鍼灸師の3つのタイプ
ずっと東洋医学をやってきたつもりでした。しかし、ここ数年「東洋医学」という言葉を使わなくなってきていることに気が付きました。同時に「西洋医学」という言葉も使っていません。

結局のところ、こだわりはなさそうです。ただ、東洋医学独自の考え方は、病院医療の主流ではないため、誰かが東洋医学の魅力を叫んでいないと、その価値は埋もれてしまいます。その役目を私が担うまでもなく、いろいろな方が情報発信しています。ふと気が付けば傍観していました。
鍼灸師は3つのタイプに分かれます。
①東洋医学タイプ
②西洋医学タイプ
③折衷派タイプ
①のタイプは、「鍼灸学は、古き時代の東洋で生まれたのだから、東洋医学ベースに行うのが当たり前であり、そうでなければ鍼灸のポテンシャルは引き出せない」と考えています。
②のタイプは、「エビデンス(科学的根拠)に乏しい東洋医学では、医療として認めてもらえない。医師と同じ言葉を使えないようでは鍼灸師の社会的信用は上がらない」と考えています。
③のタイプは、「良いところは何でも吸収して臨床に活かすべきだ。その時その時によって使い分ければいいではないか」と考えています。
自分は①のタイプです。
理由はしっくりくるからです。しかし、現実と妄想を区別できない鍼灸師に思われないように気を付けています。②に対しては、フェンシングの衣装をまとって剣道をするような気持ち悪さを感じます。③に対しては、柔軟な思考であるようで、軸が定まっていない不安定さを感じます。
できれば科学的な方がいいよね
この記事の目的は、①~③に決着を付けようという目的ではありません。論争に参加しようとは思いません。それは、私の関心が「目の前で起こる現象」に移っているからです。
①~③は、きっと各々の思想や生き方の話なのです。言い換えれば、それぞれの正義を示す言葉なのです。正義をぶつけ合っても、生産性のある話になっていきません。
私にも正義のようなものがあります。それは「できるだけ鍼灸は科学的な方がいい」ということです。「できるだけ」というところが大事です。
鍼灸のすべてを科学で説明することはできません。現実的に、治効機序のごくわずかな部分がわかっているだけです。つまり、ほとんどわかっていません。わかっていなくても臨床的価値は疑いようがありません。
「科学的」という言葉は、「客観的」に置き換えてもかまいません。「誰でも効果がわかる鍼灸」を目指しています。そのことばかり考えていたら、東洋医学とか西洋医学とか、そういう論争に興味がなくなってしまったのです。私の関心の9割が「鍼灸をわかりやすくする」に向かっています。
わかりやすい鍼灸に必要なのは、「現象の観察」と「認識の誘導」です。ツボによって起こる変化を見逃さないことが大切です。観念的になりがちな鍼灸を、観察的にすると、鍼灸のイメージがガラリと変わります。
結局、最近の私は、現象を観るのに夢中で正義の話をする余裕がなくなっているのだろうと思います。
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