呪われた肩

■痛みがとれたら動く、動いたら痛みがとれる

五十肩の治療で苦労するのは痛みの緩和ではなく可動域の回復の方だったりするのです。慢性化してしまったものは、痛みが消えても可動域が元に戻らないことが多いのです。この時点では炎症が治まっているので肩関節周囲炎(五十肩の医学的名称)と言えるのかどうかわかりませんが。

五十肩で肩が動かない原因は、主に2つ。

 1.痛み(炎症によるもの)
 2.肩関節周辺の筋肉のこわばり
 3.骨の変形

1と2が絡み合っています。
1の原因が2であったり、2の原因が1であったりします。3は1も2も放っておくと起こってしまうことがあります。こうなると、鍼灸師にはどうにもできなくなってきます。対象は1と2です。

どちらかといえば、急性期(すごく痛くて夜も眠れないような時)は、1が主役です。こんな時は、痛みを取ることから考えなければなりません。こんな時、前回の記事で書いたような「水かきのツボ」などが大いに役に立つ可能性を秘めています。清熱作用といって、熱を冷ます働きがあると言われているツボが水かき周辺にはたくさんあるからです。

水かきのツボだけですべてが解決するとは限りません。解決する場合があればそれはラッキーなケースだと思います。動きの問題が取り残されてしまうことがあります。関節の可動域に制限が残っていると、動いた時に関節に負担がかかり再び炎症を招いてしまいます。

第2ステージは関節の正しい動きを取り戻すことにあります。
動かすことで痛くない状態を保つという考えです。

 不動則痛、動則不痛(動かなければ痛み、動けば痛まない)
 ※クリ助が勝手に作った文句です。

ちなみに、第1ステージは、

 不通則痛、通則不痛(通らないと痛い、通れば痛くない)

でした。これは、鍼の基本的な治療原則の一つです。「通」とは「循環」や「出入り」のことです。血液が巡っていたり、呼吸によってガス交換がされたりしている様子をイメージしてください。関節や筋肉に必要な栄養が流れて老廃物が去っていけば痛みが取れるので、それを鍼でお手伝いしようという考えです。

第2ステージの治療原則にしている

 不動則痛、動則不痛(動かなければ痛み、動けば痛まない)

は活法(かっぽう)をヒントに私が作った言葉です。
いつかメジャーになる日がやってくることを密かに願っています。いつの日か~♪

※第1ステージと第2ステージは状況によって逆転します。その時、その場にあった方法を選びます。痛すぎて動かせない時は、痛みを軽くして動けるように。動かせば痛みが軽くなるようであれば動かします。交互になる場合も。

■痛みのルートを外すテクニック

度々、このブログに出てくる「活法」。武術から生まれた整体術のようなものです。言ってみれば、元祖整体術です。「整体」ではあるのですが、私が学んでいる「碓井流活法」はちまたで行われている「整体」とはかけ離れているので、あえて「活法」という表現にこだわっています。

「居たい(イタイ)と思うから痛い(イタイ)んだよ」

は碓井師範の口癖のようなものです。
最初は単なる「オヤジギャク」の一つだと思って、右から左に流しそうになりました。でも、そうしなくてよかったのです。

この言葉の本質は、脳の認識と記憶にあります。

脳が動かないと間違った記憶をしているために、ある地点で「もうやめろ!」という緊急信号(痛み)を出してしまうわけです。脳の勘違いです。

この勘違いを解くためには、動かしてしまえばよいのです。もちろん、普通に動かしたら「痛い(イタイ)!」と抵抗されてしまいます。だから、痛みのルートを逃げて動かすのです。活法にはそういう技があります。実に巧妙です。活法を習って茶髪に染めたなら、きっとこう言います。

 「カッポー、ヤバクね?」
 「考えた人、天才じゃね?」

一旦、動いてしまうと、脳は「動ける」ということを再認識し、再記憶します。記憶が定着したとき「治った」ということなるわけです。

しかし、記憶は1回で定着するとは限りません。

■脳の上書き保存

英単語を覚えても1週間後には忘れているなんてことがあるように、脳は1回で記憶を定着させるとは限りません。治るというのは、ただ覚えるだけではありません。古い記憶(イタイ)の上に、新しい記憶(イタクナーイ♪)書きするわけですから、けっこう大変なのです。

※英単語記憶は説明のために例に挙げただけなので、実際の記憶構造は異なります。

記憶を定着するにはどうしたらよいのか。
3つあると思います。

1つ目は確認

古いものと新しいものは何が違うのか、その差をきちんと確認することで記憶がしやすくなります。“なんとなく”見たものは覚えることでできませんよね。

2つ目は感動

驚きや喜びを伴うことです。インパクトのある出来事にしてしまうのです。演出にかかっています。感動が大きければ1回で記憶は定着します。

3つ目は反復

1回で定着しないなら2回、3回と繰り返すわけです。英単語を覚えるのと同じように、同じ日に何度も繰り返すよりある一定期間を空けてから繰り返す方が効果があるようです。この一定期間は時と場合によって異なります。

