マーケティング論_01「タブーへの挑戦」
マーケティング論_02「囲い込むのは誰のため?」
マーケティング論_03「コンサルタントが知らないこと」
マーケティング論_04「コンサルタントだけがわかること」
技術論_01「心配事が関心事に変わる時」
技術論_02「人間性という名の技術」
技術論_03「患者さんを選ぶ」
技術論_04「技術を選ぶ」
技術論_05「マシな技術ですみません」
技術論_06「捨てられた技術にヒントあり」
技術論_07「開業鍼灸師の経済学」
技術論_08「低予算で学ぶ」
技術論_09「真髄に迫る(低予算で学ぶ2)」
経営論_01「広告費ゼロ戦略が生みだした財産」
経営論_02「小さな鍼灸院」
経営論_03「患者さんの心は経営の鏡」
経営論_04「素人感覚」
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■自分の強み
「自分の強み」がどこにあるのか…。考えてきたようで、まだまだ深さが足りなかったように思います。「クリ助の強み」をこの記事を通じて改めて考えてみたいと思います。
自分から「自分の強み」を書くのは、謙虚な日本人には一番難しいところかもしれません。「我こそ日本一!」くらいの勢いが経営者には必要なのかも知れません(笑)
考えてみると、強みを優劣や順位で表現するのは難しいのです。優れていると思っても、客観的な証拠を出すのは難しいからです。
「地域ナンバー1を目指す!」と言ったところで、ここから歩いていける距離に鍼灸院はありません。畑の中にある鍼灸院が宣言してもカッコ悪いだけです(笑)
というわけで、地域ナンバー1は開業した時点ですでに達成!
これって強み???
どうだかわからない強みは置いておいて、誰にでも強みはあると思います。ただ、その強みを活かかせるかどうかは、その人次第…。
状況が厳しくなればなるほど、「自分の強み」で突破するしかありません。すべてにおいて優れている必要などありません。なぜなら、チームメイトが社会にいるからです。社会というチームの中で自分のプレーをする。
鍼灸師も例外ではありません。医療人としてできること、鍼灸師としてできること、自分の技術や知識でできることを、考えていくしかありません。余裕があれば、もっと別のジャンルでチーム員となればよいと思います。
近所の鍼灸院や治療院はライバルなのか…。
「敵」と解釈すると自分を苦しめるだけだと私は思います。
「チームメイト」と考えてもよいのではないでしょうか。
治療院の間でも競争も激しいと言えるかもしれません。
この競争は、サッカーであるならば、ポジション争いをするようなものです。戦うべき相手は「患者さんの症状」です。ポジションを得ようとするならば、アシストすることや、パスを受けやすい位置にいることが重要だと思います。
■チームメイトが大事
私の身の回りで起こっている例を少し紹介します。
知り合いの接骨院の院長の奥さんが妊娠中に逆子になって、私の鍼灸院にやってきたことがあります。逆子でいえば、産科クリニックや助産師に紹介されてやってくる妊婦さんも多いです。
他には、通院中の患者さんが引越することになり、引越先の地域の鍼灸院を紹介したことも何度かあります。私の鍼灸院に予約された患者さんが遠方なので、近めの治療院を紹介したこともあります。
課題もあります。それは「小児鍼」です。小さなお子さんの施術は、(自分の子供はしていますが)私より上手な鍼灸師がたくさんいるはずなので、できれば他の鍼灸院を紹介したいと思っています。でも、近隣で小児鍼を得意とする鍼灸師と交流がないのです…。
紹介する際には、お人柄や技術を直接拝見したことがある鍼灸師でないと難しいです。
パスを出す
パスをもらう
という関係ができるためには、自分の強みを知って、チームメイトに知らせる必要があります。私の場合は、ロングパスばかりですけどね。
「ライバル鍼灸院(治療院)に負けてたまるか」と考えるより、いつも周りにはチームメイトがいる、と考える方が気持ちがラクです。チームメイトに見捨てられないように努力する必要はあります。
開業して10年を迎えようとしていますが、最初は精神的にもキツキツでした…。思い返せば孤独だったと思います。今は、チームメイトに恵まれているなぁと感じて生きています。
■2種類の強み
強みは大きく分ければ2つあると思います。
一つは、鍼灸師としての技術で、「対応が得意な症状」のことです。
もう一つは、「鍼灸の他に好きなもの」のことです。
2つ目の強みに着目します。「おしゃべりするが好き」や「おせっかい好き」というのもアリだと思います。私は後者には当てはまります。たまに、おせっかいで失敗することもありますが…。「おせっかい根性」も度をわきまえれば親切です。
私には2つの強みがあります。それは、スキーをしていたこと、文章を書くのが好きなことです。どちらも最高レベルに達しているわけではありませんが、強みとして十分であると考えています。その理由は後ほど。
□スキーが上手くなりたかったから
スキーは4歳に始めましたが、年に数回のレジャースキーで、本格的に始めたのは大学生になってからです。お金がなかったので練習時間を作るのが大変でした(スキー場でインストラクターのバイトをしながら練習)。限られた時間の中で上手になれためには、頭を使わなければなりません。自分の身体の癖と向き合わなければなりません。この経験が役立っています。
□読書感想文が苦痛だったから
私が文章を書くことの面白さを知ったのは、中学校の国語でした。夏休みにはたいてい読書感想文という宿題が出ますよね。それが大の苦手だったのです。何を書いてよいのかわからず、まともに感想を書くと必要な字数に足らず、周りを見渡すと「あらすじ」で字数をかせぐごまかしが横行。
中学生の夏休みに読んだある本に読書感想文を書く極意が書かれていたのです。あの一文には、人生を変えたと言ってもよいほどのインパクトがあったのです。
何という本だったのか、正確な言い回しも覚えていませんが、こんなことが書かれていました。
「読書感想文に自分の感想をそのまま書こうとする人が多い。だから書くのが難しくなるのだ。読書感想文というものは、読書感想文を評価する大人がこの本を読んだ時にどのような感想を抱くか、どのような感想を抱いてほしいと思っているかを想像して書くものだ。」
体の中に雷が落ちました。
どうです?
