「自律神経を整えるツボ」と検索すると、たくさん出てきます。百会、内関、神門、足三里、三陰交……。鍼灸院のホームページでもよく見かけますし、一般向けの健康記事でも紹介されています。
私自身、患者さんとの会話で「自律神経」という言葉を使うことがあります。便利な言葉です。患者さんにも伝わりやすい。でも、この言葉を使うときに少し気持ち悪さを感じることがあります。
そもそも『黄帝内経』が書かれた時代に「自律神経」という言葉はありません。交感神経も副交感神経もありません。当然ながら、「自律神経を整えるツボは○○です」なんて書いてあるはずがありません。
では、現在「自律神経に効く」と言われているツボは、いったい何に効いているのでしょうか。
自律神経を「整える」とは何なのか
ここで、もっと根本的なところから考えてみます。そもそも、自律神経が整っているとは、どういう状態なのでしょうか。
自律神経には交感神経と副交感神経があります。しかし、交感神経が働くことが悪く、副交感神経が働くことがよい、という単純な話ではありません。運動するときには交感神経の働きが必要ですし、休息するときには副交感神経の働きが重要になります。
では、何をもって「整った」と判定するのでしょうか。
ここが意外に難しいのです。自律神経全体の「整い具合」示す公式な指標はありません。 血圧を測って「120/80mmHgだったから自律神経は80点」というような共通の物差しは存在しません。
研究では、心拍数、心拍変動(HRV)、血圧、発汗、皮膚電気活動、皮膚温、瞳孔など、さまざまな指標を使って自律神経の働きを推測します。心電図から一拍ごとの間隔を調べるHRVは、鍼の研究でもよく使われています。
つまり研究者は、自律神経そのものを一つのメーターで測っているわけではありません。それぞれが研究目的に応じた指標を用意して、自律神経活動の一面を評価しています。
「自律神経が整った」は意外と曖昧
たとえば足三里に鍼をしたとします。鍼をする前と後でHRVを測ったところ、ある指標に変化が出た。これは立派な研究です。でも、「足三里に鍼をすると自律神経が整うことが証明された」とまで言ってよいのでしょうか。少し話が大きくなっています。
正確には、足三里への刺激によって、自律神経活動と関連する指標の一つに変化が現れたということです。別の研究では血圧を調べるかもしれません。皮膚温を測るかもしれません。胃腸の動きを調べるかもしれません。それぞれが自律神経の働きを見るための窓です。でも、どれか一つが「自律神経そのもの」ではありません。
そう考えると、「自律神経を整える」という言葉には、思っていた以上に曖昧さがあります。だから、この言葉を使うなと言いたいわけではありません。むしろ、ここからが今回考えたいことです。
古典だって同じではないか
ここまで書くと、「やっぱり自律神経なんて曖昧な言葉じゃないか」という話になりそうです。でも、私はそういう結論にしたくありません。
なぜなら古典を読んでいると、古代の医学も似たことをしていると思うからです。
古代の医者には心電計がありません。血圧計もありません。スマートウォッチもありません。では、身体の中で起きていることをどうやって知ろうとしたのでしょうか。
脈を診る。
顔色を見る。
汗を見る。
呼吸を見る。
身体に触れる。
痛みを聞く。
食べられているかを聞く。
眠れているかを聞く。
そうやって身体の表面に現れている徴候を拾い集め、身体の中で何が起きているのかを推測しました。
もちろん現代の生理学的検査と古典医学を同じものだと言っているわけではありません。測定精度も検証方法もまったく違います。でも、考え方の構造には似ているところがあります。
直接見ることのできないものを、観察できる指標から推測する。
これは現代の自律神経研究でもやっていることです。
指標をつくることで身体を理解する
考えてみれば、医学は指標だらけです。体温、血圧、心拍数、血糖値、酸素飽和度。これらは身体そのものではありません。身体の状態を理解するために、人間が選んだ指標です。
自律神経研究ではHRVや血圧、発汗などを見る。古典医学では脈や舌や顔色、汗、食欲、睡眠などを見る。違うのは、何を指標として選んだのかです。
ここで私は、古典医学を現代医学より優れたものとして持ち上げたいわけではありません。当然、客観的に数値化できる現代の測定機器には大きな強みがあります。ただ、現代医学の言葉に置き換えれば曖昧さがなくなるというわけでもないのです。
