ツボはいくつ使うのが一番効くのか…という問題。
患者さんに限らずプロの鍼灸師でも気になります。
始めに受けた鍼の印象が、その患者さんにとっての鍼です。
お灸もしかりです。
たまたまクリ助が最初に受けた鍼は、あまり本数を使いません。少ない鍼で効果を出すタイプのやり方でした。理論で絞り込んだツボに効果を集中させるのです。
鍼の本数と料金は関係ありませんが、鍼の本数で料金が決まる治療院もあります。
ある時、医療用品を扱う業者さんが、その料金システムを「良心的」と評価していました。何年も前の話ですが忘れられない一言です。良心的かどうかと鍼の本数は全く関係ないのに、どうしてそのような解釈をされていたのでしょうか。
40分コース4,000円、などとマッサージが時間単位で売られていることが多いので、鍼一本がいくらという発想が生まれきたのでしょう。
ここで一旦立ち止まり、考えておきたいことがあります。
「患者さん」と「お客さん」の違いを。
40分コースのマッサージを受けている人は、「40分の間の気持ちよさ」を買っている場合があります。「気持ちよさ」が目的な人を患者さんと呼べるのかどうか。
実際、患者さんとそうでない方の区別は微妙です。施術が終わって帰る際、「お大事に」と声をかけるところは患者さんとして扱っている、「ありがとうございました」というところはお客さんとして扱っている、という話も鍼灸業界では聞かれます。
ここでは話を単純にしたいので、「患者さん=治りたい人」、「お客さん=気持ちよくなりたい人」、と定義してみます。
患者さんは、治るか治らないか(治りそうか、治らなそうか)で、施術内容を評価します。一方、お客さんは、気持ちよいかよくないかで、判断します。
後者の方にとって、気持ちよさがどれだけあったか、が重要です。満足度は「気持ちよさの程度×時間」で判断されます。だから、時間が長いほど満足度が高くなります。マッサージの時間と料金が比例する妥当性がここにあります。
さて、ここで鍼の本数の話に戻ります。
もし、鍼の本数と料金が比例するなら、たくさん使うほど料金が高くなるのは納得です。
でも、実際には鍼の本数と効果は比例しません。だから鍼の本数と料金が比例することに違和感を感じる鍼灸師がいます。
鍼の本数で料金が決められていれば、患者さんは「鍼の本数が多いほどよい治療」と誤解してもおかしくありません。そこから見れば、鍼の少ない施術は手抜きに見えます。
患者さんによって適切な鍼の本数は違います。
流派によっても鍼の本数は違います。
お灸も同様です。
薬を例に考えると、わかりやすいと思います。
薬をたくさん出す医師ほど腕がよいわけではありませんよね。無駄な薬は体力(治癒力)を奪うだけです。それは鍼灸においても同じです。無駄な鍼や灸は体力を奪います。体力を奪うだけではありません。薬に飲み合わせがあるように、ツボにも組み合わせがあります。組み合わせが悪ければ効果が相殺されます。
上手な鍼灸、そうでない鍼灸・・・
その違いとして一つ言えるのは、無駄は施術がないかあるかです。
上手い鍼灸師には、意味のある「手抜き」を感じます。
鍼灸師は手を抜くために勉強をしているようなものです。そういう鍼灸師の努力を知っていれば「鍼の本数で決まる料金」を決して「良心的」とは言わないはずです。
鍼の本数で料金が決まるのを安易に否定できません。言ってみれば「クイック鍼」的なやり方と言えますが、鍼灸を身近なものにする効果を秘めているかもしれません。それは一つの経営戦略で「良心的」と評価されるのは妥当ではありません。
勇気をもって書くなら、良心的である必要はありません。
クリ助は、「よいことをしたい」という意識で鍼灸師をやっているわけではありません。患者さんに喜んでもらえることは嬉しいです。でも、それは鍼灸師を職業に選んだ理由ではありません。人に喜んでもらうなら鍼灸でなくてもできるからです。ボランティア活動でもそれはできます。
鍼灸師をしている理由は「鍼灸ってすごいよね」と感動を一緒に分かち合いたいだけです。映画で感動したら、その感動を誰かと分かち合いたいから「あの映画いいよ!」って薦めますよね。それと同じ気持ちです。クリ助はなぜか鍼灸にめちゃくちゃ感動してしまったのです。
鍼灸の感動は症状がよくなって初めて得られるものです。だから、患者さんに「すごい」と思ってもらえるように施術をする、それに尽きます。そこに「良心的」とかいう感情は入り込んでいないのです。慈善事業として始めたものではないからです。
医療には、キレイな話が求められる傾向があります。
その中では「患者さんのために」という言葉は尊く扱われます。でも、もっと大事なことは、医療者側に方法や手段に対する探求心があるかどうかです。「面白い」という感情を持たなければ技術は向上はしないはずです。
面白いと思うことが、たまたま人の役に立つので職業として成りたっています。
患者さんから「おかげさまで」と言われると、もっと面白く感じます。私は鍼灸に対して「おかげさまで」と感謝します。
その逆も言えます。「鍼灸なんて効かない」なんて言われたものなら、仕事はつまらないものになります。患者さんにも鍼灸にも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
どうせなら、仕事は面白くしたいものです。
そのための手抜きはしません。


コメント
私は、鍼灸師を目指している高校生です。ブログを拝見しました。療法の良さやマナー、料金設定など鍼灸師として将来どのようにすれば良いかの参考になりました。ブログに感謝するのは変かもしれませんが、感謝しています。有り難う御座いました?。また将来の参考にするため拝見するかもしれません。
>○+さん
高校生ですかっ!
私が鍼灸師になろうとしたのが高校2年生なので、私にとって特別な時期です。
○+さんが将来を考える上でこのブログが参考になることがあれば嬉しいですね。鍼灸師の世界について、魅力と現実の両方を書くようにしていますので、また読みに来てくださいね。
匿名で申し訳ありません。
これまでの主張からはずれて、少ない施術が最良との感想を受けます。
鍼灸の施術=薬物でしょうか?
多い施術は本当に体力を、少ない施術より奪うのでしょうか?
いろんな流派があって、それぞれを許容されるのなら、そう表現していただきたいです。
ご自分の流派が最高と思うなら、飾らずにそういえばいいと思います。
まじめな鍼灸師は、治ることを目標に置くはずです。
そこで、鍼の本数、灸の数、そんなことは、どうでもいいことじゃないでしょうか?
このコメントは、消してもいいですし、答えなくてもいいです。
今後の参考に致します。
ずいぶん失礼なコメント致しました。
薄学な無知の学徒の戯言と一笑に付してください。
失礼致しました。
>someoneさん
コメントありがとうございます。
学生さんなんですね。真剣に鍼灸のことをお考ですね!
情熱を感じましたので、ぜひお会いしたいです。
(匿名なのが残念です)
この記事で書きたかった要点。
・ツボ(鍼灸)の数と治療効果は比例しない
・無駄な施術は体力を奪う
上手な施術には無駄な刺激がないと言いたかったのです。
手数がすごく多くても無駄が入り込まなければ効果の出る施術になるはずです。
一つだけ臨床家として書かせてください。鍼の本数、灸の数はどうでもよくありません。鍼灸師は患者さんが一日も早く治る方法を(自らの学術をベースに)いろいろな角度から研究すべきです。「どうでもいい」と思うどころか、それが仕事だと思っています。強い口調でごめんなさい。譲れない部分なので。
そのうち話しましょうね。