鍼灸師になりたいと思ったのは、鍼灸師に救ってもらった体験がきっかけになっています。感謝だけに止まらず鍼灸師を目指すようになった理由の一つは「鍼のデザイン」に強い魅力を感じたからです。もう一つ理由を挙げるなら、技術へのあこがれです。
鍼というシンプルな道具だけに、価値を生かすも殺すも鍼灸師次第です。事故的に刺されれば痛い鍼ですが、鍼灸師が使えば気持ちいい道具になります。使い手によって違う顔を見せるのが鍼なのです。
鍼灸は諸刃の剣です。
「鍼灸」と発すれば「痛くないですか?」「熱くないですか?」という負の言葉が返ってきます。鍼灸師になった途端に背負う負の財産です。そんな負の財産を正の財産へ転化させる道は一つしかありません。“劇的”な効果です。
鍼灸院には「どこに行っても治らなかった」という方が多いと思います(まぁ、一般的な傾向として)。「もう鍼灸しかないか…」と鍼灸を選ばざるを得ない状況に陥る人が多いのではないでしょうか。
となれば、鍼灸師は「他の療法と同程度の効果では許されない」という境遇で患者さんを迎えることになります。
負の話はここまでにして、正の話に入ります。
鍼灸師は、道具を使用しない療術師(整体、カイロプラクティック…)と比較して大きなアドバンテージを得ています。もちろん、それは鍼灸という道具が使えるからです。
包丁を持っている人、持っていない人、どちらが美味しい料理を作れるだろうか…と考えれば、包丁を持っている方が断然有利ですよね。鍼灸師は包丁を持っている料理人です(包丁すら持っていない料理人なんてありえない、というツッコミしないでね)。
少しばかり脱線するかもしれませんが、「道具をたくさん使える」と言えば医師です。昔の医師は使える道具がなかったので診察技術が高かった、という話はよく聞きます。聴診器や触診がとても上手であったと。使える道具が増えほど技が衰退するのでしょう。
療術師の中で鍼灸師は道具を使えるというアドバンテージを得ているわけですが、道具の上にあぐらをかきやすいことを指摘できてしまうわけです。さらに、国家資格であるためにそのステイタスの上にもあぐらをかきやすいと言えるでしょう。
※国家資格であることは鍼灸師自身は自覚していても、他者からは他の民間療法と区別できないために実際には機能していないステイタスですが…。
最近のクリ助が着目しているのは「鍼灸以前の技術」です。
鍼やお灸を使わなくてもできることを見直すことで、鍼灸でしかできないことが見えてくるような気がするのです。喩えるなら、料理人が包丁さばきを追究する前に、素材を選ぶ目を養ったり、もてなしの心を学ぶようなものでしょうか。
3年くらい前の鍼灸の勉強会で講師の先生がこんなことを話していたことを覚えています。
「鍼灸がなかったら鍼灸師は何もできない。だから鍼は大事に扱いなさい」と。
「道具を大事に使いなさい」という意味では正しいと思ったのですが、強い違和感も感じました。「鍼灸師は鍼灸がなかったら本当に何もできないのか…価値のない存在なのか…」と。講師の言葉は間違いであると証明したいと思っています。刀を取り上げられた武士が、自分の存在価値を証明してきたように。
開業してから5年の月日が経ち、自分なりに技術を成長させることができたと思っています。それは良いことなのですが、一方、限界を感じる場面は年々増えてきていたのです。その限界を取り払うことが大きな課題としてのしかかっていました。
実は、この記事を書けるのは、課題を乗り越える糸口ををつかむことができたからです。既に大きな可能性が見えています。このチャンスを与えてくれたのは仲間のHさんでした。本当に感謝しています。
いつかその詳細を語ります。(できるだけ早くね)


コメント
腰の痛みがきついですね。
バランスも大事です。
暑くなりました。