勝手にガウディ論(3)-ガウディの建築は住みにくい説

)のつづき

「カサ・ビセンス」の内部が公開されて3ヶ月

昨年の11月、ガウディが最初に手がけた邸宅「カサ・ビセンス」(1885年または1889年建設)が公開されました。

家として使われていた建物を銀行(MoraBanc)が買い取ったのです。この銀行があるのはスペインとフランスの国境に挟まれた小さな国でアンドラ公国と言います。

アンドラ公国の位置

恥ずかしながら、このエピソードを聞くまでこの国を知りませんでした。銀行が買い取ったのが2014年。翌年の2015年から修復を始め、ようやく昨年に公開に至ったわけです。

カサ・ビセンス
カサ・ビセンスの外観

ちなみに「カサ」とは家のことです。ですから、「カサ・ビセンス」はビセンス邸という意味です。

公開にあたって改装と修繕が行われてようで、ギャラリースペースはペンキの臭いがぷんぷんしていました。それくらい新しいのです。

カサ・ビサンテのギャラリースペース
ギャラリーにある模型

この日は雨だったこともありガラガラで、おかげでじっくりと隅々まで観ることがができました。雨のバルセロナも悪くありません。

ガウディの初期建築「カサ・ビセンス」からわかること

知識がなければ、カサ・ビセンスとサグラダファミリアが同じ建築家の作品とは気がつかないでしょう。私は気が付かないと思います。

自然をテーマにしているところは共通しています。しかし、その中身が全く違います。サグラダファミリアは独特な構造に惹かれますが、カサ・ビセンスの構造には独創性と言えるものが見当たりません。カサ・ビセンスの特徴は構造ではなく装飾にあります。

DSCF6690_512
カサ・ビセンスの庭から建物を撮影

もし、ガウディがカサ・ビセンスから進化していなければ、世界に知られる建築家はなっていなかったかもしれません。確かにカサ・ビセンスは個性的で、ただならぬものを強烈に感じます。しかし、サグラダファミリアを設計したガウディはいません。

カサ・ビセンスから感じるのは、ガウディの病的なこだわりです。自分の仕事を評価してほしいという野心を感じました。そういう意味では、これから売り出そうとしている建築家が、自分の才能は普通ではないと自己主張しているようです。

カサ・ビサンテの内部
カサ・ビセンスの天井の装飾(病的なこだわりを感じる)

カサ・ビセンスからは、建築家の存在を強く感じさせるのです。サグラダファミリアは違います。自然や宇宙を感じるのです。無秩序に見える自然の中に潜んでいる法則を伝えたいのかもしれません。

カサ・ビセンスの価値

ガウディという建築家に興味があるならば行ってみるべきだと思います。ガウディという天才が、どういうプロセスを経て天才と呼ばれるようになったのか、カサ・ビセンスがヒントになります。

カサ・ビセンスの屋根
カサ・ビセンスの屋根

勇気を出して書くと、カサ・ビセンスはレゴ・ブロックのようです。スクエアの組み合わせで外観がデザインされています。対してサグラダファミリアにはスクエアな印象がありません。

サグラダファミリアの内部
サグラダファミリアの内部

しかし、よく見ると似ている部分があります。サグラダファミリアには、ガウディが培った建築の技法や装飾のすべてが注がれているのだと思います。自然や宇宙を意識しながらも、そこにははっきりとガウディ自身が刻み込まれています。

ただ、ガウディは詳細な設計図を残さずにこの世を去っているので、どこからどこまでがガウディが指示したデザインなのか、ハッキリしません。

サグラダファミリアの価値を深く理解したいなら、カサ・ビセンスはおすすめです。カサ・ビセンスは大通り(グラシア通り)から少し入ったところにあります。大通りには、カサ・バトリョ、カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)もあるので、余裕があれば散歩コースに加えられます。

