
■不思議な職業
4月と言えば、新しい鍼灸師が世に出る季節でもあります。今年も4,000人弱の鍼灸師が免許をとっています。そんな季節だから書いておきたいことがあります。メッセージ色が強いので書くには勇気が必要でした。一部の同業者にとっては響きのよいものではないでしょう。でも、思うところがあるので書きました。ご批判は覚悟の上です。もちろん、一意見として温かく見守って頂けたら幸いです。
鍼灸をやったことがない人から見たら、なぜ鍼灸師をなったのだろう、と不思議に思うことでしょう。10年以上も鍼灸師をしていると忘れがちですが、鍼灸師は奇妙な職業です。医療システムの枠にかろうじてつま先が残っているだけで体は完全にはみ出ています。追い出されたのは明治の時代ですから、誰のせいでもありません。
江戸時代では、こんな窮屈で屈辱的な想いはしていなかったかもしれません。少なくとも、江戸時代の鍼灸書は世界に誇れるものが多いのです。このような記事を書き始めた理由は、江戸時代の文献を集めて販売するイベントに行った夢を見たからです。大量に買っている自分がいました。
最近は、古典(古い医学書)はほとんど読まなくなってしまいました。そのことに危機感を抱いていることを夢が教えてくれたのだと思います。鍼灸の真髄は、古典の中にあると思っています。私はそういう立場です。
鍼灸師でも真っ二つに分かれていて、古典に嫌悪感を抱いている人もいます。そういう人の気持ちもわからなくもありませんが、古典(当時の基準では最新医学)に支えられて鍼灸理論が発展したことは忘れないでほしいと思います。古典によって現代に受け継がれた事実を無視しての古典批判など言語道断です。
結果的に一部の同業者を批判する形となってしまいましたが、古典に刻まれた歴史を一人の個人的に否定したいのなら相当な覚悟をもってほしいです。
■現代医学的鍼灸は本当に現代的なのか
筋肉、骨、神経などの解剖学的知識をベースに行う鍼灸を「現代医学的…」と考えることには反対です。なぜなら、筋肉、骨、神経、内臓といった肉体の構造を把握して医療を施すのは、古今東西問わず当たり前だからです。
東洋医学は神秘的部分のみがフォーカスされる傾向にあり、批判したい者はそこを突(つつ)くのが、定番の手口ですが、古典を読めば解剖をして仕組みを知ろうとしていた事実が見えてきます。解剖学に東洋も西洋もないと私は思います。
鍼灸が起こした革新は、目に見える世界に止まらず、生命の本質を「気」という言葉で理解しようとしたところにあると思っています。人間は機械では説明できない存在であることに気がついたわけです。
人間は機械ではありません。機械ではない人間を、機械的要素に限って研究するのが解剖学です。ですから、解剖学的知識をベースに治療するのは、「現代医学的…」はなく「機械論的…」というべきでしょう。

東洋医学が、時に胡散臭いと言われてしまうのは、生命の本質を相手にしようとしているからだと思います。科学で証明できていない話も含まれるため、客観性に乏しいところもあります。しかし、忘れてはいけないのは、東洋医学の基である東洋思想は、自然観測から生まれていることです。そこには綺麗な数学の世界があります。
(つづく…その2)
活法研究会
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