マーケティング論_01「タブーへの挑戦」
マーケティング論_02「囲い込むのは誰のため?」
マーケティング論_03「コンサルタントが知らないこと」
マーケティング論_04「コンサルタントだけがわかること」
技術論_01「心配事が関心事に変わる時」
技術論_02「人間性という名の技術」
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■「患者さんを選ぶ」の意味
「患者さんを選ぶ」という言葉の響きは、心地よくないと思います。なんだか上から物を言っているようで。ですが、この視点は、患者さんのためにできる最初の親切になると考えています。
その理由を説明します。
極端な例の方がわかりやすいと思うので、美容鍼灸を例に。最近、勢いのある鍼灸のカテゴリですが、私はこのカテゴリには疎いのです(ちょっとだけ勉強会に出た程度)。ですから、美顔のために鍼を受けたいと思っている方は、私の鍼灸を受けない方がよいと思うのです。他の鍼灸院を選ぶ方が幸せになれると思います。
「患者さんを選ぶ」というのは、来院した患者さんを振り分けるような行為を指すわけではなく、疎いカテゴリや不得意な疾患には手を出さない、得意分野をアピールする、という意味です。
つまり、こういうことです。
1.苦手分野の患者さんは引き受けない
2.得意分野の患者さんのみ引き受ける
1はオールラウンダー的な鍼灸師、2はスペシャリスト的な鍼灸師にふさわしい方策ではないかと考えていますが、どうでしょうか。ちなみに、私は1のタイプになります。
■技術の現在と未来
鍼灸師として技術を磨くのは重要ですが、それは「未来」のためであって、「現在」のためではありません。現在(+ごく近い未来)のためにできるのは、「苦手分野の患者さんは引き受けない」か「得意分野の患者さんのみ引き受ける」ことだと思うのです。
A.技術を磨く = できることを増やす
B.患者さんを選ぶ = できることをする
今日明日の患者さんのために重要なのはBの視点だと思います。「できること」は、「できたこと」の積み重ねを証拠にするしかありません。「患者さんの声」や「症例」をウェブに掲載することは、「できたこと」を示して、「できること(できそうなこと)」を伝える典型例と言えるかもしれません。
「鍼灸院を選ぶ材料を提供する」
こういうふうに考えれば、鍼灸師が自らの技術を問いながら、患者さんが集まる鍼灸院に育てることが可能だと思うのです(開業して9年の私にそれを証明する資格があるのかどうかわかりませんが…)。
技術を追究する鍼灸師は低収入
マーケティングを重視する鍼灸師は高収入
なんて話すコンサルタントの例を先日書きました。患者さんは、商売を重視する鍼灸院より技術を追究する鍼灸師に行きたいと思っているはずですから、鍼灸師がこういう振り分け方をされたら違和感を覚えるのではないでしょうか。
コンサルタント業の本質が何なのかわかりません。無知を承知で書くのですが、医療者を対象にするなら、商売上手に仕立てることが「優」とは限らないと思うのです。「商売下手でも食いつないでいく方法」なんていうのがあったら、教えてほしいと思います。
できることをコツコツ続け、
できることをコツコツ増やしていく。
できるようになったことはコツコツ書きためる。
私にとって、
鍼灸師として生き延びていくためのコツです。
願望は骨太の経営です。
(つづく)


コメント
>>技術を追究(追求?)する鍼灸師は低収入
事実なのでしょうか?
技術を追求する=マーケティング無視という思考なのでしょうか?
雇われ鍼灸師であれば技術だけを追求するべきですが、経営者であればマーケティングもするべきですよね?
ただ、自分も含めて技術さえあれば患者は付くと思っている鍼灸師は今でも多いんじゃないでしょうか?
当然ダメなんですけど。
あまりに商売っ気の無さ過ぎる治療家が
目に付くからこそのコンサルタントの言葉なのかもしれませんね。
一般論として、コンサルタントはどの業種業界でも虚業と考えられています。
鍼灸を「商売」にしようとするなら、鍼灸師として患者を相手にするより、鍼灸院相手にコンサルタントをするのが一番「儲かる」という考え方が基本にあると思います。
次に儲かるのが、鍼灸師を相手にセミナーをする人間。これも、多数いますね。セミナーをしている割に、自分は実務から遠ざかっている鍼灸師も多々見られます。
最期になんとか生活していけるかどうか?というところに、開業鍼灸師。生活すら困難な状況を予測されるのが、勤務鍼灸師といったところですか。
コンサルの言葉に意義を見出そうとしている時点で、ナンセンスなのかもしれませんね?