夜のカサ・ビセンス
夜のカサ・ビセンス

ガウディの家は住みやすいか

ガウディが設計をした家が紹介されるとき、「住みやすいように細かい配慮がされている」と言われることが多いです。でも私は住みやすいと感じません。

たとえばカサ・バトリョ(1904年から1906年にガウディが改築)。曲線ばかりで家具を置いた時にデッドスペースがあちこちに出来てしまいます。

DSCF9063_512
カサ・バトリョ内の通路

カサ・バトリョに合う既製品の家具は見つからないでしょう。空間に四角い部分がないので、隅に家具を置けません。部屋の真ん中に置いたりと、贅沢に空間を使うことになります。スペース(空間)の使い方としてみれば、無駄がとても多いのです。

そもそも、ガウディが設計したのは富裕層が使う家ですから、限られたスペースを効率よく使おうと考える必要がなかったのでしょう。私が住みにくいと感じる理由はここです。

DSCF9079_512
歪んだ空間(カサ・バトリョ)

ガウディの建築は住みやすい家なのかもしれませんが、合理的な家ではありません。不便な家です。

住むなら、冒頭で紹介したカサ・ビセンスの方がよいです。そもそも、カサ・バトリョのような作品を紹介する時に「住みやすい」や「使いやすい」という評価は似合いません。ガウディの作品の本質はそこではありません。

DSCF9080_512
使いづらそうな取っ手(カサ・バトリョ)

ガウディ建築の本質

ガウディが設計した家は人間に住みやすい家なのでしょうか。テレビ番組、諸々の批評によって、ガウディの家や家具は、「使いやすい」と言われています。しかし、そうした評価は的外れであるように思います。

住みやすさや座りやすさを追求するなら、人間工学だと思うのです。人間工学は人間を中心にデザインされるものだと理解しています。

言い換えれば、人間にとって都合のよいデザインです。代表的なものを挙げるならクルマの運転席です。デザインはドライバーのためにあります。

私から見ると、ガウディの家や家具は人間中心とは思えません。ガウディのデザインコンセプトは、自然と人間の間にあるように思います。人間中心ではなく、自然そのものでもなく、その間です。

たとえば、ガウディの家や家具から感じる心地よさは次のようなものに近いです。
 
 林道の木陰で休む感覚
 ちょっとした洞窟で雨宿り
 道ばたの石に腰掛けて一休み

「これ、ちょうどいいね!」と言ってしまいたくなるような偶然が自然の中には潜んでいます。ガウディは、自然の造形から「ちょうどいい」を引っ張り出してきてデザインしていたのではないかと思います。

人間を中心とした世界観ではありません。そう思って改めてガウディの建築や家具を見てください。ガウディの建物は自然のパワーを感じても、誰かの権力を感じません。そういう思想がすべてに表れているのだと思います。

サグラダファミリアも寄付金で建築が進められていることも、偶然ではないように思います。権力や政治と距離が保たれています。また、サグラダファミリアは教会でありながらキリスト教に染まっていないことです。宗教観を自然観で包んでいるからかもしれません。

いかがだったでしょうか?

ここまで、自分が感じるままを記してみました。この論が正しいという証拠はありません。誰も真実はわかりません。私が感じたままのガウディを勝手に論じてみました。

DSCF9182
私には解説できません(カサ・ミラの屋上)

これでスペイン関連の記事はいったん終わります。お付き合いありがとうございました!
また7月にスペインに行く予定がありますので、その時に感じたことをまた記したいと思います。

もういいって?

言われても書くと思います。
溢れる気持ちは抑えられませんから。

それまではいつもの鍼灸ネタです。

お知らせ(求人)

鍼灸の可能性をもっと知りたい鍼灸師を募集します(新卒可)。
求人情報2018春

【よろしければ投票してください】
応援クリックありがとうございます(1日1クリック有効)。
2つのランキングサイトにエントリーしています。
にほんブログ村 健康ブログ 鍼灸(はり・きゅう)へ  

コメント

タイトルとURLをコピーしました