
■芸術(アート)と科学
鍼灸の芸術性についは、これまで何度か取り上げてきました。鍼灸から芸術性を除いてしまったら鍼灸ではなくなる、というのが私の考えです。
「鍼灸は科学でなければならない」という意見もあります。ただし、「科学で説明できる範囲は鍼灸のごく一部」であることを肝に銘じておかなければなりません。科学の中に閉じこめられると、臨床家としては窮屈だと感じます。
鍼灸を科学的に説明できる能力と、鍼灸で患者さんを満足させる能力は、全くの別物です。臨床家である私がこだわっているのは後者です。
と言いつつ、、、私は研究家タイプだと思います(笑)
私からみて、優れた臨床家は芸術性を伴っているように思います。ただ、その芸術性ばかりを取り上げてしまうと、医学としての立場が危うくなります。ですから科学的な側面を蔑ろにすることはできません。鍼灸には、芸術と科学、両面から語る必要があるでしょう。
ただ一つ思うのは、「科学」という言葉は、西洋医学への対抗の意味で用いられたり、「鍼灸は非科学的だ」と鍼灸を否定的したがる人への対策で用いられることが目立ちます。
■芸術(アート)とデザイン
ここからは「アート」と「デザイン」がキーワードです。まず、「アート」と「デザイン」の違いを確認しましょう。ウェブ屋さんが書いた記事が秀逸なので参考にさせて頂きます。
『アートとデザインの違いは?』(Webクリエイターボックス)
ここに書かれていることを引用してまとめました。
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【アート】
表現する
理解されることは重要ではない
利益のためではない
ユーザーの役割は少ない
主観的
【デザイン】
伝えること
ユーザーを動かす
商業化されている
問題解決・計画をたてる
制限がある
客観的
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こうして整理すると、鍼灸がデザインされていなければ、医療としても商売としても成り立たないことがわかります。
「患者さんが受ける全ての鍼灸は、鍼灸師(鍼灸院)によってデザインされたもの」
と言えるのです。
私は、経営者として鍼灸を考えるのがとても苦手です。「技術と経営は両輪」と耳にしますが、私には「アート」と「デザイン」を両輪とする方が性に合っているようです。
もしも、アートだけで鍼灸師をやったら・・・
「鍼灸はオレの生きる証。この気持ち、わかってくれとは言わない。オレがほしいのは金なんかじゃない。鍼灸サイコー!イェーイ!」
必要なスピリットだと思いますが、これだけでは仕事になりません。仕事にするためにはデザインする必要があります。
鍼灸でできることを伝え、患者さんを動かし、症状を改善するための提案と計画が必要です。能力の幅と照らし合わせながら最善策を模索します。その姿は、誰が見ても価値あるものでなければなりません。
鍼灸院経営は、鍼灸をデザインする行為そのものではないですか!
アートとデザイン、はっきり線引きできるものではなく境界線はあいまいです。ただ、どちらにも美意識に支えられているものだと思います。アートは主観的な美によって。デザインは客観的な美によって。
■芸術(アート)とスキル
もっとも優れているデザインは、一概に決められません。自動車で考えるとわかりやすいです。スピードを追究するF1マシンと荷物をたくさん運ぶトラックでは、求められるデザインが異なります。荷物を運べる能力という視点でF1マシンをみたら美しさはありません。
仮に流派や学派が同じであったとしても、患者さんは同じ印象を受けるとは限りません。鍼灸師によって感じ方や効果が異なります。アートが異なるからです。もちろん、上手下手の違いかもしれません。
アートは重要です。勉強熱心な鍼灸師に人気が偏っていると言い切れないからです。売れている音楽を思い浮かべてみてください。歌唱力と人気が比例しているようには見えないですよね。
(極端に下手な場合を除けば)上手かどうかなんて、ここだけの話、プロ同士でなければよくわからないと思います。患者さんには「上手そう=上手」です。スキルを測れない患者さんは鍼灸師の持つアートで判断しなければなりません。
患者さんが決して見ることができない事実があるのです。そうした隠れた事実を認めると、「患者さんの立場で考える」ことは必ずしも良心的ではないのです。患者さんが見える範囲だけで事を運ぶことにつながるからです。