私は、コンサルも鍼灸セミナー講師も全く信用していません。
>ジャッカルさん
ご指摘の通り、「商売っ家のない治療家」というのは目に付きますね。それは医療に対して純粋である、という見方もできますが、コンサルタントにしたら世間知らずに映るのかもしれません。
私も「技術さえあれば患者さんはやってくる」と考えています。ただ、技術を評価するのは患者さんは患者さんなので、患者さんに伝わらない技術は、経営的にプラスにならないと経験から思います。伝わらないのではなく、伝える努力が足りない、ということなんですけどね。
学会や勉強会で高く評価されても、患者さんが低く評価してしまったら、患者さんは二度とやってこないと思うのです。
>コンサルについてさん
業界を一歩引いてみると冷静に分析できそうですね。業界の中で。いろいろな歯車が一緒に動いているなぁと。かみ合っている場合もあれば、そうでない場合も。
私は開業鍼灸師である一方で、セミナー講師を務めているので、ピリッと感じるコメントでした(笑)
1.無料もしくは極めて安価な謝礼で施術をして、他の仕事で収入を得て生活している人がいる。
2.自分が施術を行い、その施術に対してお金を頂くことで、生活をしている人がいる。
3.自分はあまり施術を行わず治療院経営者となり、労働者(施術者)を管理して生活をしている人がいる。
4.自分はあまり施術を行わず本を書いたり講演をしたりセミナーをすることで生活をしている人がいる。
3と4は両方やっている人が多いですね。
私が「この人は本当に鍼灸施術が好きなんだな」と感じる人は1か2です。
鍼灸施術自体が目的であり喜びとなっている人達です。
3や4の人は鍼灸施術は好きかも知れないが、それと同じかそれ以上にお金や名誉が好きなんだなと感じます。
何を大切にするかは人それぞれです。
でも、個人的にウソは嫌ですね。
鍼灸施術自体が大好きと言いながら実はそうでもないという人を多く見てきました。
そういう人はウソをついていることにも気づいていないことが多いのですが、何か「澄んだ雰囲気」が少しずつなくなり、「澱んだ雰囲気」になっていくように感じます。
どのように言葉をつけても、たとえば「お金を取って教えることで自分も相手も真剣になる」など、施術料以外の副収入が入ってくることで生活は安定するかも知れませんがそこに何か落とし穴があるような恐怖を自分は感じています。
(セミナーに必要な経費は別です)
でもこれもあくまで自分にとってです。
落とし穴がない人もいると思います。
駄文、すいません。
生活と鍼灸についてさんに大きく同意します。
1.無料もしくは極めて安価な謝礼で施術をして、他の仕事で収入を得て生活している人がいる。
一度鍼灸師を目指しながらも、この1を選ばざるをえず、サラリーマンに戻っていった方はたくさんいますし、悲しい気がします。
他の仕事を選ばざるを得ない=選択肢がない、職務領域が狭いというのは、鍼灸師のおかれている悲しい現状の一つなのかなと思いますね。
では、鍼灸師の職務領域を広げるにはどうするか?という所が肝になるように思われますが、これに回答を出せる方がいらっしゃいましたら、ご教示願えればと思います。
>生活と鍼灸についてさん
1.ボランティア系鍼灸師
2.プロフェッショナル系鍼灸師
3.マネージャー系鍼灸師
4.コンサル系鍼灸師
という感じですかね。
「落とし穴」に興味あります。
> コンサルについてさん
鍼灸師の職務領域を広げるにはどうするのか…私も常に考えています。私も教えてほしいです。悲しい現実の数々を目の当たりにしてきましたから。
こちらのblogにはいろいろ勉強になることが多くお世話になっています。
ですので、その恩返しのつもりで無礼を承知で私が感じる「落とし穴」について書きますね。
一つは料金です。
施術料は結果に対する報酬ではなく、あくまで施術という行為に対する対価であるというのがクリ助さんのお考えですよね。
私も同じです。
もちろん結果が出るようにやりますが、保証はできません。
ですから施術料は双方(施術者と患者)が落ち着くところに設定します。
ではセミナーはどうでしょうか?
