(明かりのない部屋 第3話のつづき)
駆け出しの私に訪れた試練でした。
私のとった行動に落ち度があったなら反省しなければいけません。
でも、あの現場で過去を振り返っている余裕なんてありませんでした。
帰してもらえない
鍼灸をさせてもらえない
この矛盾した状況に私はただ混乱するばかり。手は震えます。不安、緊張、怒りが入り交じった感情の中で、Aさんが求めている行動をとらなければならないのです。私の器に収まりきらない世界が展開されています。
「さっさとやらんか!」
命令に近いAさんの言葉が飛んできました。
「はい」
私はAさんの手のツボにお灸を始めました。
初めて感じる種類のプレッシャーでした。自分の気持ちを抑えることばかりに意識が向かいます。
術者の手は、術者の心そのものです。
私の乱れた感情が患者さんに伝わっていたはずです。どう思われていたのか…。
何を目的にしているかわからなくなっていたお灸をしばらく続けた後、私はAさんの部屋を出ました。
「どうですか?」
と、Aさんの娘さんに訊ねられました。とても広いお宅なので、患者さんの怒鳴り声はそれほど漏れていなかったと思います。自然に出たその質問に、どう答えてよいのか…
「・・・今日で終わりにした方がよさそうですよ。」
答えになっていない返事をして、代金をいただいて帰ってきました。
帰宅後、改めてAさんのお宅に電話をして、家族に「もう鍼灸はやらない方がよさそうです」とだけ告げました。細かい話は一切せず、丁寧にお断りました。説明しようにも、どう話せばよいのかわかりませんでした。
この時の出来事を、私はどのように受け止め、どのように解釈したらよいのか、今でも悩んでいます。反省すべきは何なのか…答えが見つかっていません。
今、答えを探しながら書いています。
医師が鍼灸を否定したことは本当だったのか…
Aさんは、ただ断りたくて、嘘をついたのか…
断られたとき、そのまま受け入れるべきだったのか…
Aさんが拒んだのは私なのか、それとも鍼灸なのか…
癌の末期を告げられていたAさんが求めていたもの…
Aさんの家族が私に期待していたこと…
Aさんが私に怒鳴った時、その言動には矛盾がありました。人の論理性は常に維持されるわけではありません。時には、矛盾することもあります。その矛盾の裏側で動いているのは、抑えきれない感情のはずです。その心の内を理解できなかった私の器に問題がありました。
この施術の数ヶ月後、Aさんが他界されたことを知りました。あの時、末期がんであることを知っていたAさんは、既に死期を感じていたかもしれません。
私がしたことは、Aさんにとってどういう意味があったのか、今でも考えるときがあります。
現在も、家族や知人の薦めで患者さんが来院されるケースがあります。ご本人が施術を受けることを望んでいない場合も少なくありません。
来院に至った経緯と動機
これを理解することが患者さんと医療者の関係を築く第一歩だと思います。
それができなった私。今だって、いつもできるとは限りません。


コメント
クリ助さんえらいねえ。
私の場合、治療拒否されたらそのエナジー他の患者に
回しますわ。私のモチベーションが下がる患者は他の
患者の迷惑だから。
ただ言えるのはクリ助さんは今までの日本の鍼灸の
負の部分を背負ってるってことですね。
医師が鍼灸を否定したり、鍼灸師が否定されるのは
今までの実績が作ってきたものだから。クリ助さん
はそのとばっちりを受けてるんだよな。
それを覆すパワーがこれからの新星鍼灸師には必要
だ。
日本における鍼灸の負、それは確かに肌で感じますね。でも、そんな負がある中でも、私は鍼灸の魅力にとりつかれてしまいました。どんなに政治が圧力をかけても、生き残った鍼灸はタフです。だれも数千年の歴史までは否定できませんでした。そう思うと気持ちが楽になります。
もし、否定されたら、私が否定されたと思えばいいのです。私に魅力があるならば、私のやっていることに耳を傾けてくれるはずですし。
いや~、かなり真面目に書いてしまったわけですが、明るく鍼灸を盛り上げていきたいと思っています。その仲間が増えていくのが楽しみです。このブログで温かいコメントをもらうと、それだけで正のエナジーが沸いてきますな~。
明かりのない部屋は末期癌に怯えるAさんの心のようですね。鍼灸を受けて楽になっても癌は治らないという諦観が鍼灸を否定する暴言となって出てしまったように思えました。
死の恐怖と体を襲う痛み、そして自分を腫れ物のように接する人たち。Aさんを最も苦しめたのは人間関係だったのかも。当たり前の人間として接してもらえることは人間の一番深い所にある欲求を満たしてくれるもの。Aさんは叫べたでしょうか?「俺に気を遣うな!」と。
Aさんは鍼灸を認めていたと思います。体が楽になったのだから。当たり前の人間にするように鍼灸をしてくれた先生に感謝していただろうとも思います。「協力してもらえないとできません」と言われた時はちょっと嬉しかったかも。ただ、色んな思いが交錯していて怒鳴ることしかできなかったんじゃないでしょうか。Aさんは鍼灸も先生も拒んでなかったとわたしには思えます。
人間の心理はいくら考えてもわかるようでわからないことが多い、人の気持ちなど私はわからない、理屈をこねるよりその人そのもの全部を純粋に受け入れてあげることが必要ではないかと思う、「構え」ですね。受け入れる治療家よりもいかにして自分を受け入れてもらおうかと考えている治療家が多い、難しいですが自分を受け入れてあげる前に相手を受け入れてあげようって言いたい。
実体験からの一意見です。貴重な体験談ありがとうございました。
> かーぽんさん
かーぽんさんの言葉で私は救われます。今思い返せば冷静に書ける内容ですが、あの一件で私自身も相当傷つきましたから。医療者として患者さんの心の傷を理解することは最優先しなければなりません。でも、医療者も人間ですから、患者さんに傷つけられてしまうこともあります。結局、人間対人間のつき合いですから。
> ムムさん
ムムさんのおっしゃる通り、受け入れることが先だと思います。これは人間関係に共通することかもしれまえせんね。患者さんは弱い立場にあります。その弱さを受け入れることからスタートするのが医療ですよね。自分のやっている施術におかしなプライドがあると「理解できない患者が悪い」なんてことに…。身体調整の人間学にあるように、常に「構え」を意識して患者さんに接したいですね。
改めて思いますが施術は受容ですね。ムムさんの意見に同意見です。最近は患者さんの魂を感じるようになりました。私はマッサージをやっているんですがやはり最近やっと患者さんを受け入れられるようになってきたような気がします。患者さんは受け入れてもらいに訪れると思います。安心感、すべてをさらけだす気持ちできてくれているのです。施術者はいかにそれを受け入れることではないでしょうか
> あやさん
受け入れることって、難しいことですよね。患者さんをそのまま受け入れることを考えると、体や心を診るだけでなく、魂そのものを診る感性が必要な気がします。
学問や理屈だけでは言い表せないのが、人間ですしね。すべてをさらけ出す患者さんに対して、施術者は全身全霊で施術することで、病んだ魂を救うことができると思います。
娘が今年、高校を卒業後、就職しましたが、やっぱり、医療の勉強がしたいと思うようになり、鍼灸師か看護師か迷っているんです もう願書の締切が迫っているので、急いで決断しなければなりません そんな時に、あなたの実体験や鍼灸に対する思想は、とても参考になりました ありがとうございます
>ヒロリンさん
コメントありがとうございます。6年前の記事ですが、お役に立てたようなので嬉しいです。結果、どちらを選択されたのか、気になるところですが…。