遠隔に鍼をするもう一つの理由

遠隔に鍼をする理由を整理します。
離れたツボ、その効果不動則痛、動則不痛(動作の連鎖性理論)のつづきです。

 1.リスクの軽減
 2.循環システムの回復
 3.連動性の回復(不動則痛、動則不痛)

これに加えて、もう一つ重要な理由があります。

 4.施術前後のテスト

■圧痛

循環や連動性が回復すると、関連した部位での圧痛が緩和します。
圧痛とは押すと痛みが出るところです。

流れが悪い、動きが悪い、というところに圧痛がよく出現します。
この圧痛は施術前後のテストに便利です。

患者さんに、

鍼をしました。
お灸をしました。

そして尋ねます。

「どうでしょう?」

患者さんは困惑してしまいます。
何を答えればよいかわからないからです。

■変化

患者さんに変化を感じて頂くのも重要な仕事の一つです。
確認するとしないでは大きな違いがあります。

物を売る商売なら、現物がそこにありますが、私たち鍼灸師は「変化」を売る職業です。
身心が好転するという変化です。

腰痛を例にします。

患者さんが痛いと訴えるところに鍼をするとしましょう。
事前に押して圧痛をチェック。

そして、鍼。

もう一度同じところで圧痛をチェック。

しかし問題が。

痛いところに鍼をしたのだから、感覚の変化は当然。痛みが減ることもあれば、鍼をした余韻で痛みが強くなったように感じることもあります。

患者さんはこんな事を言うことが多いです。

「鍼をしたばかりだからよくわかりません。」

確かにそうです。わかりにくいのです。よくなったのか、どうなのか・・・。
鍼灸師側は好転を確認できたとしても、患者さんはしっくりこない状態です。

よいことではありません。
患者さんは、効果に半信半疑のまま帰ることになるからです。

「さて、どうなるだろう・・・」

とまるでサイコロを転がしたような気分になってしまいます。
心理が安定しているとは言えません。

■信用できない圧痛

鍼をした局所は、前後の変化がわかりにくいものです。
「前」と「後」の間に施術という「中」が入るからです。

「鍼をされる」というイメージだけでも感覚は変わってしまいます。
痛みの感覚なんてものは気持ちで簡単に変わってしまいます。

このような理由から、痛みの局所に鍼をした場合、前後の圧痛テストが信用できないものになってしまいます。
圧痛だけでなく、関節を動かしてテストする場合でも、鍼をした雰囲気が残っていると、その雰囲気で実際の痛みがどうなのか判断がつきません。

■そもそも、、、

もし、痛いところに鍼をする、という話で進めていくと、眼精疲労だったら目に刺す、とホラーになってしまいます。鍼は「痛いところにすること“も”ある」だけです。鍼や灸の醍醐味は遠隔にあると言うこともできると思います。けっして局所に施術することが悪いわけではなく、時と場合によっては局所が必要です。

「患者さんは痛いところに鍼をしないと納得しない。」

こんな言葉を鍼灸の勉強会で聞きました。指導されていた先生は「妥協的な鍼も必要だ」という考えを示しました。とてもショックでした。それは悲しいショック。局所に鍼をする理由がそうであるならば、鍼灸とは何ともつまらないものです。(追記:2009-10-23)

患者さんの納得とは・・・何か。(つづく…患者さんは何をしにやってくる?

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コメント

  1. jackal より:

    >>「患者さんは痛いところに鍼をしないと納得しない。」
    「痛いところが痛くなくならないと納得しない」の
    間違いでワ?

  2. クリ助 より:

    >jackalさん
    間違いではないです。「痛いところ、つまり局所鍼をしないと患者さんは納得しないので、とりあえず局所にもしておかないとダメ」と指導されました。
    jackalさんのおっしゃる通り、「痛いところが痛くなくならないと納得しない」ならショックは受けなかったのですが…。
    次回に詳しく書きますね。

  3. ムム より:

     超久々のコメントです。
     クリ助さん覚えていますでしょうか?いつもながら濃い内容のブログで大変勉強になっています。
     多くの治療家は患者さんを満足・納得させる責任感で仕事をしているのではないでしょうか?
     
     私は、治療をする際には治療をする側と治療を受ける側のルール・責任を明確にして接しています。
     患者さんには、わかりやすく言えば治療に対して積極的に参加するように、効果を感じ取ってもらう努力をしていただくようにしています。つまりは相互責任ですね。
     それには治療師が「治療」という存在そのものをどう考えるのか?ということにもなるかと思います。
     「治療」という存在そのものにパラダイムシフトを起こすと、治療家だけが満足させなければならない責任を持つという治療家が等しく持つ呪縛から解き放たれるのかもしれません。
     
     簡単なことではありませんが、私は名医だけでは治療は成り立たず、名医名患者がいいと考え、日々苦闘しております。

  4. クリ助 より:

    >ムムさん
    覚えていますよ、もちろん!
    熱いコメントありがとうございます!!
    そう、「治療」というものをどう考えるかという問題がありますよね。今回の記事は私の考えを示しました。そして、一つの問題提起をしようと目論んでおります。
    私にとっては「変化」がキーワードになります。変化に基づく(患者さんの)納得を大事にしているというスタンスを書かせていただきました。この場合、患者さんに対して「変化を感じる」努力を施術側として要求しなければなりません。
    それとは反対に、患者さんはただ身を任せていさえすればよい、というスタイル(スタンス)もあると思います。効果はあとで自由に感じてくださいと。
    後者は、治療家が責任のすべてを持つ、ということになると考えていますが、ムムさんのご意見と重なりますか?
    治療観にパラダイムシフト!
    なんだかワクワクする言葉ですね。
    大きな話はできませんが、私自身の治療観が活法によって明らかにシフトしたので、一つの例をこのブログで明らかにしたいと思います。
    コメントにとても刺激を受けました。またコメントをくださいね!

  5. 鍼青年 より:

     初めましてm(__)m
     かの馬場白光先生も『目が悪い人の目に鍼刺しますか?』と仰ったそうですね
     自分は卒後から経絡治療に触れて、初めて鍼灸の妙味を垣間見ました・・・
     『炎に!ではなく火元に!』水を掛けるべきと、最近は遠隔部への治療の説明の例えにしてます。

  6. クリ助 より:

    >鍼青年さん
    はじめまして!
    まさに馬場先生のお言葉通りですね。火元に水というのは、なかなかわかりやすい例ですね。私も使わせていただきます。「妙味」という言葉もなかなかステキですね。私好みです♪

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