「自律神経」という言葉を使った瞬間に科学的になったような気がします。でも、「自律神経が整った」という言葉の中身を見てみると、研究者はHRVや血圧や発汗など、それぞれ別のところから自律神経を観察しています。
「自律神経のツボ」は古典にはない
では、話をツボに戻します。
現在、自律神経に効くツボとしてよく紹介されるのが、百会、内関、神門、足三里、三陰交などです。もちろん古典では、これらを「自律神経のツボ」としてまとめていません。
内関には心胸部の症状や嘔吐などがある。神門には驚悸や心煩、不眠などがある。足三里には胃腸症状がある。百会には頭痛や眩暈などがある。三陰交には婦人科、泌尿生殖器、胃腸、不眠など、幅広い主治があります。
バラバラです。
ところが現代人の目で見ると、動悸、不眠、胃腸の不調、めまい、発汗、倦怠感などを「自律神経の問題ではないか」と考えることができます。
つまり、古典に「自律神経のツボ」があったのではありません。
古典で別々に扱われていた身体現象を、現代人が「自律神経」という新しい箱に入れ直した。
私は、このように考える方が自然だと思っています。
翻訳することは悪いことではない
ここで「そんなものは古典にないのだから、自律神経という言葉を使うべきではない」と言ってしまうと、私はそれも違うと思います。
患者さんに古典の用語で説明するより、「自律神経が関係しているかもしれません」と言った方が伝わることがあります。現代人は「自律神経」という言葉を知っています。
面白いことに、東洋医学を知らない人でも、「病院では異常がないと言われたけれど、なんとなく身体の調子が悪い」という状態を、「自律神経が乱れているのかな」と理解することがあります。
古典医学とはまったく違う言葉を使いながら、身体全体の調子を一つの病変だけでは説明できないという感覚を現代人も持っているわけです。
そういう意味では「自律神経」という言葉は、古典医学の身体観を現代人に説明するとき、とても便利な翻訳語です。
古典を読むと言いにくくなる
ところが困ったことがあります。古典を勉強すればするほど、「このツボは自律神経を整えます」と言い切りにくくなります。古典にはそんなことは書いていないと知っているからです。
むしろ、古典をあまり勉強せず、最初からセミナーなどで「自律神経には○○穴」と教わった鍼灸師の方が迷いません。患者さんにも説明しやすいでしょう。これはちょっと皮肉です。
勉強した結果、言葉に慎重になる。でも、患者さんに伝えるには現代の言葉を使った方がよい。私自身、この間で揺れます。
翻訳すると失われるもの
私は、古典医学を現代医学の言葉で説明することに反対ではありません。むしろ必要だと思っています。
問題は、すべてを置き換えようとすることです。
古典にある動悸も、不眠も、胃腸症状も、発汗も、めまいも、「はい、自律神経です」とまとめてしまえば簡単です。でも、まとめた瞬間に、それぞれの現象を別々に観察していた古典医学の情報が消えてしまうかもしれません。
翻訳するとわかりやすくなります。その代わり、翻訳できなかったものが落ちます。これは外国語を翻訳するときと同じです。
だから私は、
患者さんには現代の言葉で説明する。自分の頭の中まで現代の言葉だけにしない。
くらいにしておくのがちょうどよいのではないかと思っています。
古代人の指とスマートウォッチ
ここまで考えていて、面白いものに気がつきました。スマートウォッチです。
最近のスマートウォッチは、手首から心拍数や心拍変動などを測定し、睡眠やストレスなどの指標を表示します。時計の裏を見ると光っています。あれは皮膚に光を当て、血流の変化から脈拍を読み取っています。
古代の人は手首に指を置きました。現代人は手首にセンサーを置いています。
もちろん、脈診とスマートウォッチは別物です。古代の脈診をスマートウォッチが科学的に証明した、なんて話でもありません。でも、身体の表面に現れる小さな変化を拾い、直接見ることのできない身体内部の状態を推測するという発想は、どこか似ています。しかもスマートウォッチは、単に一分間に何回脈が打ったかだけではなく、一拍ごとの間隔の揺らぎまで見ています。
二千年前の人は指で脈を診ました。現代の研究者は心電図を使います。私たちは手首にスマートウォッチを巻いています。ずいぶん違うことをしているようで、身体を知ろうとすると、結局また身体の表面に現れる小さな徴候を拾っています。
同じ身体を違う言葉で見ている
