目の前にしても、「痛そうだな。辛いんだろうな。」と共感することしかできません。その痛みを代わりに感じ取ることはできません。
誤解を恐れず書けば、わかったフリをするしかないのです。目に見えない、手に取れない痛み。鍼灸師はそんな得体のわからないものを毎日相手します。想像力を問われます。
症状を言い換えるなら「辛さ」です。クリ助は初診の予約を受ける時に症状を簡単に尋ねています。「椎間板ヘルニアです」と病名を答える方も多いです。でも、初診の当日に「椎間板ヘルニアですね、では鍼をしましょう。」と、ベッドに寝て頂くことはありません。
「どこが痛いですか?いつ痛みますか?」といった具合に、痛い場所や辛い場面を細かく訊いています。患者さんの辛さを患者さんの言葉で知りたいからです。もちろん、“わかったフリ”が限界ですが、病名だけではわからない改善のヒントが見えてきます。
重要なのは、病名ではなく症状。
患者さんが私に要求しているのは症状の緩和。症状が軽くなったり消えれば患者さんは満足するはずです。ところが、「自律神経失調症に効くツボを使ってください」とツボを指定される方もいます。
症状が動悸だったとしても、病院で「自律神経失調症」と診断されれば自律神経失調症が悩みになり、自律神経の問題に置き換わります。(関連記事:東洋医学からみた自律神経失調症)
■病名の呪縛
本質的には、患者さんは「動悸が治ればラクになる」と分かっていても、「自律神経」という言葉を聞くと、問題点が自律神経に置き換わってしまうのです。
自律神経は本当に便利な言葉です。原因不明なら「自律神経に問題がある」と言えるからです。症状に悩む患者さんにとって原因不明という言葉ほど残酷なものはありません。「自律神経」という言葉には患者さんを安心させる効果もあるでしょう。
ただ、一旦鍼灸院に入ると事情が変わります。そもそも東洋医学には自律神経失調症という言葉はありません。自律神経失調症に無効だからではなく、鍼灸の特徴そのものが自律神経を調整するようなものなので、あえて使う必要がないからです。
鍼灸師が自律神経への作用を頑張って回避しようとも、必ず自律神経に作用してしまうのが鍼灸です(だから鍼灸が自律神経失調症に有効と言えるのです)。
このように、重要であるように見えて、実際には意味を持たない病名もあります。「椎間板ヘルニア」も時に同じことが言えます。「骨の間から何かが飛び出てしまった」というイメージが患者さんを襲い、その局所に解決の糸口をもとめようとする意識が芽生えます。でも、腰痛が椎間板のみから発生しているとは限らないのです。画像で椎間板に異常が見られても、痛みの問題は脚にある、というケースもよくあります。
動悸の例では、意識が必要以上に広がりすぎて、椎間板ヘルニア例では、意識が必要以上に狭くなりすぎてしまうのです。
患者さんと鍼灸師の意識が適切なところに収まる時、症状が好転します。意識の誘導、これがまた難しいのです。鍼灸師のテクニックが問われるところです。
■痛みの在りか
最初の問題である「痛みの在りか」。
あえて答えを出すなら、「患者さんの心にある」となります。
アントニオ猪木に気合いを入れてもらって(殴られて)も大丈夫。
それは、受け入れる心が用意されているからです。
患者さんの心持ち一つで痛みが変わります。
同じ痛みでも、良くなる見込みがあれば平気でいられます。「治りそうな感じ」を患者さんが得たとき、好転が始まります。
「科学的に基づく治療が大事」という人もいます。でも、科学で心が理解できない以上、科学的な施術なんて無理と言わざるを得ません。科学では理解できない人の気持ち、人の辛さ。
科学は説明に便利です。
医療の世界では、理屈が通っているかのように振る舞いたがります。患者さんを欺くためではありません。患者さんに心の拠り所を提供するためです。「わからないもの」に体を預けられませんから。わかったフリをする医療のやさしさ。
人間が人間を治す、なんてことはできるわけもなく、できるのは、患者さんの心の拠り所をつくることだけなのかもしれません。
■科学的根拠
「科学的根拠がない」と鍼灸は否定されることもあります(未だにそんなこを言う人もいるわけで)。では、古代の人は科学的根拠をもって息をしていたのでしょうか…。酸素の分子構造がわからなくても、吸わなければ苦しくなって死んでしまう、ということは誰でもわかります。
機序や構造が明らかでなくても、アレをしたらよくなる、コレをすれば悪くなる、さえ分かっていれば医学です。医学に科学的根拠はあった方がベターなのであって、なければ医学ではない、と考えるは間違いです。
問題をシンプルに置き換えるために、医学は知識、医術は技と考えてみます。できる人とできない人がいる、それが技です。鍼灸は技の世界です。だから、同じツボ、同じ鍼であっても術者によって効果は違います。料理人だって、同じ素材、同じ調理器を使っても味が違います。それと同じです。
鍼灸は科学の上にあるものではなく、
「できる、できない」の上にあるものです。
鍼灸の効果を科学で説明できるに越したことはありません。
でも、説明できないからと否定される筋合いはありません。
説明できない科学が未熟なのです。
科学の進歩に期待します。
鍼灸の科学的裏付けがある方が患者さんも安心できます。


コメント
科学に基づく治療を行うには「科学」の定義が
必要になります。
おそらくその定義は規則的である事や予想可能という法則性といったものからは逃れられないでしょう。
つまり、追試できないものは科学として認められない可能性が高い。
科学がどれだけ進歩しても人間の直感に支えられる
職人技が説明できるようになるとは思えません。
鍼灸を科学的に追求しようとすればするほど
科学の限界が見えてくるのではないでしょうか?
科学の定義もあいまいですよね。
「科学的」という言葉には頼もしさを感じてしまいますが…。
「職人技は科学では説明できない」という前提に立てば、科学的治療をウリにしている治療院は職人技に頼らない施術ということになります。実際、科学的治療の正体が「最新マシーン導入!」の機械的治療だったり…。
話が横道にそれますが、
機械まかせの治療が「科学的…」と標榜されているケースはよくあり、施療業界は慎重に言葉を使わないといけないと思うことがあります。まずは私たちから気をつけていきましょう。