「明かりのない部屋」にたくさんの感想ありがとうございます。
コメント欄には書ききれない(字数制限があるので)ために、メールで感想を送って頂きました。
Aさんと私とのやりとりは「鍼灸が…」という枠では収まりません。
患者さんの家族の存在を強く意識するものでもあります。
私は鍼灸師であると同時に医療者でもあります。「医療者として何をすべきなのか」、いただいたメールにはたくさんのヒントがありました。
※この他にも、メールを頂いています。貴重な感想に感謝しています。
それでは、紹介します。(掲載許可済)
・・・・・・いただいたメールから・・・・・・
Aさんは、確実に迫る死期になす術が無い状況で、無力感や絶望感で一杯だったのかもしれませんね。
誰だって(もちろん私だって)、突然に「あなたは死にます。」と告げられたら、激しく動揺します。死から逃れるためにもがき苦しむでしょう。
ただ、動揺したままでいるのか、
残りの人生を充実させようと決めるのか、
で、その先が大きく違ってきます。
私の父は、癌を宣告された日、いつもの豪放磊落ぶりからは想像出来ないほどがっくりと落ち込み、玄関からすぐに寝室へ入ったきり、その日は出てきませんでした。私は、父が癌だったことよりも、そんな父の姿の方がショックでした。病気云々よりもいつもの父になってほしい・・・ただそれだけでした。
翌日、驚くほどいつもと同じ様子に戻った父は、家族を居間に集めて、これから自分が生きていくにあたっての決意表明(?)をしました。
今振り返ると、一晩でそこまで考えた父の精神力に敬服せざるを得ません。私も同じことが出来るだろうか・・・。
父との残り少ない人生を楽しもう、と私もそこで決めました。最も傍に居た母は、あれから父の最期までは本当に辛かった、と後でこぼしていましたが、私たち家族は真の父の思いに沿うことができてよかったと思っています。
Aさんは、死を直視せざるを得ない状況の中で、迫り来る未知の「死」にとらわれすぎていたのではないでしょうか。残り少ないとはいえ、人生はまだ残っているのですから、非常に残念です。無気力で過ごしてしまった人生がもったいない、と私には思えます。
また、視点を変えると、死期が迫っている者にとって、家族の「少しでも長く生きてほしい」という思いは、時として本人にとって苦痛になるような気がするのです。もしかしたら、もう本当にやりたいこともない、ただこのまま死を迎えたってかまわない、と究極の自暴自棄に陥っている方なら、周囲の治療への意欲が煩わしいのではないでしょうか。
さらに、必死の闘病生活を送っているが、痛みや苦痛にこれ以上耐えられない、この苦痛から逃れて楽になりたい、と心底思っている方も居るでしょう。そんな中で家族が延命だけにこだわるのは、本人にとって地獄の責め苦以外何物でもないはずです。
父が最後に残した言葉です。
「○○(母の名)、もういいだろ?俺は疲れた。もう眠りたい。」
自分で予測していたよりも半年早く容態が悪化した父は、私たちの想像を遥かに超える痛みと苦痛にずっと耐えていたに違いありません。
私たち家族はまさに人生最大の衝撃を受けました。意識があることが、生き続けることが、本人にとっても家族にとっても最も幸せなことだと信じていたからです。母もその言葉にうなずき(あんなに号泣した母は過去にも今もありません)、それからモルヒネが投薬され、父は深い眠りにつきました。そして、それが永遠の別れとなりました。
私は、父の死からいろいろなことを考えさせられました。周りの希望ではなく、本人が本当にどうやって生きたいのかを汲み取ることが大切である、と学びました。そして、ただ命を長くするだけの治療ではなく、本人が辛い状況を軽減することも重要である、と父から教えられました。
体中に転移したガンの痛みを、少しでも和らげてあげたかった・・・。
文字通り七転八倒の痛みだったでしょうね・・・。


コメント
これを読んで正直胸が熱くなりそしてせつなくなりました。
下手に感想をいうと安っぽくなってしまうので控えます。
ただ、名前も知りませんがこのメール文の思いは自分なりに深く自分に刻み込みました。
貴重な経験ありがとうございました、この事を知るきっかけを作ってくれたクリ助さんにも感謝します。
> ムムさん
読者の方からこのメールをいただいた時、その想いを読者の方たちと共有したいと思ったのです。「明かりのない部屋」の話は、環境と立場が変われば受け止め方が変わってくると思います。そのどれもが真実であり、そのまま受け止めることが大切だなーと思います。