この筆者の根性はひねくれていますよね(笑)
大人を見下すような態度でもありますし。
でも理にかなった思考だと思います。大人が子供に期待していることで成績を決められるわけですから。問題や課題は大人が子供にかける期待の分身です。
「いい子チャンを演じなさい」という意味にも解釈できますが、この教えに従って文章を書きはじめた途端にある変化が起こるのです。それは、読み手を強烈に意識することです。
効果はすぐに形となりました。
提出した読書感想文を教師が褒めてくれたのです。「いい感想文を書くねぇ」と。それから、読書感想文が、「読んだ証拠を提出するもの」から「教師のリアクションを待つ」ものになったのです。
読み手を意識しただけで、私の作文がクラス代表になったり、高校では賞をいただいたり…。大学も小論文で入ったのです、実はね。
■組み合わせが生む価値
スキーでは身体と会話をすることを学び、
読書感想文では書くことの面白さを学びました。
この2つは、私の強みです。
自慢話のように思われるかもしれませんが、スキーにしても感想文(論文)にしても、トップレベルからはほど遠いものです。客観的にも自慢できるレベルではありません。
でも、鍼灸師にしてはスキーが上手い、鍼灸師にしては文章が書ける、というところに意味があると思っています。スキルの組み合わせによって新しい色や価値が生まれるわけですから。
経営が順調なチームメイトを見ると、鍼灸以外のスキルを上手に活かしていると思います。自分の病気も強みにすることもできます。わたくしごとですが、胃腸が弱い私は腹診が好きになり、胃腸のトラブルへの対応が得意になりました。そこから発展して逆子も得意です。
同じスキルで勝負しようとすると、周りが敵に見えてしまいますが、自分だけのスキルを持つとチームメイトに囲まれていることに気がつきます。興味深い心理的変化です。
経営論シリーズは、今回を最後にしようと思います。
で、最後の一言。
独立して開業すると孤独になることがあります。患者さんが来なければ社会から見捨てられたような気分にもなります。私は嫌と言うほど経験しました。今だっていつも孤独を恐れています。開業準備中の鍼灸師、開業して間もない鍼灸師で、もし孤独を感じる日があったら、こんなふうに思ってみて下さい。「ライバルを、敵と思うな、チームメイトだと思え」と。効果があるかもしれません。
患者さんのために、パスを回しましょう!


コメント
>>読み手を強烈に意識することです
子供の頃に他者を意識するってすごい
ですね。
私も今でこそ読み手の立場に立ってブログを書いていますが、読書感想文なんて
大学時代も苦手だったなあ。
媚を売るのと、読み手に伝えようとする
気持ちは別なんだと思いますけどね。
>ジャッカルさん
登場人物が行う模範的行動(道徳的行動)を探し出し、自分の過去の中から類似する出来事を探します。そして、その時に至らぬ点を反省し、将来はできるようになりたい気持ちを書けば、だいたい合格です(笑)
登場人物と自分を重ね合わせられる部分を見つけたらあとはラクです。
学生はそれでOKだと思いますが(媚びを売る行為が受けいれられる)、社会人になると、そういうテクニックは通用しませんね(媚びを売っているのは見抜かれる)。
学生は嘘でもよいから、大人が考える正しいことを「正しい」と言うことが求められているのでしょうね。子育てをして、自分自身が息子に「よい子」を求めていることに気がつきました…なんだかなぁ。