1.見えない世界
2.「気」の実用化がテーマ
3.見える世界
4.気の引力
の続き。
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1.消えない疑問
今回は鍼灸に対する素朴な疑問を取り上げます。疑問に答える、という企画ではなく、クリ助自身の疑問をぶつけるだけです。
鍼灸師が知る鍼灸はほんの一部です。鍼灸の歴史は古く、やり方も無数にあるため、鍼灸師同士でも流派が違うと話がかみ合わない時があります。実にわかりにくいです。
「鍼灸業界はそんなんでいいの!?」
と、余所からみれば思うでしょうね。
でも、これは仕方ないのです。決して悪いことばかりではありません。
言うまでもなく、鍼灸は東洋医学の中から生まれました。鍼灸はいろいろな歴史を経験しながら現在に至ります。
その中で「現代医学的鍼灸」という言葉が出てきました。しかし、私はこの言葉の意味するところを未だに探っています。
2.東洋医学と解剖学
私が「現代医学的…」から連想する鍼灸は、解剖学的知識に基づいています。たとえば坐骨神経痛。坐骨神経が走る部位が治療点になります。現代の解剖学で知り得た情報を元に、治療点が決まるの現代医学的…?
もし、現代医学的鍼灸を語る上で解剖学がポイントになるならば、その前に古代の中国(鍼灸発祥の地)でも解剖が行われていた事実を思い出す必要があります。詳細な資料が残っていないために、東洋医学を語る時、解剖学を軽視する傾向にあると私は感じています。
現代に生きる鍼灸家が目にするのは、現代にスケッチされたイラストや写真です。新しく印刷されたものだから、それを現代的としてよいかどうか…。
もちろん、解剖学の発展はすさまじいため、古代の解剖学と現代では比べものにならないかもしれません。だとしても、坐骨神経のような太い神経(太いところでは指くらい)なら古代の医者も見逃しません。
そもそも、顕微鏡レベルの解剖学的知識を得たとしても、鍼灸で狙うことはできません。現代医学的鍼灸の中に、どれほど現代でなければ知り得ない解剖学的知識が含まれているのか…。
東洋医学には「蔵象(ぞうしょう)」という言葉があります。現代医学にはありません。詳細な説明は難しいので逃げます。簡単に言うと、形ある臓器とその働きによって表に出る現象まで含めた概念です。
昔の東洋人は、自然の摂理と照らし合わせて、開けてみた臓器を解釈しようとしました。生命が宿る肉体を精巧な機械として解釈を進めるのではなく、生命たらしめている“見えない力”に着眼したのです。
古代の話ですが、「生きた人を解剖した」という記録があり、医学の発展と無関係ではないでしょう。生きている内臓と、死体のそれをはっきり区別していた、ということが言えると思います。
東洋医学の古典にある、解剖学図は確かに大雑把です。間違いもあります。東洋医学の歴史を紐解かなければ、「何もわかっていなかったんだ」と勘違いしてしまいます。
詳細な解剖学図が歴史に消えたのか、死体のデッサンに意味を見出せなかったのか…。少なくとも、東洋医学の歴史に解剖学的な記載が残されている事実は重要です。
こう考えていくと、東洋医学でも解剖学を踏まえて施術していたと言えます。詳細な解剖学図がないことを根拠にして、東洋医学と解剖学を切り離すことはできません。
3につづく…


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