古典医学と現代医学は、まったく違う時代につくられた医学です。使っている言葉も違えば、身体の分類の仕方も違います。それでも、見ている身体は同じ人間です。
ここまで「自律神経」という言葉について考えてきて、私はこの当たり前のことが一番重要なのではないかと思うようになりました。
古代の人が見ていた動悸と、現代人の動悸は別の現象ではありません。眠れない人も、胃の調子が悪い人も、汗をかく人もいました。それを古代の医者は古代の医学で整理し、現代の私たちは現代の医学で整理しています。
だから、古典に書かれているものを現代医学の言葉に置き換えたとき、驚くほどきれいに重なることがあります。一方で、どうしても重ならないところも出てきます。
私は、その重ならないところが大事だと思っています。
きれいに重なったところだけを拾えば、古典は現代医学の不完全な説明書になってしまいます。「昔の人は自律神経という言葉を知らなかったから、気や陰陽という言葉で説明したのだ」と考えれば、話は簡単です。でも、本当にそれだけでしょうか。
古代の人は、現代医学とは違う分類で身体を見ていました。だからこそ、現代医学の分類では見落としてしまう関係を拾っている可能性があります。逆に、古典では見えなかったものを現代医学が見えるようにしたところもたくさんあります。
どちらかを正解にして、もう一方を翻訳するのではありません。
同じ身体を、違う角度から見ている。
そう考えると、「自律神経」という言葉も「気」という言葉も、身体そのものではありません。身体を見るためにつくられた言葉です。
大切なのは言葉に身体を合わせることではなく、目の前の身体に合わせて言葉を使うことなのだと思います。だから私はこれからも患者さんに「自律神経」という言葉を使うでしょう。でも、頭の中ではそれだけにしないようにしたいと思います。
古典の窓から見える身体と、現代医学の窓から見える身体。両方から覗いてみた方が、きっと身体は面白いのです。
「自律神経のツボ」を決めるのは誰なのか
ここまで考えてくると、「自律神経を整えるツボはどこですか?」という問いそのものを、少し変えた方がよいように思います。
百会なのか、内関なのか、神門なのか、足三里なのか、三陰交なのか。最初から答えをツボの名前に求める必要はありません。
自律神経を評価するのであれば、心拍数、心拍変動(HRV)、血圧、発汗、皮膚電気活動、皮膚温、瞳孔など、観察できる指標があります。もちろん一つの指標だけで「自律神経が整った」とは言えませんが、施術によって自律神経に関連する指標が望ましい方向へ変化したのであれば、その人にとって、そのとき使ったツボは「自律神経を整えるツボ」になり得ます。逆も同じです。
有名な鍼灸師が「このツボは自律神経を整える」と言っていたとしても、実際に使って何も変わらないのであれば、少なくとも目の前の患者さんに対して、その説明をそのまま受け入れる理由はありません。
ここで難しいのは、ツボは薬のように同じものを誰でも同じように使えるわけではないことです。同じ「足三里」を使うと言っても、鍼灸師によって取る位置は微妙に違います。刺す方向も深さも違います。鍼の太さも違えば、刺激量も違います。
さらに言えば、同じ鍼灸師が同じ場所に同じように鍼をしても、いつも同じ結果になるとは限りません。患者さんの状態も違いますし、施術者との関係性や施術を受ける状況によっても反応は変わるでしょう。
そうなると、「自律神経に効くツボ」というものが身体のどこかにあって、それを正しく覚えればよい、という話ではなくなります。
ツボに鍼や灸をしたら、起きた変化をしっかり診る。
こちらの方が鍼灸の本来の姿に近いように思います。
先人たちは身体を観察し、反応を拾い、それを言葉にして残してきました。現代の私たちには、そこに心電図やHRV、血圧計、スマートウォッチといった新しい観察手段も加わっています。だったら、それを使えばよいのです。
目の前の患者さんに鍼をして、何が変わったのか。
結局、施術後の変化を丁寧に観察することが大事です。そうすれば、すべてのツボが自律神経を整えるツボになり得ます。もっと言ってしまえば、鍼灸は、そもそもが自律神経を調整する技術であると私は思っています。
ですから、「自律神経を整えるツボはありますか?」と聞かれたら私はこう答えています。
「どれでも!」
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