その鍼を刺したのは誰なのか ―ドライニードルが突きつける鍼の資格問題

その鍼を刺したのは誰なのか

鍼治療で気胸になった。
鍼が折れて体内に残った。
鍼治療のあとに感染症を発症した。

鍼灸の安全性について調べていると、このような症例報告がいくつも見つかります。もちろん、鍼灸師として無視してはいけない問題です。

鍼は身体の中に入れるものです。安全に施術するためには解剖学の知識が必要ですし、感染対策も必要です。どんなに経験を積んでも、事故を起こさないための努力に終わりはありません。ところが、こうした有害事象について調べているうちに、別のことが気になり始めました。

その鍼を刺したのは誰なのか。

これが、わからないのです。

鍼による事故は報告されている

全日本鍼灸学会では、定期的に鍼灸の有害事象に関する文献レビューを行っています。たとえば2020~2023年に医学雑誌などに収録された症例報告を調査したレビューでは、国内だけで33文献が収集されています。

内訳はこのようになっています。

鍼の有害事象と文献数の概要表

ここでいう臓器損傷には、鍼治療でよく知られている気胸などが含まれます。大切なのは、鍼は絶対に安全だと言い張ることではありません。事故は起きています。私たち鍼灸師は、その事実から目をそらしてはいけません。

ただ、私はこの資料を読みながら、別の疑問を持ちました。

この事故を起こした人たちは、はり師だったのでしょうか。

「鍼による事故」と「鍼灸師による事故」は同じではない

日本では、医師以外の者が「はり」を業として行うためには、はり師免許が必要です。はり師は国家資格です。

養成施設などで3年以上学び、解剖学、生理学、病理学、臨床医学、衛生学、はり理論などを学んだうえで、国家試験に合格しなければなりません。

ところが、鍼による有害事象の症例報告を読んでいくと、施術者について、

「鍼治療を受けた」
「鍼施術後に発症した」
「鍼灸院で治療を受けた」

といった記述にとどまり、施術者がはり師免許を持っていたのか確認できないものがあります。

ここには大きな違いがあります。「鍼によって起きた事故」と「国家資格を持つ鍼灸師が起こした事故」は、同じではありません。ところが、施術者の資格が記録されなければ、後から区別することができません。

私はここに、これからの鍼灸業界にとって大きな問題があると思っています。

実際に無資格者による鍼事故は起きている

これは単なる想像ではありません。

過去には、はり師免許を持たない者による鍼施術で重大な事故が起きています。よく知られているのが、2000年代に大阪で起きた死亡事故です。施術したのは柔道整復師でした。鍼灸専門学校には在籍していましたが、まだはり師免許を取得していませんでした。

つまり、無免許で患者に鍼を刺し、気胸が起こり、患者が亡くなってしまったのです。

考えてみてください。もし事故の詳細が残らず、「鍼治療後に気胸を発症して死亡」という情報だけが残っていたらどうでしょう。後から調べた人は、鍼灸師による事故だと思うかもしれません。

しかし実際には違います。この事故を起こした施術者は、はり師ではありませんでした。だから私は、現在報告されている鍼の有害事象についても気になります。

資格が書かれていない以上、国家資格者によるものなのか、無資格者によるものなのか、わかりません。もちろん、「資格不明の事故の中には、無資格者によるものがたくさんあるはずだ」と言いたいわけではありません。

データがないのでわかりません。反対に、「すべて国家資格を持った鍼灸師による事故である」とも言えません。わからないのです。そして私は、わからないこと自体が問題なのではないかと思っています。

なぜ今、有害事象の記録が気になるのか

理由があります。

ドライニードリング(Dry Needling)です。

海外、とくに欧米では、理学療法士などがドライニードリングを行っている地域があります。筋肉などに細い鍼を刺す施術です。ツボや経絡を使わない。東洋医学ではない。だからAcupunctureではなくDry Needlingである。そう説明されることがあります。

患者の身体から見れば、細い金属製の鍼が皮膚を貫いて身体の中に入ってくることに変わりありません。そして、日本には日本の法律があります。厚生労働省は、医師以外の者が「はり」を業として行う場合には、はり師免許が必要であり、無免許で行えば処罰の対象になると明示しています。

「ツボではなく筋肉を狙っています」
「東洋医学ではありません」
「これは鍼治療ではなくドライニードリングです」

名称や理論を変えることで、日本で「はり」を行うために必要な国家資格までなくなるのでしょうか。少なくとも私は、そのような法的根拠を確認できません。

海外の事情がそのまま日本に入ってくる

海外では事情が違います。

国や地域によって資格制度が違うため、理学療法士などが一定の教育を受けたうえでドライニードリングを行えるところがあります。それ自体を批判しているわけではありません。その国の制度の中で認められているのであれば、日本の鍼灸師が口を出す話ではありません。

