信じて得るもの、信じて失うもの(補足)

■自分がよいと思っているだけ

前回は「患者教育」という言葉に触れておきながら逃げてしまう、という卑怯な終わり方をしました。今後も逃げ通すつもりです。「私は教育者ではありませんから」という台詞を残し。

鍼灸院は患者さんに通ってもらわなければ成り立たない商売です。「商売じゃない、医療だ!」というお叱りもあるでしょう。鍼灸院をとりまく現実を考えると、商売的なセンスが重要なのは間違いありません。経営という側面から見ても、保険診療とは勝手が異なります。

「患者さんの全額負担」という決め事は、経営者に重くのしかかります。それでも、自由診療を貫く者たちはにはそれぞれの想いがあります。保険の中ではできないことを知っています。

「自分が良いと思うこと」

を実践するために自由な環境が必要なのです。「鍼灸が保険適用になればいいのにね」という声を鍼灸のファンとなった患者さんからよく聞きます。患者さんの金銭的な負担は減りますが、鍼灸師は「自分がよいと思うこと」を出来なくなる可能性があります。「社会の仕組みとしてふさわしいこと(わかりやすいこと)」を実践せざるを得なくなります。

腰痛に対して、「痛む腰にしか鍼やお灸をしてはならぬ」というルールが作られてしまったら、背中や脚に鍼灸をすることができなくなります。一般的には、単純明快でわかりやすいルールになるかもしれませんが、東洋医学や鍼灸の魅力を奈落の底へ突き落とすものと私は思います。

これは私の考えでしかないので「自分が良いと思うこと」です。
自分の信じるものをやっているだけです。

■裏切り者か予言者か

「信じる世界」を強調すると、「宗教」という言葉が頭の中をよぎります。でも、宗教とは関係のない話です。患者さんが「結果」で判断する限り、宗教との接することはありません。

結果の出るものが正解です。患者さんからみても、術者からみても。
ハチャメチャに見えても、結果が出れば正解になるのが臨床の現場です。

結果が出たときの話は単純明快です。
問題は、すぐに結果がでない時、わかりにくい時に起こります。

患者さんは、術者を信じるか信じないか、選択を迫られます。
結果が出るのを待つべきか、そうでないか。不安の中で患者さんは決断しなければなりません。

どんなに優れた施術であっても、1回目の施術で必ず改善を予兆を感じとれるわけではありません。2~3回受けてから変化を感じる場合もあります。術者は知識は経験から見通しを告げるわけですが、その言葉を信じるか信じないかは患者さんの自由です。

信じて結果が出なければ、術者は裏切ることになります。
信じて結果が出れば、術者は予言者になります。

患者さんを信じさせて通院させることは、患者さんから選択の余地を奪う行為になります。結果が出た時は「患者さんから迷いを消す」ことですが、結果がでない時は、「時間とお金、そして治るタイミングを奪う」ことになります。

信じて得られるもの、信じて失うものがあるわけです。

術者にできるのはただ一つ。
自分が信じている方向に患者さんを導くことです。

何が正しくて何が間違っているのか、その答えを誰も教えてくれません。
術者は知識と経験の中から得た「確からしいもの」を根拠に、何が正しいか判断するしかありません。

約束や保証ができないのがこの仕事。
先を照らすことしかできません。
昨日より今日がよければ、明日はもっとよくなるだろう、という展望を。

■ 取捨選択

経営の話になりますが、患者さんが通わない鍼灸院は廃業するしかありません。だから、どこの鍼灸院もリピートに敏感です。

患者さんだけのことを考えていても成り立たないのが鍼灸院です。
こっちの事情もあります。

そもそも「鍼灸院をやりたい」というこちら側の事情が先にあって存在している鍼灸院です。患者さんがこっちの事情に合わせているのです。

患者さんからお金を頂いて生活しようという魂胆なのだから、こちらから先に何かを与える気持ちでないと罰が当たりそうです。

感謝の意を込めて患者さんにできるのは、取捨選択の材料となる情報を提供することです。
どちらかといえば「捨」の方に意識をおく方が大事だと思っています。

ウェブが当たり前の時代です。

たとえば、ネットでショッピングの最中に「あれがほしい、これがほしい」と悩む中で、1つを除いて他は全て捨てられているわけですよね。同じように自分が発信した情報のほとんどは捨てられるものです。捨てられるのが当たり前である中、拾ってくれる方は特別な方です。特別な気持ちで接することができます。

