私たち鍼灸師は、身体の仕組みに詳しくなくてはいけないのですが、鍼灸師としてのパフォーマンスが詳しさだけで決まるわけではありません。知っていることと、できることの間には距離があります。臨床においては、確実にできることを積み上げることが必要です。
知識にも大きな分類があります。現代医学的な知識と古典の知識です。繰り返しになりますが、どちらも知っているだけでは意味がなく、現場で使える技能に落とし込まなければなりません。今回は古典にスポットを当てます。いわゆる東洋医学です。
東洋医学には独特の難しさがあります。それは、記した人が生きていないということです。生きていないので、わからないことがあっても質問ができません。その結果、わかったような知識で溢れかえってしまいます。私は臨床が本業ですから、実際に効果があるかどうかで価値を判断します。私自身の力量で効果が出せるものと、そうではないものがあります。そうではないというより、「わけがわからない」ので使いようがないと言ったほうが正確です。
謙虚になればなるほど、古典には批判的になります。わからない前提で読めば読むほど、おかしなところが見つかるからです。私たちが、学校で東洋医学を習うとき、2000年ほど前の漢文を読むわけではありません。現代人がまとめたものを読むわけですが、そこに大きな落とし穴があります。
私たちが落ちるのは時系列の罠です。
古典を直接読めば時系列がわかるかといえば、そうでもないのです。古典そのものも時系列がバラバラです。多くの研究者が時系列の問題に挑んできているのですが、臨床で忙しくしている鍼灸師はなかなか関心を向けません。私も忙しくなると古典から離れがちです。でも、今日は気持ちを古典に向けています。
実際、私が開催している鍼灸師向けのセミナーも「古典ありき」の内容です。言ってしまえば、古典に向き合う時間をつくったからこそ、収益の上がる事業にできたのです。これから何回かに分けて、私は古典とどのように向き合っているのか、その一端をお見せしていこうと思います。参考にしていただければ幸いです。
次回は、黄帝内経は「経絡ありき」で書かれていないという話です。私も初学の頃は誤解をしていました。
まず経絡が発見され、そこから理論が組み立てられたと考えていたのですが、そうではありませんでした。現在のような経絡体系が完成する前から、鍼灸理論の構築がはじまったのです。私たちが古典に接するとき、経絡というフィルターを時には外すことが重要なのです。ここからの展開、面白いです。次回の更新を楽しみにしていてください。
つづく…『黄帝内経』は「経絡ありき」で書かれているわけではない
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