鍼灸にはマイノリティであるが故の価値がある

鍼灸師が独立したがる理由のつづき

■多数意見がもたらす弊害

自由診療はマイノリティです。

マイノリティというのは、必要とされていないのではなく、特定の人から必要とされている状況です。時に、強く必要とされています。だからこそ、消えずにマイノリティとして存在しているのです。

自由診療の価値は、わかる人にしかわかりません。

諦めではなく、構造を受け入れると、こういう結論になります。たとえば、大衆にアンケートを取ってしまうと、自由診療は存在価値がもみ消されてしまいます。だから「鍼灸は必要ですか?」という質問をしてはいけないのです。

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ある地域で市営のバス路線が消えました。取りやめる前に行政はあらかじめアンケートを取っていました。市民に問いかけたのです。

「必要ですか?」

その結果、行政は「市民は必要としていない」と判断したのです。クルマを持たない一人暮らしの高齢者は移動手段を失いました。クルマを持って自由に動き回っている世代が数では圧倒しています。一人暮らしの高齢者がアンケートで圧倒的多数を得られるわけがありません。

みんなの意見が真理を語るわけではありません。時に、少数意見ほど重要です。マイノリティな世界で愛されているものは、「さあ、みんなの意見を聞こう」というオープンにすると自滅します。自由診療も例外ではないと思います。

マイノリティの世界で生きているとマジョリティに対して強い憧れを抱くようになります。大衆に受け入れてほしいと思っても、現状をよく見て“その時”でないなら“憧れ”だけにしておいた方がよいのです。

■マイノリティ思考は生きていくための術

そもそも鍼灸師がマイノリティな生き方になります。ただ、鍼灸師がマイノリティなのではなく、自由診療がそうさせてしまっているのです。もし、鍼灸が保険診療になったら鍼灸師の雰囲気がガラッと変わるでしょう。よい意味でも悪い意味でも。大衆的で無難な方向に向かうと思います。

自由診療という条件付けが、鍼灸師のマイノリティ思考を生んでいるという側面は重要です。鍼灸師がマイノリティなのではなく、自由診療という差別化を強制される環境が鍼灸師をマイノリティ思考に追い込んでいくのだと思います。

駆け出しの頃は、マイノリティに抵抗していました。大好きな鍼灸をみんなに理解してもらえないことが悔しかったからです。でも、今は180度変わりました。むしろマイノリティを追究した方が賢いと思うようになっています。もしかしたら、つまらない大人になってしまったのかもしれません。

■ブランドはマイノリティから生まれる

真面目な話、マイノリティとはブランドです。人間の欲は希少なものを求めます。「みんなと一緒は嫌」だと考え、誰も持っていないもの、誰も経験したことがないことを求めて行きます。

であるならば、その延長上に鍼灸院を構えた方がラクです。一つは高級志向です。どうせ、保険診療のようにはいかないのだからと割り切り、利用者のプライドをくすぐるような方向性です。

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タワーマンションは同じ設備でも高層階の方が高く売れるのは、購入者のプライドも関係しているわけですよね(そればかりとは言えないと思いますが)。何れにしても、人はプライドのためにお金を支払います。鍼灸院でもこうした考え方が通用すると思いますし、実際に高級志向の鍼灸院はあります。

これはこれとしておき、私が目指すマイノリティは別にあります。「○○でしかできない」という専門領域、得意分野の追究です。狭く深く追い込んでいきます。特定の鍼灸師にしかできないことを追究しています。

身の程知らずな発言であることは自覚しています。しかし、エンジンの技術屋が革新的なエンジンを作りたがっているのと同じです。ただ、今ある技術の先を知りたいです。

■エビデンスのこと

最新技術にはエビデンス(科学的根拠)がありません。医療においてエビデンスは極めて重要なことです。科学的根拠がないより、あった方が安心します。

メジャー医療である保険診療は誰がどこで受けても同じ水準を約束したいわけですから、エビデンスなしには語れません。こう考えれば、エビデンスのある治療は大衆化されたものの中だけにあると言えます。

マイノリティ側の人間にしてみれば、エビデンスがあるという時点で時代遅れです。最新の技術にエビデンスはありません。エビデンスを得るには、お金も時間もかかります。個人レベルで活動している鍼灸師にとって高いハードルです。臨床している場合ではなくなってしまいます。臨床経験が豊富な人ほどエビデンスから遠ざかっていくという矛盾…。

誤解しないで頂きたいことがあります。エビデンスがないからと言って、思いつきや当てずっぽうで行っているわけではありません。リスク管理をしながら、経験に基づいた施術を誰もがやっています。実際の臨床で再現できていなければ、患者さんの支持は得られませんから下手なことはできません。

ちょっと下品な言い方になりますが、保険診療は、患者さんを国が用意してくれるようなものです。窓口で費用の一部しか払わなくてもよいのですから、実質的にそういうことです。

毎回、大幅値引きのクーポン券をもらっているわけですから、広告宣伝費用を国が負担している構造です。表向きは「広告制限」という縛りのような制度ですが「広告を制限しても大丈夫にしておきますよ」な配慮です。

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保険診療のアドバンテージが崩れないように自由診療にも広告制限があります。鍼灸院も例外ではありません。表にキャッチコピーを書くことができません。こうした状況下で競争しているので、魅力を出すには差別化が必要です。

差別化は生命線です。肝になるのが得意分野(専門分野)だと思います。余所より優れた技術を持っていることがアドバンテージになります。命綱である技術を簡単に公開することはしません。ブランドを守るためには必要なことです。

■学者と技術者の決定的な違い

ここで、学者との違いを確認しておこうと思います。

学者は、発表するほど評価と地位が上昇しますが、技術者が同じことをすると、知的財産の流出でしかありません。ですから、エビデンスは『学者の用語(都合)』です。自由診療を行う臨床家にとっては二の次です。最も重要なのは、現場で実際に成果が出ているかどうかです。

エビデンスがなければダメだ、というのなら恋愛も否定されます。あなたが、なぜあの人を好きになったのか、科学で説明できますか。科学で語ることがベターであっても、ベストであるとは限りません。現実社会では、そういうことが山ほどあります。

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病気や怪我で悩む人にとっては、「この方法で10人中1人は改善することが科学的に説明できます」より、「この方法で10人中5人くらいが良くなっています」という経験談の方が重要かもしれないのです。もちろん、その経験が本当であることが前提です。

鍼灸の価値を科学で説明しようとすると、まだまだ大変です。「鍼を刺したところ」をいくら眺めてみたところで鍼灸の本質はわからないでしょう。鍼灸を「侵害刺激」と解釈して研究しているうちは難しいと思います。

ツボ刺激によって脳に何が起きているのか。こういう視点で研究する時代にとっくに入っていると思います。「科学的でない」と言われている鍼灸が、「最先端の科学だ」と言われる日は遠くないと思います。

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