■騙されてもいい

9割以上が鍼灸を受けたことがありません。ですから、一般の方は「鍼灸にはいろいろな流派がある」ことすら知りません。取捨選択の材料として、流派は重要ではないことが想像できます。

「どんな鍼灸を受けようか」

ではなく、

「誰の鍼灸を受けようか」

というふうに考えるのが自然ではないでしょうか。

患者さんに提供して最も喜ばれる情報は、流儀ではなく施術者自身ではないかと思っています。技術は行ってみるまでわかりませんし、行ってみてもよくわからないものです。客観的な評価はどこにもぶらさがっていないので、患者さんが術者の腕を、どう思うか信じるかの話です。

つきつめていけば、「誰の言葉が信じられるか」、「誰の言葉を信じたいか」となっていきます。鍼灸が初めての人なら、「あの人になら、騙されてもいい」と覚悟を決められるかどうか。

「クリ助になら、騙されてもいい」

と思う人がいる限り、クリ助は鍼灸師を続けられます。

次回は症例(写真掲載の許可が出ました)。
人気ブログランキングに投票

コメント

  1. ジャッカル より:

    そもそも医療とは結果を保証するものではなく
    その時点で有効だと思われる治療を行うことを
    約束するものです。
    医療に絶対は無い。
    そうなるとせめて信念を持って施術するしか
    こちらを選んでくれた患者さんに報いる術は
    ありませんよね。
    >>「クリ助になら、騙されてもいい」
    鍼灸師に限らず治療家は治療以前に自分を受け入れてもらわねばなりません。
    キャラ勝負ということはサービス業全般に言える
    ことなんでしょうね。

  2. クリ助 より:

    >ジャッカルさん
    「結果を保証するものではない」と、私も全く同じように考えています。
    腹ぺこの人のお腹を満たそうとするとき、「これ食べて」とあんパンを差し出せば、空腹感を和らげることは約束できます。でも、美味しい食べ物でお腹を満たしたいと言っている人に、評判のいいパン屋さんのあんパンでも「美味しい」と感じてもらえるかわかりません。そういう感じかな…。

  3.   より:

    >>「クリ助になら、騙されてもいい」
    騙されてもいいなんて方いらっしゃるんでしょうか。。
    (鍼って効くんですか?)
     =あなたは詐欺師ですか?
    と聞こえてしまいそうです。
    騙されてもいいなんて事はありません。
    騙される覚悟までをも必要なんでしょうか。
    騙されるかもしれない。と思いながら治療を受けるなんて。

  4. クリ助 より:

    >名無しさん
    鍼灸の効果に懐疑的な人がとても多い、と私は感じています(私たち鍼灸師の努力がまだ足りません)。
    私の鍼灸院には藁(わら)にもすがる想いの患者さんがとても多いです。鍼灸を受けたことがない、自分の症状が治るか不安、という患者さんは、何を信じてよいのかわからないところまで気持ちが落ち込んでしまうことがあるように思います。
    いろいろな治療法を試してきた人ほど、信じることが怖くなっているように思います。期待すればするほど裏切られた時のショックが大きいことを知っているかのような。
    だからなのか、私のところでは、実際に効果を期待されていないのではと思えるような態度で来院する方もいらっしゃいます。
    「鍼って効きますか?(あなたは詐欺師ですか?と同じ意味)」という質問は過去に数えきらないほどありました。
    「絶対に治りたい(治してほしい)」と「絶対」を求める患者さんほど、裏切られた時の保険を用意したくなるものだと思います。それが「騙されてもいい」です。そのくらいの決意がないと宇宙船(鍼灸院)に乗り込むことはできないのではと想像(患者さんの身になると)。
    「○○さんになら騙されてもいい」というのは「○○さんを信じたい」の裏返しと考えたら、この記事どうでしょう。

  5. 「○○さんになら騙されてもいい」 より:

