「(2)ファッシアでは経絡は説明できない」のつづき
鍼灸は理解されない運命なのか
鍼灸は効果を数量化するのが難しいです。「効く時もあれば効かない時もある」という事情を抱えながら歴史を歩んできました。
鍼灸は理解されるのに時間がかかる療法だと思います。そういう運命なのかもしれません。そんな鍼灸の運命に乗ってしまった以上、私も理解されることに尽くしたいと思います。
昨今、鍼灸を科学的に解き明かそうという機運が高まってきました。科学的であれば信じるし、科学的でなければ信じない、という天秤にかけられているようでもあります。科学という選択肢がなかった時代は、今とは事情が違ったでしょう。
視点をちょっとズラして解剖学を見てみましょう。
人類の歴史の中で解剖の知見が一般に普及してから、それほど長くありません。たとえば、『De humani corporis fabrica(人体の構造)』は現代解剖学の出発点になる本ですが、1543年の出版です。日本においては、杉田玄白(1733-1817)の『解体新書』が有名です。解剖記録が出版されるまで、一般の人は詳細を知ることはできませんでした。鍼灸家も同じです。
信じることで理解していた時代
解剖学的な知見が普及していなかった時代、彼らは経絡を信じることで鍼灸を理解し深めようとしてきました。長い鍼灸の歴史のスケールから言えば、ごく最近までそうしてきたわけです。信じることは理解するための手段だったのです。
解剖の知見がなかった時代、経絡は理解を助けるものでしたが、解剖の知見がありふれた現代においては、理解しづらいものです。
鍼灸師の教育は、「経絡が見つからない」という現実を伝え、それから経絡の歴史的意味、臨床的意味を考えられるように導くべきであると思います。
メカニズムの解明より現象の再現
理解者を得ようと思ったら、現象の丁寧な観察に徹した方がよいでしょう。
現象とは、たとえば、太陽光はプリズムを通ると七色に分かれるということです。なぜ、そうなるのかわからなくても「いつも七色になる」という事実は、伝えられます。
七色を自分の手でつくりたい人はプリズムを欲しがるでしょう。買ってくれる人になるかもしれません。売るために、必ずしも七色に分かれるメカニズムを説明する必要はありません。必要なのは七色にする実演です。
鍼も同じです。
なぜ頭痛が治るのか、なぜ耳鳴が治るのか、というメカニズムが分からなくても、現象が再現できれば価値が理解されます。とはいえ、頭痛も耳鳴も本人の自覚だけなので、現象として観察するのが難しいです。もし、頭痛や耳鳴を数量化できたら鍼灸の評価は今とは全く違うものになるでしょう。
理論化されていなかったツボと動きの関係
現実的に、それを待ち続けるわけにはいきませんから、数量化できるものを集める努力が必要です。数量化できる現象として、私が注目しているのは動きです。
動きは、光が七色に分かれるが目で確認できるように、視覚的に分かります。ツボを刺激して関節の動きが変わったら、それを観察するのです。
動きとツボの関係の明らかにする、ということが理解を得るためにたいへん有利です。従来の鍼灸は、経絡によって語られている「体内の流れ」を軸とした理論ですので、動きを説明することができません。
数千年とも言われる鍼灸の歴史の中で「骨格・筋肉の動き」を説明するものはありません。その隙間を埋めるために、観察を重ねて理論構築を進めているのが整動鍼です。ツボに鍼をして、どのように動きが変化するのかを一つ一つ観察しています。こうした作業は経絡という枠の中に入っていてはできません。
経絡から飛び出したツボは、さまざまな現象を見せてくれます。経絡では許されていない(説明できない)現象を私たちに見せてくれます。
つづく…
出版記念イベントの案内(3/24)
「鍼灸師と医師で解き明かす 経絡とツボの正体」
会場:FinGATE KAYABA(東京)
参加費:2,000円(1部)/3,000円(2部)
≫申込フォーム
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