治るというのは、古い記憶の上に新しい記憶が上書され定着することです。1回の施術で回復しても数日後には再び症状が表れる、といのは記憶が定着していないからです。

■呪(しゅ)

その場でラクになった患者さんは、よくこんな質問をされます。

「いつまで持ちますか?」

どう答えるかは別にあるとして、本音で答えるとすれば、

「あなたの記憶力次第です」

となります。

「お勉強」に使う記憶力と違って、身体のコンディションを覚える記憶力というのがあると考えてよいと思います。

記憶が良すぎてしまうと悪い状態のことを忘れることができないので、記憶力がよいほど治りがよいとは言えないとでしょうね。嫌なことは忘れて、良いことは覚える、という都合のよい記憶力がベストです。

実は、「いつまで持ちますか?」という質問はオカシな一面をもっています。まるで悪い状態が“標準”で良くなった状態が“特別”であるかのような言い方だと思いませんか?悪い状態を居場所にしている意識がそこには存在しています。

本来、標準は「健康状態」ですよね。

元気でいるとき、「この元気はいつまで持つのだろうか…」などと悩みませんよね。悩んでいたら、もうそこは病気の入口。つまり、「いつまで持つか?」という発想そのものが「悪い状態」に縛られていることを意味しています。

当然、この縛りから自力でラクラクと抜け出せる患者さんは少ないです。だから、縛りを解くお手伝いをします。

この縛りのことを『陰陽師』の安倍晴明は「(しゅ)」と呼んでいます。そういえば、5年半前のブログにそんなことを書いていました。なつかしいです。

「病気の呪縛を解く」なんとも日本らしい。
活法は日本で生まれた日本の技術です。

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コメント

  1. sano より:

    体験会で一番疑問に感じていたことが、少しすっきりしました^^ありがとうございます。
    一つ質問したいのですが、例えば激しい気虚の患者さんで、主訴は肩こりだけど東洋医学的に確実に気虚が原因と考えられる場合、気虚に対する治療を行って活法も施せば動く記憶が再インプットされやすいと思いますが、気虚をほったらかして、活法の脳の記憶にだけ頼るのみで記憶されていのでしょうか?
    記憶されるにしても動いた記憶をインプットできる状態まで体が改善していることが前提になると思うのですが、臨床通じてはどのように感じていますか?
    難しい質問ですみません。m(__)m

  2. クリ助 より:

    >sanoさん
    回答としてはあるのですが、sanoさんの「気虚」がどのようなものを指しているのか、正確に理解できていないと思いますので、ご質問の意図を想像しながら書いてみますね。
    記憶の再構築と証(虚実)は、次元の違う話なので、重ねて考えることは難しいことのように思います。
    「気虚」は、鍼灸や湯液をする上では状態把握と対処法を同時に示してくれる言葉ですが、西洋医学に持ち込んでも役に立ちませんよね。「ロキソニンは気虚の人に効くか」という質問が成り立たないように。
    確認、感動、反復ができない状態であれば、記憶の再構築は難しいと思います。活法では参加型の施術がメインになるので、参加できないほど弱っている、という状態では難しいとは思います。
    説明が足りませんでしたが、「痛みのルートを外す」ことや「脳の認識と記憶」だけが活法の理論ではありません。ですので、確認、感動、反復ができない状況であれば別の理論(アプローチ)を使えばよいのです。活法の起源がそもそも蘇生法なので、弱っている人に対するアプローチもあるわけです。

  3. sano より:

    レス有難うございます^^
    用語が違うと質問も難しいですね(汗)
    とりあえず、活法の理論の話はおいておいていただいて、活法を施したことで東洋医学的にも全身が調整された状態になるのか?ということをお聞きしたいのです。(抽象的で、すみません><)
    例えば、証は何でも良いですが、施術前の診察で東洋医学概論に載っている「肝気鬱結」という証が立った肩こりを主訴とする患者さんがいたとします。
    活法で肩こりを改善したとします。
    施術後、再度東洋医学的に診断をした際に次の2パターンが考えられます。
    ①肩こりが改善し、「肝気鬱結」(東洋医学的な証)も改善する。
    ②肩こりのみが改善し、「肝気鬱結」東洋医学的な証)は残る。
    肩こりによって「肝気鬱結」が起ったケース(肩こりが原因で肝気鬱結が結果)であれば①の結果が得られやすいと思います。
    「肝気鬱結」によって肩こりが起ったケース(肝気鬱結が原因で肩こりが結果)であれば②の結果が得られやすいと思います。
    そのほかに、活法には肝気鬱結を改善する作用がある。という可能性がありますのでその場合は②の結果が高確率で得られると思います。
    卵が先か鶏が先かという感じもありますが、活法が及ぼす影響というのを「東洋医学的な視点」から考えることで、明らかに②の状態にある患者さんの方が精神的にも落ち着いているわけですから、活法で作った治るきっかけを安定させやすい状態にあるとは思います。
    ただ、理論上での話しなので、臨床的に常に①の結果を得られるかもしれませんし、常に②の結果が得られるのかもしれません。活法を使っていてどのように感じていらっしゃいますか?
    あと、中医学がよくわかっていないので、肝気鬱結をイライラ、胸脇苦満、怒りっぽい、胸悶、ため息、梅核気、月経異常などの症状が起る、脉弦といった認識でいますが、間違っていたらすみません。