教えることに関して、その結果を保証できるのでしょうか?
私は施術と同じく結果は保証できないと思います。
その技術を受講者が覚えて使えるようになるかどうか、そしてその技術を使ってお金を稼ぐことができるようになるかは保障できません。
ですからセミナー料も落ち着くところに設定するのが自然だと思います。
そういうことが根底にあるので、鍼灸の勉強会の多くは似たような料金設定(一回数千円)なのだと思います。
クリ助さんの活法は「公開する技術の実際の価値は、料金の3~5倍くらいになると見積もっております。」とあり、結果に対して料金を見積もっています。
教えられる側の受け取り結果に踏み込んでいます。
私からするとそこに自我の肥大を感じます。
また、セミナーで結果に対して料金を見積もるのならクリ助さんの活法の施術料金も結果に対する料金にしなければねじれが生じると思います。
こういった自我肥大とねじれが自分の心に影を作り、施術の質を落とすと私は感じています。
長文失礼しました。(削除して頂いて結構です)
>生活と鍼灸についてさん
落とし穴について、解説ありがとうございます。こんなに丁寧に書いてくださり感謝です。おかげで、生活と鍼灸についてさん(以下、生活鍼灸さんと表記させていただきます)がおっしゃる落とし穴についてわかりました。
反論は全くありません。料金設定の考え方が明記されていたので、生活鍼灸さんのお考えがよくわかりました。
反論ではなく、私の料金設定の考え方と計算方法を書きます。こういう考えもあるのか、という感じでサラリと読んでいただければ幸いです。
私の料金設定は、原則としてコストも元にしています。結果が出ようとも出なくともコストは同じです。料金設定には「結果に対する落としどころ」は存在しません。結果が出なければ、ただただ申し訳ないと思います。
【鍼灸院の四大コスト】
1.人件費(自分、スタッフ)
2.施設費・消耗品(家賃、光熱費、鍼、灸、タオル…)
3.技術料(免許取得費、書籍代、セミナー費…)
4.広告費(ウェブ、チラシ…)
ちなみに私の鍼灸院経営に対するコストで重視しているのは、技術料(3)の割合を増やすことです。そのために、スタッフ最小限(1に対する努力)、田舎に立地(3に対する努力)、ウェブサイトのみ(4に対する努力)を行っています。
【セミナーの五大コスト】
1.人件費
2.会場代
3.技術代(技術の仕入れ)
4.講師料(教えること)
5.広告費(ウェブ、チラシ…)
鍼灸院を利用される方もセミナーに参加される方も妥当性を感じなければ二度目は利用しないし、参加しないと思うのです。
セミナーに参加するメリットは、技術習得のショートカットだと思っています(他にも人脈を広げるなどがありますが…)。たとえば碓井流活法。私は学ぶたびに「一生かかっても思い付かないことだ」と思います。
活法習得費は「気がつかせてくれてありがとう代」だと思っています。もちろん、その気づきが患者さんのためになると思ったから価値を感じたのです。
鍼灸のセミナー代が比較的安いのは、講師がボランティアの場合が多いからだと私は認識しています。私の知る勉強会の多くはボランティア講師です。人件費と講師料が格安ですから、コストが安いです。
ボランティア鍼灸師が業界が支えているという構図があると思います。私のように講師をビジネスとする派はむしろ少数派なのだと思います。ボランティアとビジネスでは責任のあり方は異なると思います。
2点、私の表現がまずかったせいか誤解を与えていると感じましたので説明させて下さい。
1点目
>料金設定には「結果に対する落としどころ」は存在しません。
もちろんです。
おそらく私の「施術料は双方(施術者と患者)が落ち着くところに設定します。」という表現が誤解を与えたのだと思いますが、料金設定は施術という行為に対する対価であり、その元は施術行為を提供する基盤となるコストです。
その中で人件費をいくらにするか、自分や家族が普通に生活できればいいのか、ひたすら高収入を目指すのかが最大のポイントだと思います。それによってどれだけでも人件費(=コスト)は高くなります。流行っているのに「あまり儲かっていない」とぼやく鍼灸師の帳簿を見ましたが、その人と実際には働いていない奥さんの給料がすごく高かったです。。。
2点目
>私は学ぶたびに「一生かかっても思い付かないことだ」と思います。
