2月1日は「鍼灸師の手抜き」ということで、戦略的な「手抜き」を取り上げました。
ツボの数の話に意識を奪われ、話が本質に届いていなかったように思います。
この問題、ものすごく大切だと思っているので、自分の頭をもう一度整理することにしました。
■空回りする同情
2月1日、「患者さんのために」より大事なことがある、と書いたのは「同情では治らない」現実を痛いほど見てきたからです。それとは対照的に、楽しむほど結果が追いかけてくる世界の存在。
医療者なら誰でも患者さんの前で一生懸命です。
「早く治って欲しい」いう想いを込めて患者さんに接します。
こんな当たり前のことを、あえて考え直してみたいのです。患者さんを目の前にして「早く治って欲しい」と思うのは、人間的な感情から生まれもので、医療者(鍼灸師)特有のものではないからです。この大小を論じるなら患者さんの家族には勝てません。
ということで、鍼灸師独自の感情の在りかはどこかを考えます。
映画のエンドロールで溢れる涙。よい映画は感動します。では、その一週間後、「映画を思い出して泣けますか?」という話になると雲がかかります。
患者さんを目の前にすれば、「早く治ってほしい」という気持ちは努力せずとも出てきます。良心させあれば。映画で感動するように、受け身とも言える心の動きです。
こう考えると、施術中の「患者さんのために」は鍼灸師を論じる上で実質的な意味を持ちません。患者さんのいないところで湧き出る感情の中に、鍼灸師特有のものがあるように思います。
患者さん不在で残るのは学術。これを楽しめるかどうかが一つのポイントになるはずです。楽しくなければ続けることも深く入り込むことも難しいからです。「楽しむ」という言葉は、真面目な医療従事者には不謹慎なものとして届くでしょう。でも、あえて使いたいのです。「楽しい」と感じる、それが本音だからです。
■満足度<納得度
手抜きの問題に入ります。
テクニックとしての手抜きがあります。
施術に一生懸命になるほど、あれもこれも…と持っている技術を総動員して対応したくなります。「早く治ってほしい」と思う気持ちの表れとして。
でも、常にそれが患者さんにベストではありません。
「揉み返し」という言葉がありますよね。その場で気持ちよかったとしても後で痛くなるアレです。刺激のしすぎで、筋肉や神経の組織がダメージを受けたために起こります。マッサージと鍼灸の効果は同じではありませんが、考え方として刺激オーバーは共通します。
一度きりのリゾートで起こった事なら許されます。でも、地域に根ざした通院(リピート)が前提の鍼灸院では事情が違います。「悪化した」という噂が周辺に漂います。とにかく悪化はダメなのです!
患者さんが「ここも痛い」「ここも治療して」と訴えたとしても、その通りに対応したら悪化する、と判断できるなら断ります。その場の満足ではなく、明日、明後日(時には1ヶ月後)を想定して施術することはよくあります。私は、施術中の満足度より納得度を優先させています。もちろん、どちらも高いのが理想ではあります。
「満足度<納得度」が典型的なのは、月経痛(生理痛)やPMSです。周期によってはその場で結果がわからないため、その場での満足度は期待できません。
■図々しいと生命の機嫌を損ねる
患者さんの訴えは1つは限りません。
鍼灸に効果があるとわかれば、いろいろな症状をお願いされます。その症状が治療中のものと関連性が高ければ同時の方が効率がよいです。でも、関連性が低い場合(鍼灸師の中で関連づけられない場合)、順序をつけた方が結果がよいことがあります。
症状がたくさんあっても、一つの生命の中で起こっていることです。医学で分類できても、生命は分類などしていません。生命に備わっている治癒力には限りがあります。その限りある力を無駄なく使えるように調整するのが鍼灸である、とも言えます。
効率が大事です。
「あれもこれもお願いね」と生命にお願いしても「そんなに困るよ~」と拒否されてしまいます。図々しいと生命力は臍を曲げます。治るものも治らない、ということになってしまいます。
生命の機嫌を損ねないように、施術するのがポイントです。
患者さんの心は欲しがっていても、細胞は欲しがっていない刺激もあります。
それを見抜いて「ここはあえて触れずにおこう」という判断が重要になります。患者さんの訴えを退いて決断をするときは勇気もしくは自信が必要です。
技術向上に伴ってその割合が勇気から自信へシフトします。
「手抜き」には不謹慎に響きがありますが、患者さん、鍼灸師の双方のメリットを求めた結果です。患者さんの体力を奪わず、鍼灸師も疲れない。鍼灸師が疲れないことは、常に冷静な判断ができるので、安定して結果を出せるということです。
これが、「鍼灸師は手を抜くために勉強している」と書いた真意です。
患者さんの前では冷静に、影では情熱的に。それがクリ助流です。


コメント
「手抜き」というとマイナスイメージがありますからね。
正確に言うなら「手加減」と言うべきでしょうか?
揉み返しを防止するために手加減して揉むと手抜きと思われるのが嫌ですね。
「手抜き」は言葉としてショッキングなので使いました(笑)
確かに加減なんですよね。今回の記事は「減」に焦点を当ててみました。
整形外科勤務時代、大サービスのつもりで振戦法(ブルブル細かく手を振るわせて振動刺激を与える手技:ちょっと難しいけどかなり練習してできるようになったので)をしたら、影で患者さんが他のスタッフに「あの先生、緊張して手が震えていたよ。大丈夫なの?」と本気で心配されたことがあります。説明をしなかったら最悪な評判になった、という笑えない話があります(苦笑)
手抜きじゃなくて、必要最低限って意味でしょ。
きちんと弁証して、選穴すると必然的にハリ数は
減ってくると僕は思うよ。
あまりにハリ数が多すぎると、治療の方向性が違っていた際に、修正がききずらいよね。
また、仮に方向性が合ってても、どのツボが効いてるのかわからないよ。
>hassyさん
そうそう、必要最低限ですね。
必要最小限な施術と怠惰な施術、一見似ているようで全然違いますよね。
「修正」はまさに同感です。初回からど真ん中の施術をしようと努力するものですが、現実は最初から100%は困難です。実際には微調整を繰り返して最適な刺激を探すものですが、その際に修正がしやすいのは手数の少ない施術であることは間違いありませんね。
修正しやすい=患者さん早く治る
開業間もない頃は、ついつい功を焦って失敗したことが幾度かありました。
”オーバードーゼ”を起こすくらいなら、効果なしのほうがまだマシ”と師匠には教えられていたのですが…。^^;
手を抜くのと、刺激量の調節は根本的に違います。
漢方でいう”さじ加減”じゃないけど、”ハリ加減””灸加減”が当然あってしかるべきと思います。
ハリの本数についてもいろいろ考え方はあるでしょうが、私は散弾銃よりライフルか弓矢がいいなぁ。(笑)
>かもめさん
お久しぶりです!
オーバードーゼ(刺激量オーバー)なら効果ない方がマシというのは同感です。
私の心の中では、効果を出したくていろいろやりたい自分と「オーバードーゼはダメだぜ」と、遮る自分がいつも戦っています(笑)
刺激量は数値化できないので、鍼灸師の技量や経験が問われるところですよね。
おかげさまで、なかなか話が面白くなってきました♪散弾銃とライフル…そういう喩えもわかりやすいですね。