「脈を診ますね」
そう言われたら、たいていの人は手首を差し出すと思います。鍼灸師も同じです。「脈診」と聞けば、手首の橈骨動脈に指を当てて脈を診る方法を思い浮かべます。でも、古典を読んでいると、その感覚を改めなければなりません。
そもそも「脈」って何なのでしょうか。
前回は、1973年に中国の馬王堆漢墓から発見された医学書を紹介しました。そこには現在のような十二経脈はなく、十一の「脈」が記されていました。
『足臂十一脈灸経』
『陰陽十一脈灸経』
です。
経絡よりも古い時代まで遡ろうとすると、そこに現れるのは「脈」です。ここに出てくる「脈」と現代の医療で使われている「脈」をいったん切り離して考えていきましょう。最後まで読んでいただけると、古代と現代のつながりが見えてきます。
ということで、今回は「脈」という文字を追いかけてみます。
「脈」を手首の脈だと思ってはいけない
『霊枢・経脈篇』には、
肺手太陰之脈
肺の手太陰の「脈」です。
とあります。
この脈が身体のどこを通るのかが説明されていきます。その途中に、とても興味深い文章があります。
入寸口、上魚、循魚際、出大指之端
寸口に入り、魚に上り、魚際を循り、母指の端に出る。
ここで注目したいのは、
入寸口
寸口に入り
です。
脈が「寸口に入る」と書いてあります。寸口とは、現在の脈診でも使われる手首のところです。ということは、少なくともこの文章では、「脈=寸口で触れる拍動」ではありません。脈という何かが身体を走っていて、その途中に寸口があるということです。
私たちは「脈」と聞くと、どうしてもドクンドクンと拍動するものを想像します。現代の「脈拍」という言葉に引っ張られているのでしょう。でも、古典の「脈」は、それだけではなさそうです。
「脈」は経絡なのか
東洋医学を勉強していると「そうか、古典の脈とは経絡のことか」と考えてしまいたくなるのですが、結論を急ぎすぎです。
前回紹介した馬王堆の医学書にも「脈」はあります。しかし、そこにあるのは現在の完成した十二経脈ではありません。十一脈です。しかも、それぞれの脈は独立性が高く、現在の十二経脈のように全身をぐるりと循環する構造にはなっていません。
ですから、「脈=経絡」と置き換えてしまうと、また完成した理論を古い時代に持ち込むことになります。いったん「脈」は「脈」のままにしておきながら、もう少し見ていきましょう。
「脈」は触ることもできる
『霊枢・本輸篇』には、こんな文章があります。
任脈側之動脈足陽明也、名曰人迎
任脈の傍らにある「動脈」は足陽明であり、人迎と名づける。
ここには、はっきり「動脈」と書かれています。人迎は首にあります。実際に触ってみれば、拍動を感じる場所です。
さらに、
腋内動脈手太陰也、名曰天府
腋の内側にある「動脈」は手太陰で、天府と名づける。
とあります。
古代の人が身体の拍動を認識していたことは間違いありません。ここで注目したいのは「動脈」という言葉だけではありません。
動脈足陽明也
「動脈」は足陽明である
と書いてあることです。
現代の鍼灸師なら「足陽明」と聞けば、すぐに足陽明胃経を思い浮かべるでしょう。顔から身体を下り、足まで続いている一本の経絡です。でも、ここでも完成した経絡を先に持ち込まない方がよさそうです。
原文に書いてあることだけを見れば、首で拍動を感じる場所があり、それを「足陽明」と呼んでいる。そして、その場所を「人迎」と名づけています。
同じように、腋で拍動を感じる場所を「手太陰」としています。
つまり、「足陽明」や「手太陰」は、少なくともこの文章では、私たちが現在思い浮かべる身体に描かれた一本の線だけを意味しているとは限りません。身体表面で実際に触れることのできる拍動とも結びついています。
現代の私たちは「動脈」と聞けば、心臓から送り出された血液が流れる血管を思い浮かべます。しかし、この文章では血管の構造について説明しているわけではありません。
ここに拍動がある。これは足陽明である。
ここにも拍動がある。これは手太陰である。
古典に書かれているのは、まずそこまでです。