>活法習得費は「気がつかせてくれてありがとう代」だと思っています。
これらは全てクリ助さんの結果ですよね。
私が書いたのは「教える-学ぶ」関係において、必ずしも学ぶ人に対してクリ助さんのような結果を得ること(技術・収入)を保証できないということです。
クリ助さんは純粋に「気がつかせてくれてありがとう代」として決して高くないむしろ安いセミナー代だと考えていると思うのですが、そういった結果は他の参加者に保証できないということです。
>ボランティアとビジネスでは責任のあり方は異なると思います。
鍼灸のセミナー代が比較的安いのは、講師をする先生が「自分は鍼灸という仕事で生活することができている(できた)。その感謝の気持ちを後進に教えることで恩返しをしよう」と考えてやっているからだと思います。これまでそういう先生を何人も見てきましたし、私の先生もそういう人です。
教えるという本業以外のことで儲けようとするか、本業への感謝の気持ちとして教えるのか、責任のあり方ではなく志
の違いだと私は思います。
セミナーの五大コスト特に1,3,4は鍼灸院の人件費と同じく気持ち次第ですよね。
(不都合であれば削除して下さい)
>生活鍼灸さん
おっしゃるように、セミナーやって、技術と収入を保証することはできません。
何でも数字で言うのは嫌なのですが、確率で考えています。確率の高い内容、確率を上げる教え方、誰に教えるかによっても確率は変わってくるわけで、高い確率を目指す責任がビジネスにおいてはとても重要だと思います。
昔、ある人が言っていました。
ボランティアは、結果が出なくても「ありがとう」と言われる。
ビジネスは、結果が出なければ「クレーム」になる。
と。
私は、ボランティア講師、ビジネス講師、どちらも経験しています。その中で、それぞれに長所、短所を感じています。「鍼灸師は施術業のみで生活すべし」と考える人からすれば、私の志は低いことになりますね。
ボランティアとビジネスを、「責任のあり方が違う」という意見に対して、「志が違う(ボランティア=感謝の気持ちあり、ビジネス=感謝の気持ちなし」という意見。2つの考え方が出てよかったです。コメントありがとうございました!
何度もコメントしてすいません。
私は
>「鍼灸師は施術業のみで生活すべし」などと高尚なことは考えていません。
また
>「志が違う(ボランティア=感謝の気持ちあり、ビジネス=感謝の気持ちなし」
こんなことも考えていません。
ビジネスでも心から感謝の気持ちを持ってやっている人もいるでしょうし、ボランティアでも感謝の気持ちがなくアピールでやっている人も中にはいるでしょう。
技術を教えることで生活しようとする人もいるし、そういう人から学びたい人もいるでしょう。
過剰・誇大な宣伝は嫌ですが勉強会ビジネス自体を否定するつもりはありません。
以前、クリ助さんが
「患者さんに喜んでもらえるから施術が好きだ。患者さんを感動させたいと本気で思っている」
と書かれていて、自分はその一文がすごく好きです。
現在、クリ助さんは患者さんも多く繁盛しているのに、なぜ新たに勉強会をビジネスとして始めたのか疑問に思ったのです。
患者さんにより喜んでもらって、より感動させることを限りなく追求するんじゃなかったのかなって。
でも今思えば、クリ助さんは教えることも好きで、教えることでも生徒に喜んでもらいたい、感動させたいとお考えなのかもしれませんね。
私の周囲で目標をお金に切り換えてしまった施術者達の堕落ぶりを多く目にしていたので、つい、いらぬことを書き込んでしまいました。
すいません。
また、いろいろ失礼なことも書いたにも関わらずコメントに返事をいただきありがとうございました。
>生活と鍼灸についてさん
生活と鍼灸についてさんのお気持ちがとてもよくわかる文章で、なぜ、コメントを頂いたのか、その背景がわかりました。
私が勉強会の運営の関わるようになった理由は単純な動機です。私が臨床で得た発見やコツを直接誰かに伝えることで、その方の周りにも感動が生まれることを知ってしまったからです。
直接患者さんに接して、その喜びを肌で感じたいという気持ちはずっと変わっていません。ただ、間接的であっても同じように感動できることに気がつきました。受講生の患者さんが感動し、その感動によって受講生が感動し、その話を聞く。快感です♪
自分の鍼灸院の施術がベースになければ、この感動はないと思っています。