問題は、その情報だけが日本に輸入されることです。

「アメリカでは理学療法士がやっている」
「海外では普通の技術だ」

このように言われると、日本でもできるような気がしてきます。

しかし、海外で誰が行えるかという話と、日本で誰が行えるかという話は別です。実際、東京2020オリンピック・パラリンピックでも、この違いは問題になりました。

海外の大会では理学療法士やカイロプラクターなどがドライニードリングを行うことがあります。しかし東京大会では、日本の法制度に合わせて鍼灸師が「はり治療」を担当する体制がとられました。

つまり、この問題は未来の空想ではありません。すでに日本と海外の資格制度の違いとして現実に存在しています。

実は、この問題は何年も前から鍼灸師の間では問題視されていまして、私がX(旧ツイッター)で、次のポストをした際には大きな反響がありました。

「マッサージ」で起きたこと

ここで私は、マッサージのことを考えてしまいます。

日本には「あん摩マッサージ指圧師」という国家資格があります。ところが街を歩けば、「整体マッサージ」「リラクゼーションマッサージ」「もみほぐし」といった看板をいくらでも見かけます。一般の人が、「あん摩マッサージ指圧師」と「整体師」の資格の違いをどれくらい理解しているでしょうか。

そもそも整体師は国家資格ではありません。厚生労働省は現在でも、無資格者によるあん摩・マッサージ・指圧について注意を呼びかけています。それでも社会では、「マッサージ」という言葉と国家資格の結びつきはかなり曖昧になりました。

私は、同じことが鍼でも起こるのではないかと心配しています。

「鍼ではないドライニードリングだ」と。

これは「マッサージではない整体だ」と構造が全く同じなのです。

そして事故が起きる

ここで最初の話に戻ります。

仮に、はり師免許を持たない人がドライニードリングを行ったとします。

肩甲骨周辺に鍼を刺した。
患者が胸痛を訴えた。
病院へ行った。
画像を撮ったら気胸だった。

医師は症例報告を書きます。

「鍼施術後に発症した気胸」

もしそこに施術者の資格が書かれていなかったら、どうなるでしょう。
数年後、安全性について文献レビューが行われます。

「鍼関連の有害事象――気胸1例」

となります。

さらにそれが、「鍼治療では気胸が起こることがある」という情報になります。

一般の人がそれを読めば、「鍼灸師が起こした事故」と受け取る可能性があります。事故を起こしたのが鍼灸師ではなかったとしてもです。

国家資格は何のためにあるのか

はり師になるためには、学校や養成施設で3年以上学ばなければなりません。

解剖学も学びます。
生理学も学びます。
病理学も臨床医学も学びます。
衛生学も学びます。

もちろん、学校を卒業して国家試験に合格したから事故を起こさない、ということではありません。
国家資格者だって事故を起こす可能性はあります。だからこそ安全教育が必要です。

しかし、ここで一つ疑問が生まれます。

国家資格者と無資格者を区別せずに事故を集計してしまったら、国家資格制度による安全教育が実際に事故を減らしているのかどうかさえ検証できないのではないでしょうか。

仮に有資格者の事故率が低かったとしても、わかりません。逆に差がなかったとしても、わかりません。データを取っていないからです。

事故を報告するとき「誰が刺したのか」を記録してほしい

私が言いたいことは、無資格者が危険で、鍼灸師なら安全だ、という単純な話ではありません。
調べてもいないことを決めつけるつもりはありません。だからこそ調べられるようにしてほしいのです。鍼による有害事象を報告するとき、

少なくとも、

・はり師
・医師
・その他の医療資格者(はり師免許なし)
・医療資格なし
・不明

くらいは記録してほしいと思います。それだけで事故の意味は大きく変わります。

国家資格者による事故が多いのであれば、鍼灸師の教育を見直さなければなりません。特定の部位で事故が多いのであれば、安全教育を強化すべきでしょう。もし無資格者による事故が多いのであれば、取り締まりや社会への周知が必要です。

差がないのであれば、それも重要な事実です。ところが今のままでは、その議論の出発点となるデータがありません。

鍼灸師の問題として考えたい

ドライニードリングという言葉が日本でも聞かれるようになりました。
私はドライニードリングという技術そのものを否定したいわけではありません。

経絡を使うのか。
筋肉を狙うのか。
トリガーポイントを狙うのか。

それは治療理論の話です。資格とは別の話です。どんな理論であっても、人の身体に鍼を刺す以上、安全性の問題から逃れることはできません。そして事故が起きたとき、その事故が「鍼による事故」として記録されます。

そのとき施術者の資格が記録されていなければ、国家資格を持って長年仕事をしてきた鍼灸師まで、同じ一つの箱に入れられてしまいます。私はそこに危機感があります。

マッサージという言葉と国家資格の境界が曖昧になっていったように、

鍼もまた、

「Acupuncture」
「Dry Needling」

と名前を分けることで、誰が身体に鍼を刺してよいのかという境界まで曖昧になってしまうのでしょうか。

事故が増えてから議論しても遅いと思います。まず必要なのは「その鍼を刺したのは誰なのか」を記録するルールです。事故を記録するとき、それも一緒に記録する。そこから始めるべきではないでしょうか。

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