神の手はどこにある?

神の手はどこで探せばよいのか…。答えはすべて患者さんが知っています。

「術」に応じた「学」

鍼灸の性質を考えると「術」に偏りやすいと言えます。同じ「学」であっても、施される「術」には違いが出てしまいます。「学」から外れても「術」が圧倒的に優れていれば、通じてしまうことがあります。鍼灸は個々の能力が大きく左右してしまいます。

だからと言って、「『術』さえあれば『学』はいらないのだ」と思っているわけではありません。鍼灸の未来を考えるなら、「学」の強化が重要な課題です。

ただし、「術」に応じた「学」でなければなりません。各方面の知識を個人が蓄えても「物知り」でしかないからです。前回の記事で書いたとおり、「学」は組織に帰するものだと思っていますので、個人の知識は学問とは言えません。誰かとシェアすることができるのが学問だからです。

江戸鍼灸のバランス感覚

鍼灸の理論ができたのは二千年くらい前の中国です。二千年の間に、いくつかのベストセラーと言われる鍼灸書が出ています。

日本でも江戸時代には、数多くの鍼灸専門書が出版されています。日本の鍼灸を語る上でもっとも重要なのが江戸時代です。しかしながら、江戸時代に栄えていた流派は現在にほとんど残っていません。有名流派の書物だけがかろうじて残っています。

江戸時代は「学」と「術」が師匠から弟子へ継承された時代だと言えるでしょう。徒弟制度があったからです。一度、江戸時代の書物を開くと江戸鍼灸のレベルの高さがわかります。現在のように学校で画一的な教育をされることはなく、各流派は門弟を抱え、独自の学術を伝えていたと想像できます。

「学」に準じた「術」があって、「術」に応じた「学が」あることが大切だと思います。江戸時代は、バランスに優れていた時代だったかもしれません。昨今は、徒弟制度は崩壊しています。徒弟制度を復興させようと思っているわけではありません。この時代には、この時代のやり方がありますから。ただ、見直さなければならないのは、学と術のバランスです。

科学に東も西もない

西洋医学の知識も学の内です。しかし、鍼灸の「学」となるとは限りません。鍼灸には鍼灸の「学」があるからです。

鍼灸の治効機序を科学的に説明できる人は一人もいません(できるのはごくごく一部のみ)。仮に西洋医学を徹底的に学んだとしても、鍼灸の治効機序を説明できません。つまり、東洋医学でも西洋医学でも、鍼灸を科学的に説明することはできないのです。

そもそも、科学に東も西もありません。東に行っても西に行っても変わらないものが科学だからです。「東洋医学は非科学だ」と言う人には「西洋医学は科学的なのですか?」と言い返せばよいだけです。

誤解のないように言いますと、東洋医学を賛美して、西洋医学を非難しているわけではありません。「東洋医学は科学で説明する必要ない」と考えることや、「西洋医学は科学のお墨付きをもらっている」と考えることが嫌いなのです。

自戒の念の込めて言うと、鍼灸師は科学する姿勢に欠けている場合が多いです。一つだけ言い訳があります。鍼灸の世界には、臨床と研究に分かれて各々が専門分野を徹底的に追究できるような環境がないのです。現状の制度では、一人一人の臨床家が研究心をもって臨床にあたるしかありません。研究に専念できる鍼灸は数えるほどしかいません。昨今の鍼灸は臨床家一人一人の努力と工夫によって支えられている状態だと言えます。

神はどこにいるのか

病気や症状の治し方は、患者さんの中にあります。常に答えは患者さんが持っています。私は、そう考えて臨床を行っています。勉強をすることも大切ですが、その勉強の中に答えはありません。勉強は、患者さんから答えを引き出すために必要なのであって、勉強が患者さんを治すことはありません。

神は患者さんの中です。

その神と出会うために必要なのが学術なのです。臨床とは常に神とである儀式のようなものです。神に好かれるためには、常に素直で謙虚でなければならないと思います。

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