■ホリエモンの指摘が的中!
昨年、ホリエモンこと堀江貴文さんが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」とツイッターで発言したことが話題となりました。そして、今年、開店からわずか11ヶ月の寿司屋が「ミシュランガイド京都・大阪2016」に掲載され話題となっています。ホリエモンの発言が証明されてしまった、ということになります。

この話、他人事ではありません。鍼灸師も長い修行が必要だと言われているからです。開業が業界の目標のようになり、勤務期間を修行と位置づける考え方が常識であり蔓延しています。私はこうした考え方に違和感を覚えます。
「修行」いう言葉は便利です。安く労働力を手に入れようという経営者にとって、この上なく便利です。「修行なんだから、お金をもらえるだけ有り難いと思いなさい」という理屈が通せるのです。
■安い労働力の購入 vs 人材への投資
妻は、とある製薬会社で営業の職に就いていました。個人医院を巡りながら、薬の説明をしたり、(接待したり)する仕事です。そんな妻は、何もわからない、何もできない研修期間からしっかりと給料をもらっていました。「戦力になっていない妻に、これだけの給料を払い続けている会社ってすごいなぁ」と感心した記憶があります。
将来、この会社で売上げに貢献してくれるアテがあるから、教育にお金を使えるわけです。こうした仕組みの背景には、「人材に投資する」という発想があるはずですが、「修行」という言葉の周辺にはそういうものが見当たりません。
スタッフのスキルアップに関することは「研修」と表現しています。でも、私自身は修行に身を置く立場です。人の見本となる立場になった今こそ、むしろ修行が必要です。スタッフは研修する立場、私は修行の身です。
■裸の修行期間
患者さんに「修行はどこでしたのですか?」と訊かれることがあります。「整形外科や鍼灸整骨院で修行しました」と答えることもできますが、それが修行だったかというと「???」なのです。確かに、患者さんに接する経験、触れる経験はできました。
でも、それを修行かどうかと問われたら「はい」とは答えられません。(あん摩マッサージ指圧師の免許を持っている人なら誰でも)2~3日で覚えられる仕事を与えられて、あとは、それに慣れていっただけですから。新しいことは何も要求されません。次のステップが何もなかったのです。
見事なのは、2~3日で覚えられる仕事が確かな労働力になる仕組みです。どちらの院も毎日患者さんでいっぱいでした。2~3日は極端な言い方かもしれませんが、的は大きく外れていないはずです。その代わり、毎日同じ患者さんと顔を合わせます。勤務期間、患者さんはずっと同じ顔ぶれでした。保険(一部自己負担)というのは、強烈な仕組みの一つです。
そんなふうに業界を1年間くらい見聞してから独立しました。もっと親切に、もっと丁寧に、もっと効果の高い施術をしようと思って意気込んでいましたが、誰にも相手にされませんでした。
どん底を味わいました。
私が用意していたものは、パッケージされていない裸のおせんべいだったからです。米にこだわっても、醤油にこだわっても、それが理解されることはありません。そういう機会がどこにもないのです。裸のおせんべいを素手で渡されても、買いませんし、タダでも嫌です。
スキルがあっても、それをパッケージできなければ、患者さんからの評価は得られません。患者さんはパッケージを含めて評価するわけですから。むしろ、最初はパッケージで評価するしかないわけです。洗剤を選ぶときに、パッケージを頼りにしてしまうのと同じです。
もし、居心地の良い修行の場が見つけていたら、こうしたことに気が付かないまま10年を過ごしていたかも知れません。想像すると恐ろしくなります。
■経験よりも「今何ができるのか」
患者さんは経験豊富な鍼灸師を選びたいはずです。私が専門家を選ぶ際も経験は重視します。でも、よくよく考えてみると、「経験」って何なのでしょうか。なんだかよくわかりません…。
臨床歴10年で、1日1人という場合もありますし、臨床歴1年でも1日20人という場合もあります。経験は単純な年数では決められません。また、その一人一人の患者さんに対して、流れ作業的なことをし続けているのか、創造力を駆使して対応しているのかでも違います。
量と質は、端から読めません。ですから、そもそも「修行に10年」と言ってみたところで、その数字に根拠を添えられません。
経験より大事なのは、「今何ができるのか」です。そして、それを証明できる能力だと思います。施術を依頼したら、何をしてくれて、それを受けるとどうなるのかが大事なわけですよね。それが明確でないから、「経験」というぼやけた言葉に頼らなければならないのです。
施術業や医療はレースのようにタイムや順位で実力を表現できる世界ではありません。だから、いくらでも、言葉でごまかしができます。マラソンランナーにとって「修行○年」って意味ありませんよね。42.195kmを何時間何分で走れるかの方が重要ですよね。
■コミュニケーション能力から得るもの
ミシュランに掲載された寿司屋さんの記事を思い出すと、「現場で今すぐ使える技術を徹底的に追究した」とあります。これって、コミュニケーションの中から生まれてくると思うのです。お客さんとのコミュニケーションが出来ていなければ、現場で高く評価される技術が何なのか見えないだろうと思うからです。
お客さんの言いなりに寿司を握っているわけではないと思います。準備段階からコミュニケーションを重ね、「自分の持っているスキルのうち、どこを優先的に強化すべきか」に答えを見つけたのだと思います。あとは、その具現化に全力投球したのではないかと想像できます。
ツイッターやLINEをやる時は、短い文章で端的に伝えた方が断然好まれますよね。メールにしても、短くまとまっていた方が読む側はありがたいです。
こうした短文を重視する傾向は今に始まったことではなく、昔からありますよね。日本には、俳句や短歌という制限が厳しい中で自己表現する文化があったのですから、今も昔も同じなのだと思います。

経験を積み重ねると言いますが、短期間で現場で使える技術を育むには、むしろ切り捨てではないでしょうか。無駄をあぶり出す作業です。一見無駄なことのように見えて無駄ではないこともあるので、その線引きは慎重に。本当に必要なことに集中できる環境づくりがとても大切だと思います。その仕組みの中に「修行」という言葉が入る余地はありません。
■年数で得るものは信用
時間が無駄かと言えば、そんなことはありません。信用は、お金や才能では手に入りません。時間が必要だと思います。自分の時間をどれだけ費やしてきたのか。そこが重要です。感情的なものかもしれませんが、人はそもそも感情で動く生き物ですから、大切にしなければいけません。
熟練した技に達するには月日が必要だろうと思います。でも、それはあくまでも結果。目の前の仕事に真摯に向き合い続けた結果として熟練していくのだと思います。熟練させるために時間を使うべきではないと私は思います。
■まとめ
「修行」という単語は便利です。これを教育システム不備をごまかす目的で使われることが多く、それを堀江さんは指摘したのだと思います。やり方によっては短期間でベテランを越えるサービスができるという事実を直視しなければなりません。つまり、経験が浅いことを言い訳にしてはいけないということです。だからと言って、勤続年数に意味がないわけではありません。ベテランだけが得られる信用も同じくらい重要だと思うからです。
【投票ボタン】
応援クリックありがとうございます(1日1クリック有効)。
2つのランキングサイトにエントリーしています。
![]()


コメント