鍼灸師の思考 私がマッサージをやらない理由(3)

)のつづき

■「患者さんのため」に必要な覚悟

相手のためになることが、患者さんにとっても私にとっても、心地よいとは限りません。患者さんの目的(=治したい)のためには、まず患者さん自身に覚悟が必要です。

仕事の合間に好きな時に好きなペースで治療をして、それで治るなら何も言うことはありません。治療には必要なペースと必要な期間があります。鍼灸も例外ではありません。私は治療に対して現実的なことしか考えませんし、患者さんには現実的なことしか言いません。まず現実を受け止め、その現実の中で起こり得る範囲をよい方に広げていくのです。それが患者さんの希望になると信じています。

希望を持つためには、週に2回の治療ペースが必要だと判断した時に「週1回でどうにかなりませんか?」と聞かれたら迷わずお断りしています。患者さんにとっては週1回の通院の方が快適に感じるとしても、それが希望につながらなかったら何のための快適かわかりません。

もし、「週1回でもお引き受けしましょう。できるだけ成果が出るように努めます。」と答えると、好印象になるかもしれません。しかし、どういう言い方をしたとしても、「週1回で何とかなりますよ、理想は週2回ですけどね、まあ大丈夫でしょう。」という意味になってしまいます。誰を責めるわけでもなく、人は都合よく解釈するものです。施術者の意に反して「週1回で成果を出す」という前提で動き始めてしまうのです。

芳しくない結果になった時、「だから最初に週2回が必要だと言いましたよね」と弁解しても、「週1回でも大丈夫だと言うから通ったんです。それがダメなら最初に週2回必要だとなぜ言ってくれなかったのですか?」と言われてしまうかもしれません。

バンジージャンプ

「患者さんのため」と思って受け入れた要望が、患者さんを苦しめる結果となってしまったら本末転倒です。治療の前には、患者さん自身にまず覚悟を決めて頂くようにしています。未成年であれば親御さんの覚悟を訪ねます。

私たちも、提案をする時には覚悟を決めています。提案通りにして頂きながら結果が芳しくないのでは、合わせる顔がなくなります。強く提案すればするほど、施術側自身にかかるプレッシャーも強くなります。提案をせずに要望を飲む、というのは、このプレッシャーから逃げている場合もあります。だから治療の内容やペースを提案する時は、「覚悟はあるか?」と自分に問いかけるようにしています。

■ガンコおやじのラーメン

私が行っている鍼灸は自由診療です。自由診療においては、ガンコおやじのラーメン屋さんが参考になります。特定の人は嫌われても仕方ないと割り切り、分かって頂ける方にエネルギーを注ぐという意味です。

保険診療の前提は、全国どこでも誰でも同じ水準の医療が受けられることです。原則的に、医療施設や医療者を患者さんが自由に選べません(選びにくい仕組みです)。しかし自由診療は違います。患者さんは鍼灸師を選び放題です。逆に施設側も患者さんを選ぶ自由があります。

自由診療の「自由」は、患者さんを選ぶ自由でもあるのです。保険診療に愛されていない鍼灸は、こうした自由をしっかり活用することで唯一のメリットを活かせるはずです。

「患者さんを選ぶ」という意味の裏側には、嫌われる覚悟があります。覚悟さえ決めてしまえば、自分の技術を誰のために使おうかと前向きな思考が始まります。

自由診療(患者さんの全額負担)だから嫌われたら経営に困る、という理屈で「いい人」を演じてしまうケースが多いと書きましたが本当は逆です。自由診療だからこそ嫌われても大丈夫なのです。

クルマの車種のことを考えれば理解しやすいと思います。誰にでも好まれるクルマはどこにもありません。ファミリーで使いたい人からは、スポーツカーは嫌われますよね。本当は嫌いでなくても、その時は選ばないのですよね。

がんこおやじ

今の医療制度では、鍼灸を選ばない層がいるのは仕方のないことです。外部から「鍼灸師の努力が足りない」と指摘されることもありますが、努力ではどうにもならない現実もあるのです。だから「努力が足りない」という人には「あなたの方こそ勉強が足りないですよ」と言い返すだけです。

結局、私たち鍼灸師は今の制度の中で精一杯やっていくしかないわけで、こうした現実を冷静に受け止めれば、特定の人に向けた強いメッセージが必要だろうと思います。

広く集めようとすればするほど、慰安業と競合します。慰安業は恐ろしいほどお金に関して合理的な考え方を持っています。不必要な競合を避けることも鍼灸師として生きていくには必要です。

■医療と慰安を区別すべき決定的な理由

患者さんが望むことは何でもやった方がいい、という考え方もあるでしょう。でも、鍼灸を極めることだけでも大変なのです。何でも導入していたらすぐに容量オーバーです。私は鍼灸と活法で精一杯です。

できない分野があるのは当然で、自分の領域内で信頼されれば、他の医療者とつながりができます。患者さんは、誰の施術を受けるかが重要なのではなく、目的(病気や怪我を治したい)を果たせるかどうかが重要です。

「医療であろうと慰安であろうと、そんなの患者さんには関係ない。施術者のこだわりでしかない。」という意見も耳にします。私は、こうした意見を学生に聞かせたくありません。確かに、患者さんが施術所を探すとき、医療と慰安を区別しているわけではないでしょう。ただ、潜在的に必要としているのはどちらか一つです。

自分が怪我をした時、病気をした時のことを想像すればわかります。とにかくこの状態から抜け出したい、という場合は医療を選びますし、つらさを分かってほしい時は慰安を選びます。

慰安と医療、どちらかを求めているかは肩こりを話題にした時によくわかります。

■肩こりがヒドイのが嬉しい人

患者さんの方から「こんなに凝っている人、他にいないでしょう」と切り出した時、自分の肩こりのつらさを理解してほしいという気持ちの表れだと理解しています。そういう時に「そんなことないですよ、大丈夫ですよ」と答えてしまうと、患者さんは機嫌が悪くなります。

「肩がこんなに凝るまでがんばっている」ということを心の支えにしていたら、その肩こりは必要なものなのです。肩こりが消えてしまうと、がんばっている証が消えてしまいます。医療的スタンスで肩こりの治療に本気で取り組むならば、頑張っていることへの賞賛を他の手段で得ることのほか、肩こりのない自分が好きになるように、意識から変えていかなければなりません。

肩こりマッサージ

医療的な対応を求めている方は、「こんなにひどい肩こり見たことがありません」なんて言ってしまうと落ち込んでしまいます。「それほどひどい肩こりではないので大丈夫ですよ」と告げた方が安心するように思います。

つづく…(

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