     患者の立場から見ると、どうみても治療家視点からの言葉です。
     症状の重い患者ほど、「治るかどうか」にしか関心がありません。
     誰が治してくれるかというのはその次の次位の問題だと思います。
     ○○さんなら・・・・ちょっと検討はずれでは?
     もっとも、医療ではなくサービスとしての鍼灸をされているようなら、この言葉は納得できなくもないですが、患者視点を持つ鍼灸師ならこの言葉は出てこないと思います。

  6. クリ助 より:

    >「○○さんになら騙されてもいい」さん
    コメントありがとうございます!
    私は「治るかどうか」を問う相手は誰か、という話をしました。「治るかどうか」を誰かに問わなければ、宙に浮いて不安定になりませんか?
    患者さんが「治るかどうか」に関心があるのは当たり前で、治療家全員が承知しております。治療家も体調を崩したり病気をする生身の人間ですから。患者と治療家に境界線はないと思っています。
    私自身、病院で治療しても全く治らず、「治るかどうかわからない」気持ちになり、その不安な気持ちを払拭してくれたのが鍼灸師でした。鍼灸ってなんだろう、鍼灸師って誰だろう、という確実なものがないところから、その鍼灸師が確実な道筋をつけてくれたのです。私はそれに感動したのです。
    最初から確実なものなんてどこにもないと思いませんか。医療に確実なものがあると思うとしたら錯覚です。誰かを盲目的に信じた時に得る感覚でしかないと思います。
    不安な時こそ、誰かを信じたいのではないですか?誰かに頼りたくなるのではないですか?その信じる気持ちに一つでも多く答えられるように、私たち医療者は努力しているわけです。
    私の言葉が冷たく感じるかもしれませんが、結局のところ技術でしか「治るかどうか」に応えられないのです。「患者の立場で考えています」という言葉は簡単に出せます。ただ、私は思うのです。症状が重ければ重いほど「やさしい言葉」より技術が重要になります(やさしい言葉が必要ではないという意味ではありません)。患者さんに対し、人間としては心で向き合い、医療者としては技術で向き合うこで信頼関係が生まれると思っています。
    「○○さんになら騙されてもいい」さんは、私を信じられない方であることがわかりました。それは現実ですから受け止めます。これにめげず、多くの方に私の言葉を信じていただけるように、努力を続けてみます。

  7. 「○○さんになら騙されてもいい より:

     コメントへの返信ありがとうございます。
     まず、クリ助さんは人間的に素晴らしい方であると思います。人間性ではなしに、この論理構成がおかしいと思っています。
     返信されたコメントも論理がいまいちつかめないのですが、まず、
    >私は「治るかどうか」を問う相手は誰か、という話をしました。「治るかどうか」を誰かに問わなければ、宙に浮いて不安定になりませんか?
    という点ですが、問う相手は誰でもよいのではないですか?
     今の症状がこのような症状でこういった治療法をしていく。このような根拠から、その治療を行った結果このような状態である可能性がある、という論理が明確かどうかがポイントなのではないでしょうか?
     
     私自身難病患者で交通事故の後遺症を抱えている患者でなおかつ医療従事者です。患者会等で病院やいろいろな治療法の話は出ますが、「○○さんになら騙されてもいい」という言葉は一度でも聞いたことはありません。
    >患者さんが「治るかどうか」に関心があるのは当たり前で、治療家全員が承知しております。治療家も体調を崩したり病気をする生身の人間ですから。患者と治療家に境界線はないと思っています
    本当に、承知されていたら「○○さんになら騙されてもいい」というようなこの記事に載せられているような言動はでてこないはずです。
     

  8. 続き より:

     確実な医療があるとは患者も認識してはいないと思います。ただ、患者が信じようとするのは、治る可能性と自分の未来(その時自分の身の周りにいてくれる人間のためにも)なのではないのでしょうか?
     もっとも、精神系の疾患なら別かもしれません。疾患ごとの意見の相違は当然ながらあるはずです。ちなみにクリ助さんはどのような疾患だったのでしょうか?
     疾患によっては、○○さんにならという論理にはならず、確実とは言えないまでもより可能性の高い医療を探そう、「治療者は問わない」とする患者のほうが多いのではないでしょうか?

