「経絡が理解不能」は真っ当な意見である

■鍼灸師のお約束ごと

五本木クリニックのブログの「鍼灸で使用される「ツボ」ってWHOで決められていたの??でも『経絡』は理解不能です」(2014.6.14)という記事を読みました。「その通り!」と思った記事です。

はたして、

『経絡が理解不能』なのは真っ当な意見

と発言できる鍼灸師はどれくらいいるのでしょうか。鍼灸を根底を否定するように受け取られますから、鍼灸業界を敵に回す覚悟が必要です。

鍼灸学は経絡学から始まります。算数でいえば「1+1=2」を最初に理解するようなものです。「1+1」を理解できなければ、事は始まりません。

算数のお約束があるように、鍼灸家にも「経絡」というお約束があります。経絡を理解できなければ先に進みません。鍼灸師の教育が始まります。鍼灸の専門学校は3年間です。この3年間で経絡が理解できなければ、東洋医学の世界では、完全に落ちこぼれます。

これってどう使うの?

■経絡否定を許せない心

鍼灸は、東洋医学を無視しても、道具の特性による物理的作用で治癒効果を引き出す術はありますから、鍼灸師として落ちこぼれるとは言い切れません。しかしながら、鍼灸の歴史が経絡の歴史である以上、先達への裏切りにも似たような想いが沸き上がってきます。

怒る女性

東洋医学を愛している者ほど、経絡否定を心が許さないのです。経絡を否定されると鍼灸すべてを否定された気分になるのです。私にもそういう時期がありました。自分の施術が経絡理論からはみ出た瞬間から、罪悪感と格闘しなければならなくなります。

「経絡を深く理解することが、鍼灸を極めることになる!」

このように信じていました。しかし、こう思っていた頃の私は低迷していました。言葉通り、低い気持ちで迷っていたのです。そんな私はある時が変わりました。「経絡は見えなくていい」と割り切ったのです。そして、目で分かる、触ってわかるツボの反応を丹念に観察するようになりました。

そうしていくうちに「鍼灸の基本は経絡ではなくツボである」という結論に至りました。「ツボがあって、経絡は後から付けられたもの」だと考えることにしたのです。鍼灸の常識とは反対です。私は逆賊となったのです。

経絡ありきで考えていた時は、ツボに鍼や灸をした時、その経絡上に起こる変化を探そうとしていました。しかし、経絡が関係ないと思えた瞬間から、変化を自由に探せるようになったのです。そうしたら驚きの連続です。

見つかる! 見つかる!

■経絡を使わない方が理解できる

そもそも、身体の一部に物理的刺激を加えれば、どこかで何かしらの反応が起こるのは当たり前です。むしろ、何かをして何のリアクションも起こらない方が不自然なのです。こう考えればツボは不思議なものでも、理解できないものでもありません。ここまでの話には誰もが頷いてくれるはずです。

東洋医学に傾倒している人ほど冷静になって考えてほしいことがあります。「経絡」という単語さえ出さなければ、鍼灸はもっと多くの人に理解されるのです。経絡の話から始めるから、おとぎ話になってしまうのです。きちんと成果を出していたとしても。

なるほど

誰かにこんなふうに尋ねてみて下さい。専門家でない方がよいです。

「皮膚にたばこの火を近づけられても平気でいられる?」

すると、

「平気なわけないじゃん(何言ってんの?)」

と返ってくると思います。

次に、肩に手を回して硬そうなところを指でグイッと押しながら尋ねてみてください。

「どう?」

すると、

「気持ちいいね~」

と返ってくると思います。「痛い」と言われてもどっちでもかまいません。

指に押された皮膚や筋肉は何かしらの情報を受け取り、その情報が脳に伝わり、何らかの解釈をしているのです。

続けて、

「こっちとこっちならどっちがイイ?」

と言ってみたらどうでしょうか。

「後の方かな」

と、こんなふうに脳は刺激の好みを簡単にはじき出すことができるのです。

ライターとロウソクを持ったおっさん

脳は確実に好き嫌いを判別できるのです。これは顕在意識での話ですが、潜在意識でもきっと同じです。全てをいちいち自覚していたら身が持たないので、脳に丸投げしているのです。