  4. ムム より:

     こんにちは。
     要は認識のステージですね。知らず知らず痛い世界が基準となるように、私達も知らず知らずマニアックな独りよがりにならないように気をつけていたいですね。
     持ちますか?という異常を基準にしての言葉。また、痛い・痛くないという判断基準もしかりですね。身体に対しての認識基準が痛い・痛くないですと、無理やり痛いところを探してしまう事にもなりますね。
     
     活法・・・考えれば考えるほど面白い世界です。宝の山・・・というよりもダイヤの原石の山でしょうか。

  5. クリ助 より:

    >sanoさん
    活法に向き合う姿に、sanoさんの情熱を感じます。活法って何だろう…と考えていることってとても大事ですので、その気持ちに私はとても刺激されています。
    ご質問を整理すると、肝気鬱結の症状である「イライラ、胸脇苦満、怒りっぽい、胸悶、ため息、梅核気、月経異常」が、活法の肩こりアプローチによってどうなるのか、という質問でよろしいでしょうか。また、活法で脈に変化が起こるかどうか…、ですよね。
    結論としては、何かしらの変化は起こるでしょう。肩こりに使える活法の技として、私が常用しているもので数十種類あります。それぞれの技がどこかの経絡に作用をしているでしょうし、臓腑にもその影響は及んでいるはずです。
    中医学の視点から活法を解こうとする姿勢は素晴らしいと思います。ただ、湯液育ちの理論で武術系の技術を解こうとするわけですから、難しくなります。たとえば、温度計で速度を測るのが難しいように。
    鍼灸と活法の相性が良いと私が考える理由は、どちらも陰陽論に基づいているからです。中医学と活法の理論は、陰陽論の違った方向に伸びた枝です。一緒のところに居ては理解が得られないから枝分かれしたと私は考えています。
    活法から鍼灸を理解しようとするとき、そして鍼灸から活法を理解しようとするとき、一旦幹まで戻る必要があるように思います。
    そこで、私は「不通則痛、通則不痛」にまで立ち返ることで、鍼灸で活法を理解しようと試みました。そうして、「不動則痛、動則不痛」という言葉に置き換えて、鍼灸師の立場から活法を理解しようと試みたのです。でも、「不動則痛、動則不痛」は活法の一部を言い表したに過ぎず、活法の世界はもっと広いです。

  6. クリ助 より:

    >ムムさん
    おっしゃるように、知らず知らずに「基準」ってつくってしまうものですよね。それに気がつくまでが大変で(笑)
    活法を使う人が増えれば増えるほど、活法の可能性がどんどん広がっていくと信じています。だから、私もダイヤの原石だと思います。

  7. sano より:

    レス有難うございます。
    自分は経絡治療を行っていますので、全ての病気が臓腑経絡の異常としてとらえるようにしています。
    中医学は他の治療法をされている先生と話すときの共通言語として多少勉強した程度で、運用までは出来ていません(汗)
    はっきりしたことを言ってしまうと、現段階だと活法の働きを臓腑経絡の反応と言う立場で調べるところまでは、活法研究会でも研究し切れていない分野であるということですね。
    経絡治療は標証の治療は個人の先生のセンスに頼るところが大きいので、自分はそこの部分を活法で補えたらいいなとは思っております。
    また、機会があればよろしくお願いします。

  8. クリ助 より:

    >sanoさん
    鍼灸各流派の範囲から一歩抜け出た方が、活法の魅力をより感じることができるように思います。
    ちなみに、活法の碓井師範は活法のことを「筋肉学」と表現することもあります。正経十二経は臓腑との関係をみるのにはよいと思いますが、筋肉系統を調整するには物足りなさを強く感じます(あくまでも個人的意見です)。
    そこで頭に浮かぶのが経筋です。調査不足で、経筋を上手に運用している先生を知りません。お恥ずかしい限りですが、経筋のことを私は知らなすぎます。このブログを通じて、経筋博士と出会えたら嬉しいな、と思っています。
    今後、活法研究会が鍼灸とのつながりの部分を研究していくなら、経筋がキーワードになると思います。
    sanoさんのおかげで、活法と鍼灸の関係性を見直す機会を改めて頂きました。コメントに感謝します♪

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