  9. 匿名 より:

    クリ助さんにはこちらのコメントにも向き合って欲しいです。お願いします。

  10. クリ助 より:

    コンセンサスがとれているような医学では、学術論文や疫学調査などが、可能性を示す根拠になるでしょう。しかし、鍼灸をとりまく環境は全く事情が異なると思います。
    「鍼灸」というのは治療法にあたらないと考えています。「鍼灸なら治る治らない」という話と「フライパンで作れば美味しい不味い」という話と同義です。問題は、鍼灸師の腕、料理人の腕だと思うのです。
    食べたことのない料理。どのシェフが作る料理を美味しいと信じるのか。ただ、そういう話です。
    当院にいらっしゃる患者さんの多くは、他の医療機関やいわゆる整体などの民間療法で改善が見込めなかった方です。そんな方が鍼灸をなぜ選ぶのか…。鍼灸しか信じるものがなくなったからです。信じなければならない状況まで追い込まれている人も多いです。「藁にもすがりたい」想いと言い換えることができます。
    患者さんは、当院で大きな可能性を信じてやってきているわけではありません。これは事実です。「ダメでも仕方ない」という気持ちのまま施術を受ける方がいらっしゃるのです。私も初めての鍼灸の時はそうでした。
    「○○さんになら騙されてもいい」という言葉に抵抗がございましたら、「治らなくても仕方ない。だけど○○さんなら信じてみてもいいかもしれない」という言葉に言い換えてもかまいません。
    ちなみに私が鍼灸を受けるきっかけになったのは、膝の痛みでした。この膝の痛み、膝専門と言われるドクターに見放された激痛を伴うものです。鍼灸に可能性を感じたから鍼灸を受けたのではありません。鍼灸しかもうなかったのです。目の前に現れた鍼灸師を信じるしかなかったのです。そんな追い込まれた状況でした。自分の症状に対してどういう治療法が有効なのか検証することより、効果がないかもしれないが(騙されるかもしれないが)やってみるしかない状況だったのです。

  11. 思考の癖 より:

     もう言葉遊びのレベルになってきてるので、細かい突っ込みはなしにして、
    「治らなくても仕方ない・駄目かもしれない」こう思われる患者さんは多いと思いますが、なら
    ⇒「騙されても構わない」「信じてみてもいいかもしれない」というところに、思考の癖というか、患者視点が欠けているなと感じる人間が少なからずいるというところを念頭において頂ければと思われます。

  12. クリ助 より:

    >思考の癖さん
    ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。おかげさまで、言いたいことが補足的にたくさん書けました。ただ、そもそも「騙されてもかまわない」という表現が言葉遊びなのですが…。「患者さん思いの私」を真正面からアピールできないシャイな人間ですかね。

  13. より:

     言葉遊びで、「騙されても構わない」ですか・・・・。それが、危険な「思考の癖」だということに気付けませんか?
     そこを感じ無い方だったら、もはや・・

  14. クリ助 より:

    もはや・・医療人として失格と言いたいのですよね。それはとっくに承知しております。
    さらに言いたいことがございましたら、こちらまでお越し下さい。それが難しければ身元を明らかにしてください。それができないのなら、これ以上のコメントはご遠慮願います。

  15.   より:

    言葉遊びで、「騙されても構わない」ですか・・・・。それが、危険な「思考の癖」だということに気付けませんか?
    ここまでは同感です。
    「言葉『遊び』」なんて言葉使って欲しくありませんでした。

  16. 申し訳ありませんでした。 より:

     上のコメントさせて頂いたいくつかは私ですが、別の人間のコメントも多々あります。
     確かに、身元を隠したまま批判のコメントを載せるのは、どう考えてもダメですね・・。
     私も開業しようとしているコメディカルの一人なので、間もなく(独立しますので)身元を明らかにします。(予定です)
     たいへんの無礼の数々申し訳ありませんでした。貴女様は応援したいと思える数少ない人間の一人です。
     ご活躍をお祈り申し上げます。

  17. クリ助 より:

    お会いした際には、議論を重ねていければと思っております。応援ありがとうございます。心より嬉しく思います。開業されましたら、ぜひご連絡ください。

タイトルとURLをコピーしました