■美意識に問う
専門家として患者さんに接するということは、患者さんには判断できない、区別できないようなところにも、こだわることだと思います。真の良心的は、患者さんには見えにくいかもしれません。
小難しい話をしてしまいましたが、「『手術は怖いので薬で治して下さい』という患者さんに、『はい、わかりました』と即答する医師を良心的だと言い切れますか?」という単純な問いかけです。
患者さんの立場で考えるだけでは、専門家としての意味がありません。
専門家の立場で考え、結論を患者さんに押しつけるくらいの迫力も必要です。
「患者さんが嫌がることはしない」というのは、表面的な友好関係を保つには有効であっても、医療者のとるべき態度としては、必ずしも正しくありません。「手術はしたくない(けれど治りたい)」という患者さんの本質と付き合うのが医療だと思います。「嫌がることをするのが医療」と言っているのではありません。嫌がることはできればしたくありません。
慰安と医療には境界線があります。
慰安は、相手の嫌がることはいつでも不正解ですが、
医療は、相手の嫌がることが正解になることもあります。
慰安の正解は、受け手がもっており、
医療の正解は、私たち医療者から引き出されるものです。
医療の現場には、正解を誰も知らない時があります。
そんな時は、自分の美意識に問うしかないのです。
■セミナー案内
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「アヤシイ名前」だと言われているのにリピートされています(笑)
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活法研究会


コメント
こんばんは、今回も興味深く読ませていただきました。
>「手術はしたくない(けれど治り~(以下略
実は私がていしんにこだわっているのはここへ対する疑問です。
クリ助さんのいわれるように、患者さんの嫌がることをしたくないという判断から必要な手段を行わないのは問題であると思います。
しかし、知識や技術がないから嫌がることをしなくては治せないというのは別です。患者さんが望む方法で治す方法が本当にないのか?
ていしんで結果を出せない患者さんを目の前にしたとき、「刺せば結果が出せるのか?」と自問自答します。
自分の勉強・技術不足を患者さんの希望や道具のせいにしているような気持ちになります。
難しいですね(汗
> sanoさん
sanoさんのお気持ちがよくわかります。
その点については、私はシンプルに考えています。「患者さんに選択肢を提供する(もしくは奪わない)」ようにするのも、医療者の役割と考えるようにしてます。
その選択肢の中で、患者さんが(メリットデメリットを天秤にかけて)選択をするのであればよいだろうと。
sanoさんがやっていることも、私がやっていることも、患者さんの選択肢の一つだと。だから、選択肢を生む多様性が大事だという結論です。
鍼灸師が「我が流派こそ正統」と排他的な態度を取るのが一番問題で、鍼灸師が長所短所を補い合う関係が理想だと思っています。
開業して一人でやっていると、病院のように役割分担がないので、多種多様な患者さんの要望を一人で背負う場面が多い気がします。sanoさんのジレンマは、こうした環境だから生まれるのではないでしょうか。
限界を認めるところから協力が始まるので、sanoさんのお悩み、とてもよいと思います(失礼ながら)。
返信ありがとうございます。
自分の力量では難しいと思っていた患者さんが、うその様に良くなったり、逆に簡単に治るだろうと思った方がなかなか治らなかったりで、どこで限界を区切ったらいいのか・・・正直分からなくなっています。ここら辺は経験でしょうか(汗
鍼灸師が長所短所を補い合う関係 とてもステキですね。
また、コメントさせていただきます。ありがとうございます。
>sanoさん
私も、毎日迷いの連続です。偉そうに書いていますが判断に迷う時は珍しくありません。
経験を積み重ねてわかることが確かにあります。でも、経験を積み重ねて患者さんの信頼が厚くなれば難しい症状と出会う確率も高くなるわけで、経験が新しい迷いを生んでいる部分もありますね。
患者さんの気持ちを考えると、謙遜しすぎて自信なさそうにしてしまうのもよくありませんし、自信たっぷりで空振りをするのは患者さんを裏切ることになると思うのです。
私こそ、わからないことだらけですよ。