■祖父のこと
送り盆の昨日、先祖が眠る墓地で母に祖父のことを尋ねてみました。

実家に行くと本格的なかき氷マシンがありました(借り物)。
祖母(父方)と父が逝ってしまった今では、周りで祖父(父方)のことを知っているのは母くらいなのです。その母からしたら、義父ですから、当然の事ながら詳しく知っているわけではありません。
最初の質問は、祖父が戦地に行ったのかどうか。こんな基本的なことを私は知りませんでした。行っていない気がする程度の認識で、なぜ行かなかったのか理由を知らなかったのです。終戦の時、ちょうど私と同じくらいの年齢だったので、戦地で戦っていてもおかしくない世代です。
どういうことだったのか…。
私が祖父のことを知らないのは、私が小学校4年生の時に亡くなったからです。生きていた頃も、戦時中の話をすることはありませんでした。むしろ「戦争」という言葉を頻繁に口にしていたのは父でした。言うことを聞かない私に「戦争中は・・・」と叱っていた印象が強いです(父は大東亜戦争の開戦と同じ年に生まれているので、父が知っているのは戦後の話)。
戦争を、想像することも考えることもできなかった頃の私にとって、「戦争」という言葉は、我慢をさせられる時に聞く用語でした。そういう意味で「戦争」が嫌いでした。戦争の話に理解を示すほど、自由を奪われることになると恐れていたのです。今、親になっている私。子供を叱る時、良くも悪くも戦争を持ち出すことができません。
■墓地にて
この年になって、ようやく祖父のことが気になり出しました。しかし、祖父のことを詳しく知る者はもういません。仕方なく、目の前の母に墓地で母にう尋ねたのです。そうしたら話が急展開し始めたのです。
「おじいさんは、戦地には行かなかったよね?」
「中島飛行機で働いて行ってたね~。その時のガラスが家(うち)にあるよ。」
「え、ガラス? なんの?」
「さぁねぇ…」
母は全く興味ないようでした。
中島飛行機とは、群馬県太田市にある、戦時中に戦闘機を製造していた会社です。ここから自転車で行けるような距離にあります。「スバル(富士重工業)」の前身です。つまり、そのガラスとは70年前のガラスであり、戦闘機を造っていた会社から持ち帰ってきたガラスです。
■当時の戦闘機
実家に戻り、ガラスの在りかを尋ねると、そのガラスは無造作に車庫の傍らに立てかけてあったのです。大事に保管してあるのかと思ったら、まさかの展開です。

写真の中央やや下にある、角が丸くなった四方型のものです。手に取ってみると70年以上前のものとは思えないほど透明感のあるガラスでした。
なぜ、ここに???
古い記憶を探ってみると、確かにこのガラスを見たことがありました。それが何のガラスであるかなんて考えもしませんでした。野ざらしにしてあるこのガラスは、ただのガラス版でした。
5枚のガラス、よくよく見れば、戦闘機のキャノピー(天蓋)です。要するに、コックピット周りのガラス窓です。ここで二つの疑問が私の頭の中に浮かびました。
1.なぜ戦闘機の部品を祖父は家に持ち帰ることができたのか?
2.どの型式の戦闘機の部品なんだろう?
1については、誰も真実を知ることはできません。
2は、調べれば何とかなるかもしれません。そこで、中島飛行機で製造していた飛行機をネット上で徹底的に調べました。
もっとも有名なのは、零式艦上戦闘機、あの「ゼロ戦」です。ゼロ戦は、三菱重工業と中島飛行機が製造し、半数以上は中島飛行機製だったと記録されています。ゼロ戦のキャノピーをじっくり観察してみても、5枚のガラスと同じ形のものはありません。ゼロ戦の部品である可能性は低いと思います。
当時の戦闘機の機種を調べてみると、「こんなにあるのか?」と思えるほど出てきました。その中で中島飛行機が製造に携わっていたものから、可能性のある機種をピックアップしました。ガラスの形と実物やプラモデルの写真を見比べて可能性が高いと思うのはこの4機種です。
・天山(てんざん) 1,266機
・彩雲(さいうん) 398機
・銀河(ぎんが) 1,102機
・天雷(てんらい) 試作機6機のみ
引き続き調査する予定です。
■ミステリー
ガラスを一部が土に埋まっていたため、汚れが完全に取れませんでした。専門家に依頼し、キレイにしてから改めて、このブログでもう一度公開します(情報収集のために)。

ブログの趣旨から外れますが、個人的に重要なことなので、この場を使おうと思っています。このガラスの意味を知りたいからです。戦闘機の部品を祖父が持ち帰ってきた理由については、答えを見つけられそうにありません。資材の少なかった当時、このガラスが貴重でなかったはずがないのですが…。
工場で祖父がどのような立場にあったかわかりませんが、どんな立場にあっても簡単に持ち出せるものではなかったはずです。試作機で使うはずのものが、余ったとしても。
全ての可能性を考えると、盗品の可能性もあるわけです。そもそも、本当に中島飛行機から持ってきたものなのか…母の聞き間違えの可能性もあります。この出来事で改めて思ったのは、もう戦争の話を聞ける人が周りにはいないことでした。私がそうなのですから、息子や娘はなおさらです。
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