■セルフケア
「自分で鍼をすることあるんですか?」
患者さんによく訊かれます。
鍼灸師が自分自身に鍼や灸をすることはセルフケアになるんでしょうね。このセルフケアは鍼灸師でない人が行うものより優れていると思ったら大間違いです。自分自身に適切な施術というのは、なかなか難しいものです。
事実、鍼灸師にも自分の身を委ねる鍼灸師がいたり、そういう鍼灸師を探していたりするのです。鍼灸師も普通の人間でしかないから、弱る時は弱ります。「治療家こそ体が悪い」なんて言葉を聞くこともありますが、そうでないようにしたいものです。
なんでこんな話をするかと言いますと、今日歯科に行ってきたからです。近所の歯科はどこも木曜日が休診日。私の鍼灸院と全く同じ。歯科に行くなら、鍼灸院を休診にして行かなければなりません。そうもできず、もう3年の月日が流れてしまったのです。
歯周病は怖いし、歯と歯肉は専門家にお願いしなければ。
私の重い腰がようやく上がりました。
週1回、何度か通う予定です。
東洋医学的み見ても、歯は内臓の調子と関わりが深いです。歯が弱れば内臓に影響が出ますし、内臓も歯に影響を及ぼします。両面から考えることが大事です。3年も放っておいた私が語っちゃいけませんが。自分のことは棚に置き(よくあること)、患者さんには歯科にかかることをすすめています。
■忠実すぎる患者
歯科クリニックを探すとき、不安でいっぱいでした。この年になっても歯医者さんは怖いのです。「今は治療法が違っているので昔とは違う」といくら周りが言っても、刻まれた痛い記憶は薄れることがありません。
あれは中学校1年生だったと思います。親知らずを抜きました。麻酔が切れた時の痛みが今でも忘れられません。歯科の待合室で父が迎えに来るのを、激痛をガマンしながら待っていたのです(自転車で行くには遠かったので)。
「この話をクリ子にしたら、迎えが来ても痛みが変わるわけじゃないのに」
と言われました。まー、そうなんですが…。
家に帰って鎮痛剤を飲みたかったのです。
すると、クリ子は、
「そこで飲んじゃえばいいのに」
と、またもや返してきました。
処方された鎮痛剤は「家に帰ってから飲むように」と歯科で言われたので、家でなければ飲んではダメなものと考えていたのです。会計を済ませてから襲ってきた痛みなので、もう歯医者さんに相談することもできず…ただ、ただ耐えていたのです。
父がやってきたのは1時間後(仕事のことを言い分けにしていました)。
その間、時計の秒針を追いかけていました。
「なんでもっと早く来てくれなかったの!」と泣きっ面で不満(怒り?)をぶつけました。父も「鎮痛剤飲めばよかったのに」と軽い扱いでした。そんなものみたいです。
みなさんも「親知らずを抜いたくらいで」と思っているのでは。でも、本当に人生を振り返ってベスト3に間違いなく入る激痛だったのです!その後も親知らずを抜きましたが、これほど痛いことはありませんでした。
今、親知らずは一本もありません。
鍼灸学校に通っている頃、最後の親知らずを抜いたのですが、これは見事でした。親知らずは気がついたら抜けていたほど。学校の昼休みに抜いて、午後は普通に授業を受けていました。私はその歯科医師は名医だと信じています。
■信じる者は救われる!?
なかなか素人には歯科医師の技術の差ってわかりません。
鍼灸師だって同じですよね。患者さんから見れば、技術の差がどこにあるかなんてわかりません。何件も行ってみれば、何となくわかるかもしれませんが(相性の問題は除外します)。
でも実際のところ、何件も行ってみる患者さんは少ないでしょう。せいぜい2~3件行って満足しなければ「鍼灸は合わない」と諦めてしまうのではないでしょうか。
通院している患者さんは、腕があると“信じている”だけです。客観的な評価なんてどこにもありません。その客観的評価が大事かと言えば、必ずしもそうであるとは限りません。
「ここを来て正解だった」と患者さんが思うか思わないか。
何でもできることがよいのはなく、できないことを知ることの方が重要な気がします。できないことを告げ、残ったものだけが「できる」ことです。患者さんの満足度は、「自分の選択がベストであったと確信したとき」にマックスだと思います。
患者さんの立場で考えれば、時に選ばれない方が患者さんの満足度は高くなります。必ずしも、自分の鍼灸院で患者さんが満足する必要はありません。それが本当に患者さんの立場で考えるってことだと思います。
「患者さんの立場」という話が語られる時、「自分の治療院(鍼灸院)の中で」が前提になりますが(経営的な話の中で出るので当然といえば当然)、本当に「患者さんの立場」を考えるなら、それがどこだってかまわないわけです。
「患者教育」という言葉が業界で飛び回っています。
でも、この言葉が間違った目的で使われていることがあります。それは経営セミナーでよく聞きます。「自分の治療院(鍼灸院)に通院させるように誘導する」という意味に近いように感じます。「リピーターを増やすためには患者教育が大事です」という使われ方が典型です。
本当の「患者教育」とは何なのか…。
考えたことがありません。


コメント
患者教育というのはあまり良い意味では使わない
ですね。
患者も人間ですから、ずうずうしい人もいます。
そういう人には「世の中あなたを中心に回っているわけじゃないよ」という意味での教育は必要でしょう。
特に救急車をタクシー代わりに呼んだり、軽症なのに夜間救急を使う患者には教育というよりしつけ
が必要ですね。
リピーターにさせるために行うのは教育ではなく洗脳と言ったほうが当たっていると思いますね。
親知らずを抜く名医って、古すぎますよ。
角度も歯によって、それこそ4本とも違うので、毎回毎回痛さは違うと思います。それを、抜きやすい歯を抜いたから名医って、どうでしょうか?
