(1)のつづき
■嫌われる勇気
鍼灸師もあん摩マッサージも医療系の仕事であるにも関わらず、病院で居場所を用意していることは少なく、あっても揉み係か雑用係です(私自身が経験したことです)。あえて「揉み係」という言葉を使ったのは皮肉です。医療施設内での慰安が仕事です。私が恵まれていなかったわけではなく、医療チームの一員になれる鍼灸師はほとんどいないのです。
病院の外では、ビジネスの風がビュービューと吹いています。慰安業の風も混じっています。その風を浴びながら生き残るための競争を強いられるのです。甘ったれた発想かもしれませんが、免許取得後にインターンが用意されている医師とは全く違います。免許を取得したら、医の研修ではなく、人生の修行が始まるのです。

もちろん、鍼灸師の誰もが、病院勤務にあこがれているわけではありません。病院の診療の在り方に思うところがあって鍼灸師やあん摩マッサージ指圧になる人がたくさんいます。理想の医療のカタチを思い描きながら、気が付いたら慰安業をしていた、という状況は珍しくないだろうと思います。
誰かが私に「患者さんが嫌がることはしたくない」と言いました。正義感から出た言葉だとは思うのですが、残念ながら、この人と医療の話をするつもりはありません。
医療なら、患者さんが嫌がることも時には必要ですし、嫌がることを言わなければいけない時があります。自分の技量の範囲でベストを提案し、それよりベターだと思う選択肢があれば、迷わずそちらに促します。そうした行動のガイドラインは、患者さんの要望から外れることがあるのです。
「患者さんのために…」と誰でも言っています。でも、嫌われる勇気を持って行動できる人は限られてくると思います。悪い評判が立つのを恐れて、患者さんが“その場で”気に入ることを探してしまいがちです。「患者さんのために…」ではなく「その場の空気のために…」なのです。
また、患者さんは冷静な判断ができない立場であることも忘れてはなりません。健康を失って精神的に追い込まれている状況です。レストランでメニュー表を見て選ぶように、手段を選んでいる余裕はないのです。「誰か私に一番いいことを教えて!」と焦っている場合がほとんどではないでしょうか。
■誰も約束してくれない
嫌われたくないという心理が現場で膨らんでしまうのは、鍼灸師に権威がないからです。医師と比べると社会的信用度が残念なほど低く、医療の中に入っているとは言いがたい現状です。「腕が良いかどうか」の前に「鍼灸師という肩書きを信じてもらえるかどうか」からのスタートなのです。
鍼灸ができる就職先はごくわずかです。そのため、鍼灸をするために独立に追い込まれる鍼灸師が多すぎます。自分の力で患者さんを集めなければいけないので、患者さんに好かれようとする意識がどんどん大きくなります。
だから、鍼灸師は「いい人」になっていくのです。
患者さんが来なければ仕事になりません。嫌われることを恐れるのは当然です。勤務している鍼灸師も例外ではありません。再び皮肉めいた言い方をしますが、国家に地位を約束されて、権威性を自動付与される医師とは事情が大きく異なります。それをわかっていて、鍼灸師を選んだのですから文句を言うつもりはありません。ただ、この現実を冷静に受け止めておく必要があります。
鍼灸師の立場から言うと、医師の言葉は神の声に匹敵します。ちょっとした思いつきで発した言葉でも患者さんの脳裏に刻み込まれます。神の前では不快なことも無条件で我慢します。自分の意志より神の声を優先します。医師が「治らないかも」とつぶやけば、その直後からそれを聞いた患者さんは、自分の病気を治らない病気にしてしまうのです。

権威ある者は、自分の言葉に神ほどの重みがあることを自覚して欲しいと思います(該当しない医師もたくさんいますが…)。
鍼灸師である私は、自分の言葉が軽くならないようにと試行錯誤する毎日です。しかも、こんなふうに偉そうなことを書きながらも、患者さんに嫌われることを恐れています。
「患者さんに嫌がることはしない」という言葉は、誰も立場を約束してくれない状況に置かれ、患者さんの信用を失いたくないという切実な気持ちから出たものかもしれません。だから、気持ちはとてもよくわかるのです。でも、それを言ってしまったら、患者さんと対等の立場は永遠に築けなくなります。
■素人判断
慰安は受け手の感想が全てです。しかし、医療的な評価は受け手の感想だけで不十分です。客観的な評価が必要です。
検査の数値や画像診断によって評価できるのが一番ですが、いつもそうとは限りません。肩こりなどの自覚症状を対象とする場合は、数値化が困難です(硬さと辛さが比例していないことも多い)。
「数値化できない自覚症状」が得意なのも、鍼灸やマッサージの特徴の一つです。だからこそ、患者さんの「感じたもの」が評価のすべてになりやすいのです。だからと言って、すべての評価を患者さんに委ねてしまったら、慰安との差はありません。
「マッサージの善し悪しは『気持ちよさ』で決まる」と多くの人が思っているかもしれません。ですから、医療的にマッサージを行っても、受け手は気持ち良さで評価しがちです。鍼灸と合わせてマッサージを行う場合、鍼灸も巻き込まれて「痛くないかどうか」「施術が気持ちいいかどうか」にフォーカスされてしまいます。
免許を持っている私が、開業してもマッサージを行わなかったのは、こうしたズレを懸念したからです。マッサージに要求される価値と、私が鍼灸で提供している価値は違うものです。
慰安マッサージでは、受け手が「もっと強くしてください」と言うのは当然の権利です。しかし、医療マッサージではNGです。言うまでもなく、施術者の判断によって最適な強さで提供しているからです。もちろん、それはコミュニケーションしながら経験的に導き出されるものです

当たり前ですが、医療の現場で素人判断は禁物です。薬の種類や量を患者自ら決めることが危険であるように、マッサージの強さも患者自らが決めることはリスクが高いのです。ただ、マッサージにおけるリスクはたいていの場合揉み返し程度(※)ですから、本質を置き忘れてしまうのです。
※例外の一例として、エコノミークラス症候群(深部静脈血栓症および肺血栓塞栓症)があります。下肢のマッサージが重篤な状態(肺血栓塞栓症)を引き起こす恐れがあります。
医療的スタンスでマッサージをするのであれば、患者さんに、何を評価してほしいのかを前もって伝えておく必要があります。専門家の方から施術の成果を判断する基準を提供することが極めて重要です。
つづく…(3)
【投票ボタン】
応援クリックありがとうございます(1日1クリック有効)。
2つのランキングサイトにエントリーしています。
![]()


コメント