タイトルは平家物語で那須与一(なすのよいち)が敵陣の扇を狙って矢を放つ瞬間の一節。
高校の古典は居眠り常習犯だったクリ助。
でも、この場面は記憶に残っています。矢を放つ瞬間を見事に表していると思います。迷いなく矢を放っている様子がわかります。大事な場面にしては(失敗したら命を捨てなければならない)、矢を放つ瞬間があっさり気味です。
もし、映画なら、矢を放つシーンは時間を引き延ばして重々しく凝った演出になるでしょうね。見せ場になりますから!
でも、実際はあっさりとしたシーンだったのではないかと思うのです。扇の的は作り話だよ、なんて言われてしまえばそれでおしまいですが…。
話題を持ち出しておいて何ですが、クリ助は弓道をやったことがありません。妹二人がやっているのと、ふ~ん、と観ていた素人です。
弓道が突然出てきたのは、カシオのデジカメで撮影された弓道を見たからです。高速連写なので、矢が放たれる瞬間を超スローモーションで見られます。
気になる方はこちらから。
動きの一つ一つがわかっても、一瞬の出来事ですから、真似をしようと思ってもできません。なぜなら、そこで見られる動きは筋肉では説明できないからです。弦の張力や重力が関わっていますし、忘れてはいけないのが筋肉自体の張力。
筋肉の動き以外の要素が複雑に絡んで力学的に分析するのは無理です。力学を極めても武道やスポーツの達人にはなれません(武道やスポーツに関わる人が力学的に分析することは意味がありますが)。
鍼灸でも同じことが言えます。
ツボへの作用は、鍼灸師の筋肉の動きだけで決まるものではありません。患者さんとの位置関係から始まります。弓道の「射法八節」の「足踏み」を間違えば的に当たらないように、患者さんに対する構えが間違っていればツボに当たりません。
鍼灸師でないとわからない感覚になりますが、ツボは時に姿を隠します。たとえば、発汗もツボの反応です。他よりも少しだけ発汗が強いところがが見つかります。水滴が見えるようなものではなく、微妙に湿っているところです。術者の指を患者さんの皮膚表面で滑らせていくと、若干動きが渋るところがあります。フワフワ飛んでいくたんぽぽの種のように指を軽くするとすぐにわかります。
こういった微妙な反応は、患者さんが緊張で汗をかいたらわかりにくくなります。ツボを正確に見るには、患者さんを緊張させない鍼灸師の身構えが必要です。実際は緊張させていると思いますが…。
アレコレ工夫しながら「術者と患者」という間をつくっていくわけです。この間にサッと入っていけるのが名人だと思います。屋島の戦いで、那須与一は目を閉じて成功を祈って目を開けます。その時にちょうど風が弱くなっています。与一の祈りが大明神に届いたのか、与一がそのタイミングを狙っていたのか…。
どちらであっても、扇と意識がつながった瞬間です。意識の距離感は物理的な距離に関係ありません。
目を開いてから矢を射るまでの下りは「与一鏑を取つてつがひ」だけです。間もとらずに「ひやうと」放っています。このあっさり加減に、高校生の時は物足りなさを感じましたが、わかっていなかっただけだと今になってわかりました。
ツボとの間合いが取れれば「ひやうと」の世界。これを無意識というのかもしれません。鍼を刺す瞬間は、矢を放つ瞬間です。
戦場で矢を放つとき、距離や風を読まなければなりませんが、計算で出せるものではありません(出せたとしても間に合いませんし、計算通りに肉体は動かせません)。肌で感じて無意識で処理するしかありません。
鍼灸の名人は無意識が働いています。私の技術はまだ計算の上に成りたっている段階です。計算から無意識の世界に入って行くには、スポーツでも言えるように、反復しかありません。
患者さんと接する日々の中で、鍼灸師の無意識は育っていきます。
名人の手技を高速連写しても同じ結果が出せないでしょう。意識は写らないからです。


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