治る直前の五十肩に治療して、カリスマ鍼灸師って、熱く語る素人さんみたい。クリ助さんがこんなこと書いてると、悲しいです。生意気ですいません。
>ジャッカルさん
そうそう、私が指摘したのは洗脳に近いものです。「患者教育」という名の洗脳はあってはならないことだなーと。
>親知らずさん
私は歯科に関しては素人です。その素人が、ある歯科医師ことを名人と思いました。そう思った理由は、過去3回と比べてスピーディで出血も少なく回復が早かったからなのです(私の中では圧倒的な違い)。
最後の親知らずが「抜けそうなほどグラグラしていた」としても、感動した私は名人だと思ったのです。歯科医師の前で私はただの患者ですから、患者心理として受け取ってください(古すぎると言われましても…技術論ではないので)。
患者さんは誰が名人かわかりません。だから、名人は患者さんの心理が作り出すものだと私は思います。フィクションであっていいと思います。患者心理は自由だからです。
私がこの記事の中で指摘した(経営側の都合による)患者教育は、患者心理の自由を奪ってしまうものです。治療院経営(リピート)に適した評価基準を患者さんにすり込ませていくことがあってはならない、そんな気持ちで書いたのです。
久しぶりのコメントです。いつもながら濃いブログですね。
私は、患者教育とは、今、自分が死んでも通っている患者さん達が自分の身体に自信を持っていけるような、自分の魂が患者さんの中に生き続ける仕組み作りだと思っています。
今+患者さんの将来を真剣に考えられるか?というところです。
治療院において、これを経営的に結び付けるのは至難の技ですが可能です。
治療家という視点で患者教育を考えるよりも、医の道を歩む一人間として考えるとよいかな?と思っています。
人は、腕の良い治療家の事を忘れても、耳の痛い事を言ってくれた学校や塾の恩師の事は鮮明に覚えているものです。
この辺に、何かヒントがあるように思えますが・・・
至らない私見ですがご勘弁を。
>ムムさん
「今+患者さんの将来を真剣に…」という考え、素晴らしいと思います。経営の結びつけることへの難しさに言及されているところも、現実から離れていなくて(理想論に終わらず)、共感です!
患者さんに耳の痛いことを言うのも勇気がいりますよね。患者さんに好かれようという意識が過剰であると、いいこと(持ち上げること)しか言わなくなってしまいます。
患者さんの「今」と「将来」にとって必要なことが、すべて心地よいことばかりではないはずですよね。心地よいことでないことをするのって、勇気を求められます。
どうでもいい事かもしれませんが、
今溢れている治療院スタイルが未来永劫続く事はありえませんし、必ず進化した形に昇華していくはずだと信じています。
私達はその通過点にすぎませんがしかし、未来の進化は今この時代の私達一人一人の思考と行動にかかっていると思っています。
鍼灸の歴史のように、ある時代の人間は次に繋ぐ役割を担っています。
部分は全体である、という格言のように私達たかが個人が全体を変える力になります。
こんな誇大妄想的ですが壮大に考えると毎日コツコツと頑張れます。
いつもインスピレーションをくれるクリ助さんとは本音で語れそうだと勝手に思ってしまいました(笑)。
>ムムさん
どうでもよくないですよー。
未来の治療院スタイルにつなげていくのは、私も間違いなく私たちの思想と行動だと思います。私はいつも誰かの影響を受け、私の思想(妄想)も誰かに影響しているのかなーと。個人の力、私も信じます。本音で語りましょう。