「これは血管の話」「これは経絡の話」と現代の知識で仕分けする前に、古代の人が身体に触れて感じたものを、どのように「脈」として捉えていたのかを見ていく必要がありそうです。
見えない「経」をどうやって診るのか
ここで第1部の話に戻ります。
『霊枢・経脈篇』には、
經脈者、常不可見也
経脈は常には見ることができない。
とあります。
そして、
脈之見者、皆絡脈也
見える脈は、みな絡脈である。
第1部では、ここから「経」と「絡」をいったん分けて考えました。
経は見えない。
絡は見える。
でも、ここで一つ疑問が出てきます。見えないものを、どうやって診るのでしょうか。経脈を見ることができないのであれば、その状態がよいのか悪いのか直接確認できません。ところが『経脈篇』を読み進めると、そのヒントになりそうな記載があります。
寸口だけを診ていたわけではない
『経脈篇』では、それぞれの脈について、その脈が盛んなのか、虚しているのかを判定しています。
たとえば手太陰肺の脈では、
盛者、寸口大三倍於人迎、虚者、則寸口反小於人迎也。
盛んな場合は寸口が人迎より大きく、虚している場合は反対になる。
とあります。
細かな倍率の問題はいったん置いておきます。
ここで大切なのは、寸口だけを診ているわけではないことです。比較している相手は、人迎です。位置で言うと、手首(寸口)と首(人迎)です。この二つの場所の拍動を比べて、脈の状態を判断しています。
現代の鍼灸師が「脈診」と聞くと、寸口に指を当てる姿を思い浮かべます。しかし、『黄帝内経』の中にある脈の診察を、そのイメージだけで読んでしまうと大切なものを見落としてしまいます。
さらに『素問』には、三部九候と呼ばれる診察法も出てきます。身体の複数の場所で脈を診ます。「脈を診る=寸口を診る」ではありません。少なくとも『黄帝内経』には、もっと広い「脈を診る」という世界があります。
寸口は「窓」だったのではないか
ここまで古典の記載を並べるとこんなふうに考えるのが自然です。寸口は「脈」そのものではなく「脈の状態を覗く窓」だったのではないか、と。
人迎も同じです。経脈そのものは、
常不可見
見ることができない。
とはっきり書かれています。
しかし、その状態が身体のどこにも現れないのであれば診察のしようがありません。そこで、身体の表面に現れるものを観察する。絡なら、目で見ることができる。
寸口や人迎なら、指で拍動を触れることができる。つまり、見えないものを、見えるもの、触れるものから推測するのです。そう考えると、「経は見えない」という話と「脈を診る」という話がつながってきます。
ただし、経が見えないから寸口診が考案されたとまで言うことはできません。そこまでの因果関係が古典に書かれているわけではないからです。
それでも、『経脈篇』の中で「経脈は常には見えない」と言いながら、その経脈の盛衰を寸口や人迎に現れる拍動から判断していることは、とても興味深いと思います。
脈診はなぜ手首だけになったのか
そう考えると、今度は逆の疑問が出てきます。
なぜ現在の脈診は、手首が中心なのでしょうか。
首にも拍動があります。足にもあります。『黄帝内経』には身体の複数の場所で脈を診る方法があります。それが後世になると、「寸口」が非常に重要な場所になっていきます。
「独取寸口」という考え方です。ここを追いかけていくと、それだけで一本の記事になってしまいますので今回は深入りしません。
ただ、順序として大切なのは、最初から「脈診=寸口」だったわけではないということです。古典に「脈」と書いてあるのを見て、反射的に現在の脈診を思い浮かべない方がよさそうです。
ちなみに、現代の日本鍼灸では、左右の寸・関・尺に指を置く「六部定位脈診」がよく知られています。いかにも古典にそのまま書かれていそうな名前ですが、実は「六部定位脈診」という名称は古典にはありません。現在確認されている初出は、1942年に岡部素道が発表した文章です。
もちろん、その材料となった寸・関・尺や臓腑配当などの考え方はもっと古いものです。しかし、古典に書かれた「脈を診る」という行為と、現在私たちが知っている「六部定位脈診」を最初から同じものとして読むことはできません。