潜在意識の方がずっと大きいことは有名な話ですよね。その潜在意識と会話ができたら便利になると思いませんか。こうした発想がそもそも鍼灸の原点だろうと思うのです。わざわざ、潜在意識なんて言葉を使う必要もありません。

最初の仕事は、顕在意識に平伏することなく、カラダにとってプラスになる刺激ととマイナスになる刺激を分けることです。「顕在意識に平伏することなく…」というのは、気持ち良いけれどマイナスな刺激もあるからです。たとえば、「やってもらっている時は気持ちよかったのに、翌日は余計に痛くなった」なんてケースです。

■2000年以上前からあった鍼灸のガイドライン

慰安であれば、顕在意識に尋ねるだけで十分かもしれませんが、「医」と付く者に携わる者は、それだけでは不十分です。潜在的が求めている刺激を安定的に導き出さなければなりません。「安定的に」というところが大切なのです。そのためには、ガイドラインのようなものが必要です。

ガイドライン? 案内してくれる線??

そう、ここで経絡の登場です。

昔の人は、刺激をして起こる現象をなんとか説明しようと試行錯誤したに違いありません。ある時、誰かが、何かしらの事情によって、カラダに線を描き出したのです。経絡と血管系が類似していることから考えると、その辺りに精通した人間の仕事であろうことが想像できます。

経絡はガイドラインの一つであり、可視化されたものです。経は縦ライン、絡は横ラインですから、これは座標です。このように考えるのが自然で無理がないのです。組織や集団が規律を守って何をしようとしたら、必ずガイドラインが必要です。特に、医の世界にとってガイドラインは重要です。

時代が変わり、経絡をガイドラインと認識する者が誰もいなくなっただけのことです。昔の人は感性が豊かだったので現代人に見えないものが見えた、と考えるのはロマンではなく妄想です。経絡はあるとかないとか、そういう次元のものではなくガイドラインです。

経絡鍼灸のガイドライン

■鍼灸には経絡といったん縁を切る時間が必要

鍼灸家が本当にやるべきことは、2,000年以上前に創られたガイドラインを信仰することではなく、ツボへの刺激が引き起こすリアクションを素直に観察することです。

リアクションの捉え方は何であってもよいのですが、臨床家にとってはその場ですぐに確認できるものでなければ役立ちません。私は、動きの変化を観察することで、視覚的にツボの効果を確認するようにしています。第三者が見てもわかりますし、映像に残しやすいからです。また、そこに新しいガイドラインが生まれるのです。

このように順序立てて考えると、経絡が人工的で作為的なものであるのは間違いありません。こう考えても、経絡の価値や意義を下がりません。経絡のおかげで、鍼灸学が爆発的に普及したのだと思っていますし、経絡の臨床的価値を否定するつもりはありません。

ここで言いたいことは、スープにはスプーン。スパゲッティにはフォークが便利だということです。スプーンしか知らなければ、一生スパゲッティは食べられません。

経絡が便利な場面とそうでない場面があるのは間違いありません。現に経絡無視の療法はたくさんあります。私がやっている活法もその一つです。こうした現実に向き合うには、鍼灸師は経絡といったん縁を切ってみるべきなのです。ツボだけに集中してみるのです。そうすることで、必ず鍼灸の可能性が広がります。そして理解されやすいものになります。

スプーンとフォーク

■結論

人体は複雑で謎だらけ。だから、そんな人体を扱うために単純化させ分かった風にしておく必要があります。それは今も昔も同じ。鍼灸に限らず、「医」とはそういうものだと思います。理論を単純化させ可視化に成功し、多くの支持を得たのが経絡です。誰にも見えないのに支持されたのは、視覚的なデザイン性が高いからだと思います。

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