鍼灸の歴史をつないだ管

d977a46b.jpg鍼管(しんかん)というものがあります。

これは江戸時代の前期に活躍した鍼医、杉山和一が創案したものと言われています。杉山和一は杉山鍼灸学校の教科書にも登場する有名なお方です。この杉山和一は、幼少期に失明しています。目が不自由で一般的な鍼術を修めるのが難しかったため、師匠からは評価されなかったようです。

しかし、後に管を使って鍼を刺す方法を考えたことで、時の人となりました。将軍綱吉に気に入られて、視覚障害者のための鍼学校を開設しました。

後に杉山流という流派として知られるようになりますが、この管を使う方法(管鍼法)を普及させた流派です。

ちなみに私の知っている鍼灸師の杉山さんは他の流派です(笑)

すごいのは、17世紀にすでに視覚障害者のための職業訓練が行われていたということです。世界中の歴史を調べても、この時代に障害者の職業訓練はないとのことです。


明治期になると、明治政府の方針で鍼灸は正式な医療として扱わないことになりました。唯一、視覚障害者の職業として残されました。

昭和期になって復興の動きが大きくなって、徐々に鍼灸が見直されるようになりました。とはいえ、鍼灸のポジションはまだまだ低いかもしれません(T.T)WHOも鍼灸の効果を認めているのに、日本ではまだ「まゆつば」ものとして扱われることが多くて寂しい限りです。そんなの、おかしいと思うんですよね~。

その話はさておき、鍼灸の現在があるのも、管鍼法という視覚障害者が扱いやすい方法を創案されたからです。管鍼法は鍼をほぼ無痛で刺すことができるので、日本ではこの方法が一般的です。鍼灸学校でも最初はこの方法から教えていると思います。

日本の鍼灸を残してくれた「管」は、まさに鍼灸の歴史と歴史をつなぐ管だったみたいですね。(うまいこと書けた自分に酔ってみる)

※管鍼法は杉山和一の創案ではないとの見解もあります(私も異論派)。そうでないとしても、広めたのは杉山和一であることは間違いないと思います。

管鍼法に興味のある方は「鍼灸vsマジック」も読んでみて下さいね。

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コメント

  1. ジャッカル より:

    杉山和一が将軍に褒美として何が欲しいかと
    聞かれて、「目が欲しい」と答えた。そこで
    将軍派本所一つ目という土地を与えた。
    という話を学生時代に聞いたような気がするけど
    ホントかな?その土地で視覚障害者の職業訓練校
    でも開いたんでしょうか?

  2. ジャッカル より:

    将軍派→将軍は
    ね。ミスタイプです。

  3. クリ助 より:

    よくご存じで!
    その通りですよ。
    一応、書く前に調べてみましたが、そのことが書いてありました。
    将軍様といえば北?あの将軍様に気に入られるのは喜び組だけで十分です。
    それにしても、お偉いさんに気に入られて出世するなんて羨ましい限りです。今も昔も出世の仕方って変わらないんでしょうかね・・・。

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