時間の価値を変える

時間の価値を変えられる

■鍼灸師の価値

「これで気持ちよく過ごせる」

-e1397797647476肩こりと腰痛でお越しになった患者さんが施術を受けた後に発した一言です。この言葉を聞いた時、私は心に栄養が入ったような気分になります。最高のスイーツを味わったときのような感覚に近いです。

私の仕事は鍼灸師ですが、この仕事にどんな価値があるのかを時々考えてみることがあります。

救命医療と比較すれば、「命を救う」という役割は低いです(もちろん、命を救うことに邁進されている鍼灸師もいます)。死が迫っている状況に立ち合う救命では、「生きている」ことに絶対的な価値を置きます。「命を助ける」ことに、その医療現場の価値があります。

これに対して、私の現場は「生きている」ことが前提となっています。病院の検査して「異常がありません」と言われ、治療してもらえない症状をお持ちの方が多いのです。

そもそも検査というものは「ツラさ」を計るものではなく、基準とのズレ幅を確認するものです。だから、「検査で異常がないのにツラい」、「検査で異常があるのにツラくない」ということが頻繁に起こってしまうわけです。

「検査で異常がないから大丈夫」という理屈は、救命の現場では通っても、私の現場では通りません。医療ドラマのほとんどは救命が舞台ですが、ドラマは鍼灸院にもあります。たくさんの感動できるドラマをつくりたいという意識で施術しています。その一つ一つがテレビドラマになることはありませんが、私には感動できる出来事です。演出や演技では得られない感動があります。

■1時間の価値

救命の医師が、患者さんの「時間を延ばす」仕事であるならば、私の仕事は、患者さんの「時間の価値を上げる」仕事です。頂く施術料は、その対価だと考えています。同じ時間を過ごすのであれば、「痛い」より「痛くない」方がよいです。「重い」より「軽い」方がよいです。患者さんの1時間の価値は患者さんにしか決められません。

私の仕事は、患者さんが「価値の高い時間を過ごす」ためのお手伝いです。心臓が動いているかどうかではなく、心が何を感じているが指標です。心は検査でわかるものでもありません。患者さんの心を知るには、私自身の心に照らして感じ取るしかありません。客観性を重視しすぎて、科学的なものばかり追いかけると、求められているところから外れてしまうことがあります。

わかったように書きましたが、患者さんの心と向き合うことは簡単なことではありません。医療は一方的な関係では成立しません。この「一方的」には、私からの「一方的」も、患者さんからの「一方的」も含みます。

鍼灸はそこに最低限の人間関係がなければ成り立ちません。深いほどよいとは言えません。家族のような関係では近すぎて難しいこともあります。施術に最適な関係(距離感)があるように思います。

■慰安と医療

慰安では、「施術中の時間」の価値を上げる努力が必要でしょう。お客さんもその時間を買うという感覚だと思います。

いっぽう医療では、「その後の時間」の価値を上げる努力が必要と考えてます。手術の時間が好きという患者さんはいないでしょう。手術後に得られるものを期待して、手術中を過ごすわけですよね。

医療では、患者さんに大小はあれど覚悟が求められます。慰安には全くありません。その覚悟は「痛いのを我慢しよう」という話だけではありません。薬の副作用、手術のリスク、治療費、通院手段の確保、休職など、何かをいったん背負う覚悟が必要です。

医療に携わっている以上、患者さんに「治りたいのなら覚悟してください」と言っているのと同じです。覚悟を求めていないのであれば、それは医療にみせかけた慰安だと思います。私も、必要とされなければいつでも鍼灸師をやめる覚悟です。というより、保証されている職ではないので続けられません。

この職を続けるために、試行錯誤を続けています。

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