白紙では考えられない
「自由に描いてください」
こんなふうに言われて、真っ白なキャンバスを渡されたとします。そのとき「何を描いてもかまいません」「色も形も自由です」と条件を自由自由にされると、かえって何を描いたらよいのかわからなくなります。
いっぽうで、「赤と黒だけを使ってください」「丸いものを描いてください」「3分以内に描いてください」と条件を与えられると、急に考えやすくなります。自由が増えたからではありません。考える範囲が決まったからです。
制約は思考を妨げるのか
私たちは、制約が少ないほど自由に考えられると思いがちですよね。でも、選択肢が多すぎると、どこから考え始めればよいのかわからなくなります。白いキャンバスが難しいのは、選択肢が少ないからではありません。選択肢が多すぎるからです。
認知心理学者のパトリシア・ストークスは、創造性と制約の関係の研究で有名ですが、彼は「制約は発想を狭めるだけではなく、既存の答えへ向かう道を塞ぎ、別の方向を探すきっかけになる」と説いています。
たとえば、「自由に椅子をデザインしてください」と言われるより、「脚を使わずに椅子をデザインしてください」と言われた方が、思考は動きやすくなります。
脚を使わないという条件が加わることで、壁から吊るす、身体に装着する、床そのものを変えるといった発想が生まれます。制約によって可能性が減ったのではありません。探す場所が見えるようになったのです。
詳しくは、パトリシア・ストークスの論考「Creativity from Constraints」で論じられています。日本語では「不自由をデザインする――制約と摩擦が、創造性と愛着を生む」という記事がわかりやすく紹介しています。
制約とは、思考を閉じ込める壁ではありません。
思考を始めるための座標軸です。
同じ問題が、同じように見えているとは限らない
認知科学には「問題表象」という言葉があります。目の前の状況を、頭の中でどのような問題として組み立てるかという意味です。
物理学の専門家と初心者に、いくつかの問題を分類してもらった有名な研究があります。
初心者は、問題文に出てくる物や見た目で分類しました。
滑車の問題
斜面の問題
バネの問題
対して、専門家はこのように分類しました。
エネルギー保存則を使う問題
ニュートンの運動方程式を使う問題
運動量保存則を使う問題。
初心者は表面に見えるもので分類し、専門家は問題の背後にある構造で分類したのです。
この違いは、単に知識量の差とは言えません。何を手がかりにして、問題をどのような形に組み立てているかが違います。同じ問題を見ても、同じように見えているわけではないのです。
この研究は、Chi、Feltovich、Glaserによる「Categorization and Representation of Physics Problems by Experts and Novices」で報告されています。
鍼灸師は症状名で問題を見ている
これは鍼灸にも、そのまま当てはまります。
理論を知らない初心者は、症状名を見て、対応するツボを探します。
腰痛だから腰痛のツボ
肩こりだから肩こりのツボ
不眠だから不眠のツボ
これは、滑車の問題、斜面の問題、バネの問題と分類する初心者と構造が同じです。
理論を知っていれば同じ腰痛でも条件が違うことに意識が向きます。
前屈で痛むのか
回旋で痛むのか
立ち上がるときに痛むのか
どの部位に反応があるのか
施術後にどの動きが変わったのか
症状名が同じでも、問題の構造が同じとは限りません。症状名だけを手がかりにツボを選ぶと、その違いが見えなくなります。しかし、何を観察し、何と何を比較すればよいのか、手がかりが必要です。
「自由に考えろ」と言われても、考えようがないのです。
答えではなく、足場を与える
教育学には「スキャフォールディング」という概念があります。日本語では「足場かけ」と訳されています。建物をつくるとき、いきなり高い場所では作業できません。まず足場をつくり、その上で作業を進めます。建物が完成すれば、足場は外されます。
思考も同じです。
一人ではまだ扱えない問題に対して、教師が課題を分け、注目するところを示し、進む方向を支える。これが思考の足場になります。
