病院で原因がわからないケース
私の話からしましょう。中学生のとき、病気で数ヶ月間入院していたのです。
このときにお世話になった医学は、いわゆる西洋医学です。多感な時期に毎日のように医師の診察を見ていたので、それなりに医療や医学に興味がわきました。しかし、医師になりたいと思うほどではありませんでした。
いわゆる東洋医学に出会ったのは、その後です。高校生のとき、膝を治したくて鍼灸院に行ったのがきかっけです。家からクルマで15分ほどの距離にある鍼灸院で、交通事故の後遺症の治療で母が通っていたところです。
実は、乗り気ではありませんでした。「病院で専門医に診てもらっても原因がわからないのに、ハリで良くなるはずがない」と考えていたからです。
「1回だけ」という気持ちで仕方なく行ったのです。そこでよい意味での衝撃を受け、本棚にある鍼灸の古典を覗き見るようになったのです。そして「東洋医学ってスバラシイ」がどんどん膨れ上がっていくようになりました。
病院の西洋医学よりも東洋医学の方が優れているのではないだろうか。そんな気持ちになってしまったエピソードです。
病院 vs 鍼灸院
膝は次第によくなり、1年後にはスキーができるくらいまで回復しました(スキーにもハマってしまいました…)。この私自身の経験は、病院で良くならなかった症状が鍼灸院でよくなったという典型例です。
実際に、この構図は鍼灸院では日常です。うちにやってくる人のほとんどが、病院の治療に希望を持てなくなったり、不満を抱えています。鍼灸で改善する事例は数え切れません。
数多くの事例から西洋医学に東洋医学が勝利したような構図を描くことができます。確かに、症状や条件次第では鍼灸の方が優れていることは間違いありません。しかし、万能ではありません。
もし、最初に行くところが、病院ではなく鍼灸院であったなら、鍼灸治療に希望を持てない方や不満を抱いた方が病院でその気持ちを吐き出すでしょう。
病院での医療と鍼灸院でやろうとしている医療を比較するのは、ドライブと登山の魅力を比較するくらい滑稽で意味がないことです。
鍼灸は、本当に東洋医学なのか?
ヨーロッパで生まれた西洋医学、アジアで生まれた東洋医学。最初から「どっちも良いところがあるので…」と優等生を気取れば何にも考える必要はありません。
しかし、それでは物足りない気がします。しかし、本気で考え出すとこのテーマはモンスターです。少しだけ悪あがきをしてみたいと思います。
一般的に「鍼灸は東洋医学」とイメージだと思います。これは正しいようで正しくはありません。「ラーメンは中国料理」と言われたら違和感を抱きませんか?これと同じ種類の違和感を私は「鍼灸は東洋医学」に抱いています。
なぜか。鍼灸は道具でしかないからです。もし、道具で決まるなら、鍼灸を使った治療は、その背景がどんな哲学であっても、どんな思想であっても、東洋医学となります。それは、おかしなことに感じます。
鍼灸師になる人も、2つに分かれます。「鍼灸がしたい」という人と「東洋医学がしたい」という人です。私は、どっちもやりたいタイプです。鍼灸師を目指した高校生のとき、「鍼灸=東洋医学」と完全に勘違いしていました。鍼灸学校に入ってから、鍼灸のバックボーンにいろいろあることを学びました。
結局のところ、東洋医学って何?
①東洋思想に基づく医学
このような定義を立てるのが本来です。しかし、一筋縄ではいきません。東洋思想を理解しなければなりませんし、東洋哲学も理解しなければなりません。ものすごく難しいテーマですが、ここでは割り切って簡単に思想と哲学を整理してみます。
思想: まとまった考え。物事の見方。
哲学: 物事の本質をとらえる営み(参考:はじめての哲学思考)
ここまで簡単にしてしまうと弊害もあるかと思いますが、話を先に進めるためにお許しください。
なぜ、「東洋哲学に基づく医学」ではなく「東洋思想に基づく医学」と定義したのかを説明します。哲学は答えを探そうとする営みですから「旅行」のように動いています。いっぽう、思想は考えの下地ですから「家の土台」のように考えられます。医学のバックボーンとして定義しやすいのは「思想」です。
つまり、東洋医学とは「東洋の考えを土台とした医学」と言い換えることができます。そうすると「東洋の考えってなんだよ?」という話になります。
東洋と言っても、日本、インド、中国、みんな東洋です。考え方は同じではありません。結論を出そうと思うと本当に困ります。
個人的には、日本人なので日本の考え方を大切にしたいと思っています。具体的には、施術の目的を「受容」「調和」「自然」としています。
「受容」とは、状況を支配しようとするのではなく、現状をいったん受け入れるという意味です。病気や怪我をしたら仕方ありません。「仕方ない」と思うのは諦めではありません。新しいスタートを切るための決意です。
「調和」とは、身体の各部が調和しているという意味であったり、身と心が調和しているという意味です。
「自然」というのは、無理をしていない身心のことです。どこに痛みがあるのは、どこかに無理があるからです。その無理を解決することで痛みを和らげるのです。
けっして「治してやろう」とは思いません。支配的な思想になってしまうからです。現状を受け入れ、内外の調和を図り、自然な呼吸をすれば良い方に向かいます。私の仕事は「治すこと」ではなく「良い方に導くこと」です。そうしていると「治った」という場面と出会えます。
これは、あくまで個人的な方針です。「東洋的」な姿勢であっても「東洋医学」とは言えません。「医学」の要素が含まれていないからです。私は東洋的な考えを大切にしていますが、これを「東洋医学」と表現しなくなりました。
②中国医学、アーユルヴェーダ、チベット伝統医学、ユナニ医学、日本の漢方
それぞれの地域で、それぞれの思想に基づいた医学体系があります。それぞれの地域に言い伝えられてきた民間療法もあります。こうしたものを東洋医学と呼ぶことがあります。とても広い概念です。
私たち鍼灸師が学生のときに勉強するのは中国医学です。その中でも鍼灸の発展や継承に大きく貢献した経絡(けいらく)理論が特に重視されています。ですから、鍼灸師が言う「東洋医学」は経絡理論を指していることが多いと言えます。
③病院以外の医学や民間療法など
ちょっと雑かもしれませんが「病院は西洋医学」という見方をすれば、病院以外の医学や民間療法はすべて東洋医学です。実際に、こうした認識はあると思います。
④感性に委ねた施術
気持ちいいところを押すだけ。そんな施術が東洋医学だと思われていることがあります。理論に基づくのが西洋医学、感性に基づくのが東洋医学という思い込みも少なくないように思います。施術の質が感性で変わることは間違いありませんが、理論を放棄し感性のみに依存した施術を東洋医学と呼びたくはありません。
まとめ
ここまでお付き合いありがとうございます。なかなか「東洋医学は何か」に結論を出すのは難しいですね。
最後に私の考えを述べると、患者さんが東洋医学だと思って期待しているなら、わざわざ「違います」と否定する必要はありません。そもそも東洋医学の定義が広いのです。どこからどこまでが東洋医学かなんて誰もわからないのです。「わたしの東洋医学」を心の中に秘めていればよいと思います。
つづく…
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