マーケティング論_01「タブーへの挑戦」
マーケティング論_02「囲い込むのは誰のため?」
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医療でありながら、医療の孤島で生きて行かなければならない鍼灸師。無数に存在する整体列島の中で、どうやって存在価値を表現すればよいのか…。
医療人でありながら、医学に没頭していると社会的健全性を保てない=食べていけない鍼灸師。容赦なくビジネスセンスを問われます。そこで、医療人とビジネスオーナーとしての間で苦しむ鍼灸師。私のことですが、私だけではないと思います。
存続できない以上、患者さんの役に立つこともできないわけで、患者さん目線ですべてを語ることができないのも現実。かといって、マーケティングに注力すれば、患者さんを置き去りすることに。
さあ、具体的な方策を考える時が来ました。その前に断っておきます。ここに書くことは私個人の意見でしかありません。最初に覚悟した通り賛否両論はあると思います。それ以前、私ごときに語る資格があるのかどうか疑問です。小さな鍼灸院ではありますが、来年10年目を迎えられそうな鍼灸院がたどり着いた一つの答えとご理解いただければ幸いです。このブログは2004年10月からなので7周年が間近です。7年間の試行錯誤がこのブログに刻まれています。
前回の記事に書いたように、基本的にコンサルタントは技術に興味を示すことはないようです。それがコンサルタントという職業と知ってしまえばそれまでのことですが。ただ、私はちょっと黙っていられないタイプのようです。
技術を重視する治療家をサポートすることが社会をよい方向に変えると思うのです。技術屋である治療家は、患者さんを相手に技術を磨ける環境をつくることサポートしてくれる、そういうパートナーを探していると思います(私は、そういうコンサルタントに出会いたいと思っています)。
なぜ、ここまで「技術、技術、技術」と繰り返すのか。それは鍼灸に私自身が鍼灸に助けられたからです。もし、あの時に出会った鍼灸師が技術を大事にしていなかったら、鍼灸師のクリ助はありません。
極まった技術の前では、マーケティングの常識が覆ります。その例としてすぐに挙げられるのが活法(かっぽう)の師匠、碓井誠先生です。ウェブサイトなし、チラシなし、看板なし(表札のみ)、電話帳なし、であるにも関わらず患者さんが途切れません。師匠は鍼灸師ではないので、私たち鍼灸業界では無名な人です。治療家として天才的ですが、鍼灸師でないために鍼灸専門誌に登場することは永遠にないと思います。
碓井先生のところに患者さんが集まる秘密は、コンサルタントはわからないでしょう。なぜなら、その技術の中に患者さんを集める秘密があるからです。技術とマーケティングを切り分けてしまうコンサルタントには永遠に開封できません。
その秘密をお話しましょう。
その前に「言葉」というものを考えなければなりません。活法に出会うまで、私にとっての言葉の意義は、患者さんとコミュニケーションを取る道具であり、施術内容を伝える道具でした。どういう言葉を使ったら患者さんが理解できるのだろうかと、そんな事ばかり考えていました。それが間違っているとは思わないのですが、大きな穴があることに気が付きました。
治療家が言葉で説明したことは、患者さんも言葉で理解しようとする。ただでさえ、言葉なんてあやふやだというのに、馴染みのない東洋医学の専門用語が出てきたら、あやふやの海でおぼれてしまいます。それを理解している鍼灸師は、「患者さんへの説明は西洋医学」という工夫をしているのですが、東洋医学を西洋医学に置き換えればあやふや度が増すだけという意見もあります。
どちらにせよ、「言葉で伝えたい」という目論みには限界があります。患者さんとの信頼関係を築こうと必死になればなるほど、空回りすることもあるのです。先月、鍼灸の勉強会に行ってきました。その昼食の席で、後輩鍼灸師が「東洋医学をどうやって説明していますか?」と先輩鍼灸師に質問する場面がありました。東洋医学を患者さんにしていただこうと必死な様子が痛いほどよくわかりました。私と似ていると思ったからです。
患者さんは東洋医学の理論に関心があってやってくるわけではなく、東洋医学では何をするのかに関心があるのです。患者さんは、鍼灸師の言葉に可能性を求めているわけではなく、鍼灸師のすることに可能性を求めているのです。
ですから、患者さんの視線は鍼灸師の指先に行くものであって、口元ではありません。それを無視して話しても、鍼灸師の言葉はしゃぼん玉のようにはじけ、患者さんの中に残ることはないように思います。
もし、患者さんに言葉で伝えたいなら、患者さんの視線を私たちの口元に誘導させなければなりません。視線は意識の方向を示しています。意識の誘導を行わない限り、熱心に東洋医学と説いてもむなしさだけが残ってしまうのです。
相手の口元に視線を向ける時って、どんな時ですかね?
