「治せる」のはゴッドハンドだけ

治せるのはゴッドハンドだけ

ゴッドハンドは無責任

前回の記事では、「技術は『治す』ためにあるのではない」と書きました。意味を頭で理解するのは簡単でも、体現するのは難しいことです。

「治す」と言っている同業者を批判したいわけでも、否定したいわけでもありません。私の考えを押しつけたいと思っているわけではありません。ただ、私が成長できた要因を包み隠さず明かそうとしているだけです。

きっかけは活法でした。碓井流の活法に出会うまで、自分の仕事は「患者さんを治す」ことだと思っていました。「治せる技術」、「治せる技術があって一人前」、「治療家は治せて当たり前」などというセミナーのキャッチコピーは日常茶飯事です。そんなものを見ていると、自分の仕事が「治す」ことだと勘違いしてしまいます。

しかし、人の体というものは、直せても治せません。治すことができるのは本人だけです。患者さんの「治る力を引き出す」ことが医療者の仕事です。

理屈を理解するのは簡単でも、意識の中から「治す」を捨てるのは容易ではありません。「治してください」と言われれば、「治してあげたい」という気持ちになってしまいがちです。

「治す」を捨てることに成功すると、「治す」という言葉に無責任さと傲慢さを感じるようになります。腕のレベルに関係なく、そもそも人の体は誰も治せません。治せるとしたら「神」だけです。つまり、ゴッドハンドにしか治せないというわけです。もちろん、「ゴッドハンド」は商業的な文化が生んだ言葉でしかありません。自称ゴッドハンドがもっとも「・・・」です。

「治す」をやめると「治る力」が見えてくる

「治さない」というのは、言い換えれば「患者さんを信じる」ということです。さらにもう一歩進んだ話をすれば、施術をする相手のことを「患者さん」だと思ってはいけないのです。「患者」にしてしまうからです。「治る人が目の前にいる」という状況にしなければいけないのです。

しつこいようですが、理屈を理解できても、細胞に染みこませるのは困難です。日々の臨床で意識し続けなければなりません。そして、いつの日か無意識の中に落ちていくのです。私の場合、とても時間がかかりました。

臨床でこんなことに気が付きました。「治してあげる」と考えているうちは、患者さんの中にある「治癒力」を探しづらいのです。治す力がこっち側にあると勘違いしているわけですから。治す力は向こう側にしかありません。私は、本当に重要なことを活法から教わりました。活法は狭い意味では整体術ですが、広い意味では「人を活かす法」です。テクニックだけをマネしても活法にはならないのです。

人が人を「治す」ことできませんが「活かす」ことならできます。鍼をしたり、時に整体をしているのは、患者さんの治癒力を最大限に活かすためです。

※ウェブサイトやブログでは、「治る人」なんて書くと意味不明になりますから「患者」という言葉は使っていきます。

「嫌われてもいい」と覚悟を決めた理由

最近のブログでは、思っていることは包み隠さず書くようにしてます。医療業界や施療業界には、いろいろな考え方や価値観がありますから、私の考え方が嫌いな人も当然いるでしょう。嫌われる覚悟がなければ書けません。

覚悟してまで書くのは、新しい仲間にメッセージを届けるためです。一緒に働いてくれる仲間を探すためです。

価値観を共有できなければ、一緒に仕事をすることはできません。できたとしても長続きしません。まずは、私が何を考え何を大切にしているのかを伝えようと思っています。スタッフの前では、好き嫌いも口に出しています。愚痴っぽく言うこともありますから、「また言っているなぁ」と思われているでしょうね。

私の立場から見て、現在のスタッフはとても優秀です。能力が高さには文句の付けようがなく、医療に対して真面目で謙虚です。センスもよいです。でも、それだけなら、群馬から100kmも離れた鍼灸院(品川)を任せることはできません。任せていられるのは、価値観の共有ができているからです。

もちろん、違う人間の集まりですから、価値観がそっくり同じになることはあり得ません。みんな色々な想いを抱えながら仕事をしています。医療人としてコアなところが同じであれば互いに刺激し合える関係になれます。

近いうちに、群馬の研修を経て品川に勤務できるスタッフ(女性鍼灸師)を募集をします。

年内に応募を開始します。興味のある方は、このブログから目を離さないでください。

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カポス(東京都港区/品川駅)
養気院(群馬県伊勢崎市)
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