18日の金曜日、親戚がやってきました。
福島県の南相馬市からやってきました。
正確に言うと、私の自宅からすぐ近くの実家に。
親戚に話によると、津波は家のすぐそこまでやってきたということです…。つまり、数百メートル先には、報道されているあの状態があるということです。
生き残っている人(被災したけれど、家や畑が残っている人)は、食料や物品を分けたり交換したり、地域の輪の中で頑張っているようです。そんな話を、計画停電中の薄暗い中で聞くことができました。おにぎりを食べながら。
そのおにぎり、実は南相馬でにぎられたもの。移動中に食べようと思ったおにぎりが余って残ったようです。経緯はなんであれ、避難民から食事を頂くという珍しい経験をしました。どうしてかわかりませんが、そのおにぎりに感動しました。
悲惨な現状を見てきた人が目の前で明るく振る舞っている、このことに勇気をもらい元気になりました。言われなければ、避難者とは誰も思わないでしょう。ガソリン不足や計画停電で不便はありますが、命があることに感謝。
群馬には、多くの避難者がやってきているようですね。
報道でその数字を見ましたが、その数字が正確でないことが今回わかりました。避難することを行政に伝えずに出て行った人は「避難者」にカウントされていません。
現在発表されている行方不明者の中に、必死で避難して連絡できない人(または、連絡してもゴタゴタで情報が届いていない人)がたくさんいてほしいと思います。そう願います。
冷静沈着に行動してきた親戚ですが、行政への連絡をすっかり忘れていました。同じ地域から非難してきた人に、こちらで偶然出会ってその場で指摘をされて気が付いたようです。
親戚は明日南相馬に戻るようです。被災地で役立ちそうなものをクルマに積んで。そして、再び群馬にやってくることになっています。そのエネルギーは感動ものです。
群馬県は福島県と隣接しています。西日本の人には気が付かれないほど、ほんの一部が。被災地に比較的近く被害が少ない群馬県は、北関東、東北をサポートする意味で重要なところにある思います。行政も着々と体勢を調えているようですから、私が何か言うところではありませんが。
がんばろう、日本チーム!


コメント
うちも同じような状況なので、コメントさせていただきますね。祖父祖母をはじめ親戚が広野といわきから避難してきて、現在13人家族です~
向こうもガソリンが無いので、木曜の夜から金曜朝にかけて2往復走りました。
原発に近づくのは、30キロは離れているとはいえすごく怖かったです。まして南相馬となると…
状況はまだまだ緊迫中ですね。
祖父に聞いたら『戦後よりはまし』とのことです。
今後、微力ながら鍼灸・活法で役にたちたいと心を固めつついます。
将来ハゲたら東電にカツラ代ぐらい請求しよ(笑)
>ねもさん
13人家族ですか。茶の間のテーブルを囲む昭和の初期の光景が目に浮かびました。
ガソリン不足は深刻ですよね。私は震災の直前に満タンにしてあったので、タンクには3/4あります。避難してきた親戚に分けようとクルマ屋さんに問い合わせたら、給油口から吸い取れないので、クルマの底から抜くしかないとうことでした。悩んでいたら、運よくガソリンを手に入れることができました。親戚はこれで南相馬に戻れます。
戦争経験者の言葉は重いですね。「戦後よりはまし」という言葉、すごい言葉です。日本はそこから這い上がったわけですよね。