(イヤラシイ意味でなくてね)
次回はその話から。
予定を変更して「コンサルタントだけがわかること」に続きます。


コメント
こんにちは。東洋医学、特に鍼灸や按摩と言うのは西洋医学を学んで医師になった人と同じ様に国家試験を受けて試験に
合格した人だけが晴れて医師、施術師を
名乗り、開業する事が出来ます。私は気功やそういったものに関心があるので思うのですが、東洋医学はどちらかと言うと精神論的な意味合いが西洋医学より強いと言うか色濃いと私自身は思います。
昔母の実家へ良く行きました。実家は田舎で周りに山が沢山あります。その山の
中に開けた所がありそこに小さな建物が
あり、そこに鍼灸か按摩かどちらかの施療院がありました。そこを通り掛かった時には通常の病院とは違う不思議な感じがしたのを今でもはっきりと覚えています。今でもそういった所はあります。時々「ウエルネス医療クリニック」と言う所を見かけますがここも恐らくそう言った所だと思います。西洋医学はデータ中心なので全て数字が中心になると思います。そこでは患者も売り上げの一部に
なるのに対して東洋医学は私が思うに感覚とか抽象的なものが中心となるのでお金儲けがしたいと言う考えの元で鍼灸師や按摩の施療師になるとやはり収入的には仰られる通り低くなると思います。西洋医学が物質中心ならば東洋医学は心身両方と言った所ではないかと思います。
露骨な言い方ですは金儲けをしたければ
通常の医者になった方がやはり稼げるとは思います。ただ私はそういった商業主義、もっと言えば拝金主義といった物に
違和感があります。もっといえば東洋医学に対する世界観を壊される事が怖いのかも知れません。
>わ~い、お茶さん
本来、東洋医学でも西洋医学でも、精神を重んじるという点では差がないと思います。では、なぜ東洋医学では精神的要素が目立つのか…。
まず、保険診療(3時間待ち3分診療)の中では患者さんは十分に話を聞いてもらえないという点が挙げられると思います。患者さんは、鍼灸院を精神のよりどころにするケースは多いと思います。鍼灸師は患者さんの心に耳を傾ける時間が作りやすいと言えます(自由診療では)。
医師と鍼灸師の平均収入を比べたら医師の方が上なのは間違いありません。否応なく、医療システムの違いによって収入に差が生じてしまいます。健康保険の恩恵を受けているのは患者さんだけではありません。医師も受けていると言えます(言ってみれば国からの補助金が給料の大半を占めているようなものですから)。
医師は補助金受領型ビジネスと言えると思います。それに比べて鍼灸師は補助金なんてありません。これは免許の差によって生まれるものです。医療従事者なら何でもよい、と考えている人は迷わず医師になった方がよいと思います。
はじめまして。
先生の眼瞼下垂の生地を読んで連絡しております。眼瞼下垂または眼瞼下垂に近い
状態で苦しんでいる方はかなりの数になると思います。企業の鍼灸事業部で働いている関係上、いろいろな症状の方に出会います。私自身も膠原病リューマチを患っており様々な症状に苦しみました。一番辛かったのは水腫症で目があけずらい、大変息苦しいなどあります。
コラムも書いております。
http://www.harinoriken.com/diary
先生の眼瞼下垂の記事、リンクをはらして頂いても大丈夫でしょうか?
先ずは連絡までに失礼します。
>リューマチックさん
眼瞼下垂の記事を読んでくださり、ありがとうござます。
そして、コメントありがとうございます。リンクを張るのは全く問題ありません。むしろ歓迎です(^-^)/