
■もっとシンプルに見せたい
最近、自分自身に課しているテーマは「より簡単にすること」です。これには2つの意味があり、一つは「施術から無駄を省いていく」という研磨する作業で、もう一つは「どうしたらシンプルに見せることができるか」という演出のことです。
勉強すればするほど難しいことをやりたくなりますし、言いたくなります。そのまま進んでしまうと勉強すればするほど患者さんが逃げていってしまいます。難しいことができる鍼灸師になりたいと思ういっぽうで、難しいことを言う鍼灸師にはなりたくありません。
シンプルに見せるという意味は、痛いところに鍼をする技法に専念することではありません。発痛点に鍼をする効果は否めませんが、それだけではすぐに限界がやってきます。患者さんの高い要求に応えるには、人体とツボを研究し、そこから得られる知見を最大に発揮しなければなりません。
シンプルな演出は、何より患者さんのためです。鍼灸(ツボ)がどこに効いているのか、何が改善するのかがその場ですぐにわからなければ、患者さんは何のために鍼灸を受けているのか迷ってしまいます。
■理論より難しいこと
鍼灸の難しさは、理論の難解さより、曖昧さにあると私は考えています。曖昧さは、術者の感性を受容できるという良い面があるいっぽうで、術者の技術を共有しづらいという悪い面があります。
「なんとなく」を前向きに捉えてむしろ武器にできる鍼灸師がいます。私はそうでない鍼灸師です。もし「何となく」でやってしまうと施術後に罪悪感が残ります。患者さんから気持ちよくお代を受け取ることもできません。
鍼灸師になる前、ツボはきっちりとしているものだと思っていました。そのツボに鍼や灸をすれば、予測したある何かが起こると。「北斗の拳」を見て育ったからなおさらかもしれません。不確かなことが多いという現実を知ったのは、鍼灸学校に入り鍼灸の勉強を始めてからです。
勉強すると知識は得られるのですが、「何ができるようになったのか」を実感できないストレスを感じるようになりました。それでも、勉強すれば確かなものが見えてくると信じて私なりに進んでいきました。結局、何が得られたかわからないまま学校を卒業しました。もちろん、国家試験で求められる医学知識は頭に入っていましたし、鍼も灸も安全にできる技術は身につけていました。それでも、私が習得した技術は「なんとなく」なものだったのです。
鍼灸が誤解されないように補足しておきます。鍼灸師みんなが「なんとなく」と思って施術しているわけではありません。迷いなく施術している鍼灸師もたくさんいます。
私にとって「なんとなく」が放置されている限り、鍼灸は難しいままです。自分の中に潜む「なんとなく」を一つ一つ消していくことが大事な仕事となっています。このプロセスを避けて鍼灸師を続けていくことはできません。
■ツボ一つ一つにゴール設定
鍼をすると何が起こるのか?「血流がよくなる」という説明では不足です。ツボ一つ一つに対して、何が起こっているのかを知りたいのです。そうでなければ、そのツボと隣のツボを使い分ける理由がありません。「指が自然に向かう方」という感覚的な理由では納得できないのです。
サッカーをやっているわけではありませんが、たぶんゴールのないフィールドでひたすらシュート練習をしているような感覚です。感性を磨くにしても、確かなゴールの設定がほしいのです。
明日は、活法研究会の特別セミナーです。私が設定したゴールをお見せします。新しい出会いがあると思うと興奮して眠れません。
■鍼灸師のための勉強会
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活法研究会 特別セミナー(下半身編)
日時:2014年8月31日(日) 11:00~17:30
定員:15名 満席
会場:ホテルサーブ会議室(東京都目黒区)
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