<鍼灸師は知識か感性か?(これまでの話)>
第1回 鍼灸との出会い
第2回 閉ざされた鍼灸への道
第3回 知識は技である
第4回 僕が鍼灸師になった理由
鍼灸学校に入学する者は必ず鍼灸を受けた経験があると思っていました。
実際は違っていました。
鍼灸を受けたことのないクラスメイトは少なくありませんでした。クラスメイト全員が鍼灸を受けて感動をした経験があるわけではないという事実。それに最初は違和感を感じました。それをいいとか悪いとか言うために書いているのではなく、ここで伝えたいのは、感性の違いです。
鍼灸師になろうと思った動機がそれぞれ違うわけですから、感性もそれぞれです。別の言い方をすれば、視点の違いがあるわけです。面白いと思うのは、その視点の違いは臨床家になってもほとんど変わっていないという事実です。少なくとも私はそうなのです。
このブログを書くにあたり、改めて自分自身に「なぜ鍼灸をやっているのか」と問うてみました。鍼灸師としてのクリ助が何なのか、やっとわかったような気がします。私が求めていたのは“同感”です。
「『紅の豚』っていいよね?」
「うんうん、最高!」
という同感と全く同じことです。
つまり、私の鍼灸施術は「鍼灸っていいよね?」という問いかけであり、「うんうん、最高!」という答えをいつも期待しているのです。いつも「最高!」って答えてほしいからこそ技術を向上させよう思うのです。結果的にそれが、「世のため、人のため」になればさらに嬉しいわけです。
私にとって、患者さんは、一緒に「鍼灸っていいよね」って言い合える仲間なのかもしれません。
「クリ助は自分の趣味のために患者さんを利用しているだけ」と誤解されてしまうかもしれないと書くのを躊躇しました。でも、あえて書いたのには意味があります。
鍼灸は伝統医学です。二千年以上の長い歴史があります。自分で新しい学術を切り開くのは容易なことではありません。それができるのは限られた天才だけです。私のような凡人には伝統医学の一部を咀嚼するだけでも大変なことです。だから、私は鍼灸医学の一部を咀嚼し、それを伝えていくという役割を担っているに過ぎないのです。言ってみれば、鍼灸伝道師です。略して鍼灸師。
鍼灸医学と患者さんの間を取り持つことが私の仕事です。
「同感」を得られたときこそ、伝道師としての役割を全うできた瞬間です。
→つづき(腕を決めるもの)


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