
■生命のルール
経済学者が、経済を読み切れないように、医療者も生命を読み切れません。金融の仕組みや為替レートがわかっても、経済の「動き」は読み切れませんよね。生命も同じです。読み切れるものではありません。経済が構造だけで理解できないのと同じように人体も構造だけでは理解できません。理解できないけれども、理解しようとする努力が古典から読み取れます。今も昔も真理に迫りたいという人間の欲求は同じなのだと思います。

人間が優れたところは、数学的に答えが出せないことに、直感や経験で挑むことができることです。将棋やチェスの対戦で、計算力では勝負にならない人間がよい勝負を演じている事実も見ても、人間ってスゴイと思います。ゲーム(将棋やチェス)というルールが単純な舞台ですら、コンピューターに支配されていないのです。
生命という、ルールが解りきっていない舞台で演じる医学は、人間の直感や経験に頼らざるを得ないのです。直感や経験だけで行うべきだという意見ではありません。直感や経験を否定してしまっては成り立ちません。だからと言って、直感と経験だけで治療に挑むのは医療とは言えません。直感と経験は学問があってこそのものです。

感覚と思いつきで鍼灸施術を行って、患者さんから一定の評価を得て、生計が成り立つまでに繁盛している鍼灸院もあります。喜ぶ患者さんがいる限り、その施術の価値を否定することはできません。優れた鍼灸施術の一つとして素直に受け入れます。ただ、それを鍼灸医学とは呼ぶことはできません。技術に再現性がないからです。技術を教えようとしても、その場にならないと手が動かないため、「見て覚えなさい」というだけの指導を余儀なくなれます。
■生命の声
たとえば、下痢が起きたとしましょう。その下痢を止める方がよいのか、そのままにすべきかは一概に決められるものではありません。生命の声に耳を傾けて判断しなければなりません。
下痢が止まらなければ、脱水状態となります。それだけ着目すると直ちに下痢を止めたくなりますが、「なぜ下痢が起きているのか…」も同時に考えておかなければなりません。胃腸に入り込んだ異物を出そうとしているかもしれないのです。
下痢を止めることにはメリットとデメリットがあります。治療というものは、右と左に分けられないものばかりです。だから「下痢」という現象に対応するのではなく、「下痢」を選択した生命の声に耳を傾ける必要があります。この声は人間にしか聞くことができません。総合判断ができるのは人間だけだからです。下痢という現象の裏側で声を発している生命の声は電卓が教えてくれるものではありません。

東洋医学は、総合判断を重視します。四診合算(ししんがっさん)という言葉があります。見て、聞いて、尋ねて、触って総合的に判断しましょう、という意味です。こうした総合力には感性や経験が当然ながら反映されます。そういう意味では、東洋医学は最終的には医者(医師免許を持つ人のことではなく医に携わる者という意味)に判断を委ねているのだと思います。
直感で患者さんの状態を判断するのは東洋医学ではありません。東洋思想に基づいた生命観に基づいて、人間の能力を駆使して総合判断する医学です。だから、医者(医師免許を持つ人のことではなく医に携わる者という意味)によって下される結論が違うことがあります。
東洋医学に限ったことでなく、西洋医学の現場でも手術すべきか否かで意見が分かれることがあるわけですから、結局は医者(医に携わる者)の判断を必要とするのが医療です。数字で答えが出ないから東洋医学には客観的根拠はないと批判する人もいますが、数学で結論を導けないのは西洋医学も同じです。
(つづく…その3)
活法研究会
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