ここでも、完成したものを過去に持ち込まないようにする必要があります。
「経絡」という地図ができるまで
さて、ここまで三回にわたって経絡を遡ってきました。第1部では「経」と「絡」を分けました。第2部では、さらに古い馬王堆の医学書まで遡りました。そこにあったのは「経絡」ではありません。十一の脈でした。
今回、その「脈」が何を意味していたのか考えてみました。
身体を走る「脈」がある。
拍動として触れる「動脈」がある。
脈の状態を身体表面から診る方法がある。
こうした「脈」をめぐるさまざまな身体観察が、後の経脈や絡脈という身体の地図につながっていったのだとすれば、「経絡」というものの見え方が少し変わってきます。経絡は、ある日突然誰かが発見したものではないのかもしれません。
「ここに経絡が走っているぞ!」
と発見して、十二本の線を引いたわけではありません。そこには、身体に触れ、身体に問いかけ、その応答を拾い続けた長い時間があったのです。
触る。
刺激する。
変化を見る。
拍動を診る。
そこから得られた経験が何世紀にもわたって積み重なり、やがて一つの身体の地図として整理されていったのではないでしょうか。
経絡はいつ生まれたのか
シリーズのタイトルに戻ります。
経絡はいつ生まれたのでしょうか。残念ながら「紀元前○年です」と答えることはできませんでした。でも、調べてみると、それで当然なのだと思うようになりました。経絡には、誕生日がないのかもしれません。最初から完成した「経絡」があったわけではないからです。
脈がある。
その脈を観察する。
脈と身体の各部との関係が整理される。
経と絡が区別される。
臓腑との関係がつくられる。
それぞれがつながり、一つの体系になっていく。そうした長い積み重ねの先に、現在私たちが「経絡」と呼んでいるものがあるのでしょう。だから古典を読むときに気をつけなければならないことがあります。
私たちは、すでに完成した経絡を知っています。十二経脈を知っています。どこを見ても「肺経、大腸経、胃経、脾経……」と書かれています。ツボが経絡の上に並んでいることも知っています。
その知識を持ったまま古い文章を読むと、古典の「脈」を勝手に「経脈」に変え、「脈を診る」を現在の「脈診」に変え、「経」と「絡」を最初から一つの「経絡」として読んでしまいます。
完成した経絡から古典を読むのではなく、古典の中から経絡ができていく様子を見る。
これが、この三回で言いたかったことです。
古典が記す世界は不思議ではない
古典を読む時に大切なのは、「昔の人はすごかった」という超人的な能力を想定しないことです。古代人も現代人も同じ人間です。古代と言っても二千年くらい前の話です。人類の歴史というスケールから見れば、私たちとまったく別の人間だったわけではありません。
身体に触れる。拍動を感じる。刺激をする。変化を見る。
今回見てきたことも、基本的にはそうした身体観察の積み重ねです。特殊な能力を持っていたと考えなくても説明できます。むしろ、そのように読んだ方が古典に書かれている医学を具体的に考えることができます。
古典をオカルトの道具にしてはいけないと思います。何が書いてあるかわからないからといって、どのように解釈してもよいわけではありません。わからないところはわからない。それでも、書いた人には何かを伝えようとした意図があったはずです。その意図を、実際に書かれている言葉からできるだけ丁寧に拾っていく。それが私の古典との付き合い方です。
最後に私のスタンスを書いておきます。二千年前に書かれたものが現代でも通用するとは限りません。それに、そもそも私は古典の全貌を知っているわけではありません。
ただ、鍼灸師の教養として「古典に何が書かれているのか」を知っておくことには意義があると思います。
今後も古典を切り抜きながら解説していきます。皆さんの教養の一部にしていただけたら嬉しいです。
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