この概念を提示したWood、Bruner、Rossの論文「The Role of Tutoring in Problem Solving」では、問題の自由度を減らすことや、重要な特徴を示すことなどが指導者の役割として挙げられています。
ここで重要なのは、足場は答えそのものではないということです。
「この症状には、このツボを使いなさい」
これは答えです。
いっぽうで、
どの動作で症状が現れるのか
何を施術前後で比較するのか
どの条件を変えるのか
結果が違ったら、どの前提に戻るのか
こちらは思考の足場です。
何を手がかりにして考えればよいのかを示してくれるものです。
「自由に考えなさい」では考えられない
初心者に複雑な問題を与え、最小限の説明だけで自由に解かせる教育には限界があります。人が一度に頭の中で扱える情報量には限りがあります。基礎知識や問題の枠組みを持たない人は、考える前に、何を扱えばよいのかを決めるだけで疲れてしまいます。
Kirschner、Sweller、Clarkは「Why Minimal Guidance During Instruction Does Not Work」という論文で、初心者には一定の指導が必要であると論じています。
知識が蓄積されると、その知識が自分の中で案内役として働くようになります。それまでは、外から与えられる足場が必要です。
これは「自由に考えるな」という話ではありません。自由に考えるためにも、考えるための材料と枠組みが必要だという話です。
思考に必要なもの
思考は、真っ白なところから突然生まれるものではありません。少なくとも、次のものが必要です。
材料、座標軸、問い、そして検証です。
材料とは、観察した事実や、それまでに得た知識です。
座標軸とは、集めた情報を分類し、関係を整理するための理論です。
問いとは、何と何を比較し、何を確かめるのかという方向です。
検証とは、予想と結果の違いを確認することです。
材料だけあっても、座標軸がなければ情報は散らばったままです。座標軸があっても、問いがなければ理論を当てはめるだけになります。問いがあっても、検証しなければ思いつきで終わります。
このように考えると、「この症状にはこのツボ」という知識は、思考が入り込めません。答えを知った瞬間に、観察も比較も止まってしまうからです。もちろん、効果があれば問題はありませんが、臨床はそんな単純なものではありません。
理論は思考の座標軸である
「この症状にはこのツボ」と示されれば、臨床は簡単です。しかし、その関係が現場で成立しなければ、どうにもならないのです。考える手がかりがなければ、その後どうすることもできません。だから理論が必要なのです。
私が鍼灸理論に望んでいるのは次の通りです。
身体のどこに注目し
何と何を比較すればよいのか
どのような関係を確かめればよいのか
これらは、どこから考え始めるかを示す座標軸です。
座標軸があれば、予想した結果が出なかったときにも考えることができます。
選んだツボが違ったのか
ツボの位置が少しずれていたのか
症状の捉え方が違ったのか
結果が理論に合わないとき、それを失敗として片づけるのではなく、思考を進める材料にするのです。もちろん、座標軸があれば、必ず正しい答えにたどり着けるわけではありません。
座標軸そのものが間違っている可能性もあります。だからこそ、観察し、比較し、仮説を立て、確かめる必要があります。結果が合わなければ、前提に戻って考え直します。
この往復は、数学的思考に近いものです。数学的思考とは、計算が速いことではありません。複雑で曖昧な人体を思考と接続し、解決方法を導くためのツールなのです。
私は、鍼灸理論がそのような思考の道具であってほしいと考えています。そして、その理想を実際の臨床で使える形にする挑戦を、整動鍼に込めてきました。ツボとツボ、ツボと動き、動きと症状。その関係を観察し、確かめ、修正しながら、鍼灸臨床を思考と接続しようとする試みです。
なぜ鍼灸師に数学的思考が必要なのか。その出発点については、整動協会のブログに書きました。よろしければ、こちらも続けてお読みください。
「このツボで治る」から抜け出す ―鍼灸師に必要な数学的思考」(整動協会)
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