図説を予告していましたが、その前に書いておきたいことがあります。
■静的バランス&動的バランス
前回の記事に書いた「真っ直ぐな感じ」とはラクな姿勢です。この姿勢は動きやすさを求めて施術した結果に生まれる感覚です。
では、「真っ直ぐな感じ」と「真っ直ぐ」は何が違うのでしょうか。最初に断っておきますと、脊柱のカーブが少ないストレートネックはダメですよ、って意味ではありません。ここに書いている「真っ直ぐ」とは、ある基準と照らし合わせてズレが少ないことです。
写真に撮った時にバランスよく見えるので、「静的バランス」としておきます。これに対して、活法や私が鍼灸の中で求めていくのは「動的バランス」です。動いている時のバランスとは、(可動域の範囲内で)どんな姿勢になっても違和感や痛みが出ない状態です。
ある姿勢で違和感や痛みを覚えると、体はその方向が嫌いになります。防衛反応が働いて、その姿勢から遠ざかろうとする一方、不思議なことに違和感や痛みの部位から動こうとします。碓井流活法では、動きの始まる位置を「始動支点」と言っています。
もともと備えていた始動支点がズレてしまうので、動きがぎくしゃくします。始動支点のズレを体感するには、手をグーにしてください。この時、指が先が内側に折れてから手の平が折れてくるはずです(DIP関節→PIP関節→MP関節)。これを意図的に、手の平を折ってから指を折ると、やりにくさを感じるはずです。
どこかに違和感や痛みがある状態というのは、おおむね始動支点がズレているのです。やっかいなのは自分でそのズレに気がつくことができないのです。鏡で見ても写真にとってもそれはわからないのです。
なぜ、このような発痛部位が始動支点になってしまうのでしょうか。私の考えになりますが、「動いても大丈夫だろうか」という確認作業を動く前にしたいからです。これは本能が発動する防衛反応だと考えています。
始動支点のズレは、必要性があって起こるのでしょうが、必要なくなっても居残る場合には困ったことになります。むち打ちはその典型例です。見た目でわからなくても、本人は、傾いている感じや引っ張られている感じに苦しめられてしまいます。このような原理で「他人にはわからないつらさ」になってしまうのです。
■正しい姿勢=始動支点がよい位置にある
始動支点を本来の位置に戻すとラクに動けます。痛みが軽くなります(なくなります)。これがよい姿勢です。よい姿勢とは、始動支点にズレがないことを言います。
一般的に、「あなたの体は歪んでいます」と整体師などが表現する場合、視覚的な歪みである場合がほとんどです。私はこれを「静的バランスのチェック」と理解しています。これに対して、活法では「動的バランスのチェック」も行います(静的バランスも参考にします)。
動的バランスの調整が、正しい姿勢を生み出すと考えます。正しい姿勢は術者が決めることではなく、正しい始動支点を取り戻した体が決めることなのです。
始動支点がよい位置にある時、末梢からの螺旋運動になります(例外もあると思いますが…)。動こうとするエネルギーは末梢から生まれます。腕を前に伸ばし小指だけを折るようにして肩を捻ると、外向き(「ちょうだい」の動き)が行いやすく、人差し指だけを折るようにすると反対が行いやすくなります。可動域の違いもわかると思うので、ぜひ試してみてください。
どの指に力を入れるかによって、動きの質(動きやすい方向、力を入れやすい方法)が変わってくるわけですから、野球選手やゴルファーは疎かにはできないわけです。
他にも、足の母指球から大腰筋、足の小指球から中殿筋にも重要な螺旋があります。螺旋運動に乱れと始動支点のズレは密接な関係があります。
始動支点のズレ
螺旋運動の乱れ
碓井流活法ではこうしたところを歪みとしてとらえていきます。「歪みは重要ではない」と表現することもありますが、ここでいう歪みとは「静的バランス」のことです。歪みを「正しくない動き」と定義すれば、活法ほど歪みを重要視している技術はないのではと思えてきます。この発想を手技療法の枠にはめる必要なんてありませんから、鍼灸においても「正しい動き」の改善を目的にすることは可能です。
次は本当に図説!(つづく)


コメント
こういう技術を待っていました。俗に言う左右差や骨格の歪みなどは、イマイチ腑に落ちないでいました。
>正しい姿勢は術者が決めることではなく、正しい始動支点を取り戻した体が決めること
良い言葉ですね。まさにオーダーメイド医療と言った感じでしょうか。ただ、オーダーメイド医療と言いすぎると一般化が難しく、その技術が伝わりにくくなってしまうかもしれませんが…
多少マニアックな内容になっても良いので、螺旋の話などもお聞きしたいです。
更新楽しみにしています!
>ぐっちさん
ぐっちさんの指摘は本質をついていると思います。一般的に言われている骨格の歪みは、まさに「一般化」しやすいものだと思います。
文字と写真(静止画)で示せるものが「出版」に適しているわけで普及しやすいですよね。
臨床家としては、世間の常識にとらわれることなく実践的な法則にこだわり続けたいと思っています。
マニアックな話でよろしければ、続けますよ。いつかマニアックではない時代が来ることを祈りながら。
このブログにはすでにマニアックな人が集まりかけているのかもしれない…。
「一般化」を言い換えると追試可能化
とも言えるでしょうね。
医学が科学の一分野である限り
追試可能か否かで評価されることは不可避でしょう。
しかし、科学の限界をうすうすと皆が
感じ始めている現在、視覚化、文章化に耐えるものだけが正しいとされてきた考えを改め、手取り足取りでしか伝達できないものも大事にしていこうという機運が高まっているかも。
それに応えるものとして【活法】が広まるのは時代の要請なのかもしれません。
>ジャッカルさん
活法の時代がやってきますかっ!
冗談抜きにして、活法が表に出る時代なのだと思います。科学の進歩と幸福が比例するのであれば、活法の出番はありませんが、どうも違うようですし。既に「感覚の時代」に突入しているような気もします。感覚を操る手法も活法が得意とするところですし、そのうちブログでも触れてみたいと思います。