採用担当の責任

■人生の一部を共有

毎日が大事な仕事ではありますが、昨日は緊張する仕事をしました。普段の仕事でこれほど緊張する場面というのはありません。品川で新入社員の最終試験を行ってきました。

見た目的には二次試験ではありますが、私の中の位置づけでは三次試験でした。私が送った募集要項は、おそらく鍼灸業界一長いと思います。ウェブサイトや養成学校に送る募集要項は、募集要項を取り寄せる応募用紙みたいにしています。立地や数字だけで応募してほしくないからです。

経営者である私が何を考え何を計画し、スタッフとどんなふうに価値観と時間を共有しているのか、そこを基準に選んで欲しいと持っています。

募集要項を読んで応募をしない人もいます(割合は非公開)。残念なことではありません。「ここしかない」と思った方だけに応募をして頂くのが目的だからです。まず、私たちが審査をしてもらいます。これが一次審査です。

ですから、募集要項は全員に選ばれるような八方美人ななものになっていません。特定の人だけが選びたくなるように作っています。鍼灸院のあり方も、働き方に正解は一つではありません。そもそもだから、結局自分が信じるものを正直に伝えるしかできません。

一緒に働くということは何かを共有していくことです。何よりも責任を感じるのが時間の共有です。いったん共有した時間は取り戻せませんから慎重にならざるを得ません。誰かの人生の一部を預かり、私も預けることになります。有限である自分の時間を一定量注ぐことになるのですから、互いに後悔をしないようにしたいものです。

トランプ

■職場の重要性

患者さんのために鍼灸院をしているわけですが、一方では鍼灸師の働く場をつくるために鍼灸院をやっているという側面もあります。そもそも、「鍼灸師になりたい」という願望の中には後者の意味が含まれています。職業として鍼灸を考える場合、前者と後者を両立させていく必要があります。

職場というものがなければ、永続的に患者さんに鍼灸を提供し続けることはできません。ですから、鍼灸で生計を立てようとする鍼灸師は例外なく職場を大切にしなければなりません(一人鍼灸院であっても)。裏返せば、職場を大事にできる鍼灸師ほど患者さんに安定的に鍼灸を提供しやすいと言えます。

■技術と特技

技術は非課税の財産です。鍼灸院としは、この財産をどうやって増やすかが課題です。チームでとり組む方が、各々が独自にがんばることより、ずっと早いペースで向上する確信があります。逆に言えば、その利を活かせなかったら私はチーム運営をしている意味がないと考えています。

かねてより、技術は次の世代が積み重ねていくものだと思っています。そういうものしか技術と呼びたくないと思っています。

名人的な技の使い手がいても一代で終わってしまえば、それを技術とは呼べません。自分だけが到達できる領域を目指すことは個人の追求であって、医学における技術向上とは言えません(個人の追求が悪いという意味ではありません)。少なくとも、鍼灸師として東洋医学の歴史をひけらかしたいのであれば、自分の代で終わるようなものをやってはいけないのではないでしょうか。

自分だけが使えるものは「特技」です。キャラクター依存が強いものです。全員でなくても、みんなが使えるものが「技術」だと私は定義しています。共有できるものだけが技術です。

チームで技術を共有し、各々が特技を育てていけば、カポスという人格も育っていきます。そこにどんな特技が生まれるのか楽しみです。ロードマップは用意していますが、今後どうなるのか完全に予測はできません。

縁に身を委ねながら、チームが間違った方向には進まないようにライトを照らしていこうと思います。

家族団らん

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