(多体問題で考える医療と科学5のつづき)
■自由診療が成り立つ条件
前回は、河図と洛書を取り上げました。特に洛書(らくしょ)から東洋医学に秘められた数字について書いてみました。実際の身体は、あれほど単純に表せるものではありません。しかし、どんなに複雑に見えても、その根底に座している普遍性を意識しておくことが大事だと思っています。
人それぞれ身体は違うので、個性を受け入れつつ共通する普遍性を見なければなりません。医療は個別性を重んじることが重要ですが、医学(学問)においては普遍性が重要です。どちらも重要ですから、要はバランス感覚だと思います。

さて、ここで保険診療と自由診療という切り口で考えてみます。保険診療は、どこで受けても同じ水準の医療が受けられることを理想としています。裏返せば、地域や医療者によって全く違うものだったら成り立たないサービスです。
逆に自由診療は、差別化を図ることで成り立つものです。他と同じ水準に合わせてしまったら成り立たないサービスです。
この構造の違いを知ると、東洋医学が多様化するのかわかります。保険診療の枠に入れない鍼灸は個性で勝負していく他ないからです。ただ、度を超えすぎると医学(普遍性)を無視した「何でもあり」まで許してしまうことになります。
■実力と人気の関係
民間には様々な療法が存在していて、医療の枠に収まっていません。保険外のものですから市場原理に支配されています。必要とされるものが残り、必要とされないものは消えていきます。人気があることを「必要の証」としています。保険診療はそうではありません。「国民一人一人が一定水準の医療を受けられる仕組みが必要だ」という思想に支えられています。

繰り返しになりますが、私たちが行っている自由診療における鍼灸とは、「必要の証」を「人気」によって獲得し続ける仕事なのです。「人気」に着目してしまえば、タレントやアイドルと全く同じです。彼らは、演技や歌が下手であっても、人気さえあれば必要とされます。
もし、こうした社会のルールを無視して開業すると困ることになります。「医療の専門家としての実力」と「人気」が比例しないことを受け入れられず苦悩し続けるのです。
「人気」も多体問題です。人気は社会の中で形成されるのが人気です。ですから「人気」は計算できるものではありません。どんな芸能人に人気が出てくるのか、ある程度当たるかも知れませんが、厳密な計算などできません。来年ブレイクする芸人はわかりません。
こう考えれば、トライアンドエラーができる鍼灸師しか生き残れないことになります。自由診療で開業する鍼灸師は、医療人としての謙虚に振る舞いながらも、その裏で、自分の魅力を探し続けられる、“あつかましさ”と“しぶとさ”が必要かもしれません。
■人気を追究するのが正解か
本当は、医療の話は市場原理や人気の角度から語りたくはありません。開業すれば「人気商売」である側面は否めません。患者さんも「あの人にやってほしい」という感情があると思います。
個人的な話になりますが、私が目指しているのは人気者ではありません。だから、私にやってほしいという人を増やすことが目標ではありません。

そもそも、「人気」という概念が成り立つのは「代わりがある」ことが前提にあるからです。代わりがないものに人気は生まれません。
たとえば、水や電気です。水道を引くのは水に人気があるからではありませんよね。タルトを食べなくても生きていけますが、水がないと生きていけません。電気も現代人にとって必要なものです。
そもそも、医療は「なければ困る」というものです(美容整形など一部の例外を除く)。似ているようで違うのが慰安です。慰安は「あったらいいな」というものです。だから、慰安業は人気を奪い合う競争をしています。観光地が競争しているのと似ていると思います。観光地の、いわゆる「マッサージ」はまさに「あったらいいな」です。
医療的スタンスで仕事をするなら「個」の追究はほどほどにしなければなりません。自由診療は「必要の証を人気によって獲得する」という側面は否めませんから、さじ加減の話です。
医療とは社会の力を借りて成り立つサービスです。ですから、誰から見ても価値が変わらない普遍的要素を内在していることが重要です。そういう視点から考えると、「鍼灸師クリ助」をブランドにしても意味がなく、「鍼灸」をブランドにすることに意義があります。
「鍼灸師それぞれが違う魅力を備えている」ことを否定しているのではなく、鍼灸師それぞれが鍼灸の価値を共有すること」が重要だと言いたいのです。
鍼灸師が共有できる鍼灸の価値とは何か・・・それを探しています。
■傲慢がもたらすデタラメと謙虚がもたらす柔軟性
患者さんが抱えている悩みは多種多様です。一つ一つの事象にきめ細やかに対応するのが仕事です。東洋医学の良いところは、自由さと柔軟性です。その半面、好き勝手なことをしても、東洋医学と言えてしまう所があります。
鍼を持って、「陰」とか「陽」とか、はたまた「補」とか「瀉(しゃ)」と言っていれば、東洋医学らしく見えてしまうのです。
ここに東洋医学の弱点があります。感覚に任せて施術(処方)をしても、それなりに見えてしまうのです。東洋医学の仮面を被った我流を見抜くのはたいへん難しいです。

人は追い込まれている人ほど、「手段は何であろうと治ればよい」と考える傾向があると思います。それは、現状打破をする柔軟な思考であると同時に「弱み」でもあります。
人は精神的に弱くなると冷静に考えられません。
そんな時に、デタラメな鍼を100本並べられても、権威もしくはそれらしい理屈があると納得してしまいます。いずれにせよ、100本という数は感覚的裁量で行う他ありませんから、東洋医学と呼べるものではありません。
そもそも論として「鍼灸が東洋医学である必要はない」という意見もあるでしょう。でも一つだけ忘れたくないことは、鍼灸の歴史は東洋医学の歴史と共にあるということです。鍼灸の利用は発想の許す限り柔軟であってよいと思いますが(むしろ、そうあるべき)、個人的発想がそう簡単に歴史の重みを越えることもありません。
だから、常に謙虚でなければいけないと思います。
(シリーズ完)
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【シリーズ読み返し】
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